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ミッション(1986年)【ネ申よ。映画感想での少しばかりのネタバレとか、あと他にもいくつか、場合によっては全部をお赦しください。あ。】

灰羽連盟でキリスト教的な【赦し】の話が出てきたので、ではそのつながりでこれも紹介してみましょう。

古い作品です。約40年前。

イエズス会の話です。
イエズス会というと、日本ではザビエルですが、彼ら個人は善良な人たちなのかもしれませんが、カトリック帝国主義の先兵としての役割も結果的に担ってしまいました。
近代(1700年代)になると、イエズス会は王権絶対主義にとって目障りな存在ということで、あちこちで追放され、影響力を落としていきます。
でも、ひとりひとりのイエズス会士は伝道という使命感に純粋に燃えていたりします。

1740年ごろ。

奴隷商人で軍人の主人公のような存在にとっては、先住民を人間として認め教化しようなどという理想主義者は目障りな存在でしかありませんでした。

奴隷商人であることに当然ながら罪の意識など感じず。
仲の良い兄弟と愛する女性に囲まれ、彼は自分の人生を少なくとも矛盾なく生きていました。

では今回もネタバレしないと作品の良さを語れないので行きます。




































しかし事件は起きてしまいます。
愛する女性をめぐって弟を殺してしまい、必然的にすべてを失う。

こうして彼は没落しました。
いや、ちがうな。
誰よりも彼は、彼自身を許すことができなかった。

鏡にむかって
(お前は本当にくずだな)

ひとり荒地に向かい、
(お前みたいな奴にはこの世界のどこだろうと生きている価値はない。せめて人のいない果てへ行け)

重い石を縄で引きずり、
(俺は絶対にお前をゆるさん、もっと苦しめ、もっとだ)

なんか映画の筋と違ってきているかもしれませんが、
かつての敵、イエズス会士に
「そんなことをしてはいけない」
と言われても、また縄をとって石を引きずります。
(誰もお前を許すことはできない。たとえ神がお前を許しても俺はお前をゆるさん)

最後に、かつて奴隷狩りの対象だった人々にさえ首を傾げられ。
・・・これは映画の筋どおりですね。
「この男はなにやってる?」
「自分を罰してる」
「ばかばかしい」

快刀乱麻。ごろごろと転がっていく石。
縄は切られてしまいました。
もう元には戻せません。
ひきずりたくても、もう不可能です。

****

キリスト教の領域では、許し(許可:パーミッション)ではなく赦し(恩赦:パードゥン)が存在し、ふたつは明確に区別されるらしいです。
イエスキリストという原体験をもたないアジア人には、いまいち理解しがたいかもしれません。
そもそも前提としての原罪とかが受け入れられません。
なんで生きてることが罪やねん。
しいていえば個別的な体験ぐらいしか。

そうですね。
自殺しようとしている人は、明らかに自分を赦していないかもしれませんね。
自殺しようとしている人は「自分には生きる価値がないから」とよく言います。
「価値がありすぎるから死ぬ」という人はかなり少数派でしょう。

***

赦しというものを理解するには、具体例を観て直感する方が速いでしょう。

灰羽連盟では、誰かに助けてもらうと罪が消えました。

今作においては、
自分を罰したくても罰することが不可能になった時点で、罪が贖えたのです。

その後、回心しイエズス会士になった男は、
原住民族への伝道に取り組みます。
その結果、原住民族は近代化し、強大な勢力へとなっていく未来が仄見えてきました。
それは王国植民地政府にとっては真に目障りなことであり、
前述の時代背景から、両者は激しい抗争への道を進みます。
が、しかしそこまで述べるのは野暮というものなので。
今回はこれまで。
その先は本編でお確かめください。

ちなみにこの映画の音楽担当の方、今は彼自身が「映画」になっていらっしゃいます。
絶賛公開中みたいです。

けっこういいところまでネタバレしてしまいました。お赦しください。
いや、でもこれある程度やらないと、良さが相手にまったく伝わらないんですよ。観てくれる人はネタバレしても観ますし。
反省してます。

ちなみにイグアスの滝は作中の舞台です。

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