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日本 権力構造の謎(著:カレル・ヴァン・ウォルフレン)【読書紹介を読むと、脳が汚染されるのだ「久米宏も筑紫哲也もネトウヨにされた時代から」】

90年代、ジャパンアズナンバーワンの時代、
世界は首をかしげていた。

いったい、なんなんだ。このジャパンとか言う国は。
今や押しも押されぬナンバーツーでありながら、
行動様式が謎である。

かつての敗戦国が、超大国として復活してきた。
そういうことは前にもあった。
しかし軍事的覇権を求めるでもなく、経済に全振りしている。
しかも奴らの内在論理がつかめない。

いったい何を考えているんだ?
もしかしてこのまま俺たちの世界は、日本に支配されてしまうのだろうか?
今の彼らは、ソフトでロリコンでアルカイックスマイルで、
ただ意味不明に笑っているだけに見える。
でもあれは、真実を覆い隠す虚の姿なんじゃないのか?
世界を支配した途端、あいつらは、その本性をむき出しにするんじゃないのか?

世界は、急速に台頭した新興国に対して脅えていた。
いったいどんな国なのか、観察すればするほど、よくわからなくなったからだ。

そんな世紀末。
かつての「菊と刀」のような、
日本理解の救世主として現れたのが、
オランダの知識人、ヴァンウォルフレンとその著書である、
本書「日本 権力構造の謎」である。

そこそこの大著であり、難しいとか長すぎるとかいう人には、
要点だけを簡便にまとめた、エッセンシャル版である、
「人間を幸福にしない日本というシステム」という本もある。

これは当時、日本の左翼界からも絶賛された。
久米宏も、筑紫哲也も取り上げたと思う。

外国人に見透かされて、自民党は恥ずかしくないのか?
という文脈で使われていた。
よく覚えている。

ところが。

今では界隈の人たちはこう言う。
「ネトウヨの聖書」と。

(ブロゴスという媒体でこんなコメントを読んだ)


↓ とても読みやすい入門編。簡略版。

******

実際に、私はレイシスト要素があまりないのに、
なぜかネトウヨ呼ばわりされたことがある。


その時に相手がなぜヒステリックになったのかというと、
どうも、
この本を出したからである。
それしか考えられない。

彼が言うには、この本は論ずるに値しないほどくだらない本だというのだ。
当時、大ブームだった本書を、ある程度以上のインテリが知らないはずがない。

それに、これは保守批判の文脈で使われる本である。
当時は保守や右翼の人が、反論を試みていた。
あの小林よしのりも、本書を逆批判していた。

ところがである。
今や、けしからんっと激高するのは、
正反対の陣営の人たちであるのだ。
いったい、どのような価値観の変遷があったのだろうか?

その前に本書が導き出す結論を、超エッセンシャルで簡単に解説しよう。
まあ、今となっては知らない人もいるかもしれないからね。

*****

当時、世界は、
「日本は彼らなりのやり方で、世界征服の計画を立てている」
と考えていた。
新しい覇権国家が出現するときは、それが常だからだ。
しかし、その司令部が視えない。
どこかに秘密のセンターがあって、そこで大計画を企画立案しているのではないか?
と思われていた。
それはどこだ?
見つからない。おかしい。なぜ隠せている。見つからないはずがない!

しかしウォルフレンは言い切った。
「司令部なんか最初からない」

日本は、政治家の権力が著しく弱く、実質的に権力を持たない。
その代わりに真の支配者となっているのが、官僚機構である。
官僚機構を中心にした支配構造を、ウォルフレンはいみじくも、
アドミニストレータと仮称した。
管理者という意味だ。

しかしアドミニストレータは官僚機構なのである。
自らがビジョンに基づいて決定するメカニズムではない。
官僚機構だけで国を統治するというのは、
いってみれば自動操縦だけで飛行機を飛ばしているようなものだ。

ウォルフレンは言う。
「自動操縦装置の比喩は、まさに私が言おうとした日本の真実にふさわしい」

自動操縦装置の比喩が適切なのは、
このシステムが、本質的に行き当たりばったりだからだ。

彼によると、
日本に真の支配者がいた最後の時代があり、
その支配者とは、明治の元老たちであった。
しかし元老たちは後継者を残さなかった。

その後、官僚機構が自動操縦をし始め、
行き当たりばったり式に戦争に突入し敗戦。
(旧軍部も官僚機構である)

常識的に考えれば勝てるはずがなかった戦争に突入してしまったのも、
このシステムが本質的に行き当たりばったりだったから、というのである。

官僚機構は考えることはしない。
ただ与えられたルールで、どうにかして現実を運用しようとするだけだ。

ウォルフレンいわく、
この本を書いてから30年、本質的に日本の状況は変わっていないという。

***

しかし官僚機構がここまで独尊的になったのは、
いや成らざるを得なかったのは、
政治家という職業が、徹底的に無力化されているからだ。

悪いことはみんな政治家のせい。
私たちはテレビを観ると、最終的にそのように考えるように誘導されている。
子どものころから続くその景色は、私たちの精神的背景にすらなっている。

しかし、これはおかしなことなのだ。

民主主義においては、
真の権力は有権者にある。
政治家は、権力を得るために有権者に媚びなければならない。
そのために「減税する」とか出来もしないことを、あれやこれや公約してしまい、
権力の座についたとたんに現実的理由からそれを破るので、
次の選挙で負けるということを繰り返す。

かようなシステムで本来はあるはずなので、
選ぶ政治家によっては、良かれ悪しかれ、政治や社会は変化しうるのである。
しかし日本は「民主主義」と言われつつもそうではない。

実体として、誰が政治家になっても変わらないし。
国民もむしろ誰にも投票したくない。ばかばかしい。選挙に行ってもどうせ変わらない。
しかし民主的な憲法を持ってはいるのだから、そんなわけはない。

有権者がはっきりと意思表示をして、
断固たる政治家を登用すれば、社会は変わる。

良い方向だけではない。悪い方向にだって。
ヒトラー、トランプ、ブレグジット、
ただ選挙をするだけで政策が正反対に変わることは民主国家では当たり前のことだ。

だが日本にはそれがない。

日本に導入された西洋式民主主義は、
事の初めから機能不全を起こしている。
うまく動いてないのだ。
思えば、これは大正デモクラシーの辺りからそうだった。

*****

要は西洋式概念の輸入に失敗したのである。
日本は近代化に成功した国だと言われていたが、
そんなことはなく、やはり消化不良を起こしていたのだ。

そしてそれは権力システムだけではない。
反権力、反体制のシステムも同様であり、
西洋式の自由とか革命という概念をうまく把握できていない。

まあでも、反体制と言っても外部からソ連に指導されるくらいなら、
ソ連が考えてくれるからまだ良かった。

それが、ソ連がいなくなって、自分たちだけで反体制をするとなると、
途端に何をやったらいいのかわからなくなってしまう。

******

とまあ、こんな具合で、日本の現実を鋭く分析していく。
知の巨人であるウォルフレンの舌鋒は、
およそ日本人としての文化的背景を持つ人すべてが顔を青くするくらいの、
絶対的破壊力があるのだ。

もちろん外国人であるがゆえの、誤解も皆無ではないだろう。

実際、抑圧的な文化がロリコンアニメの増産として現れている。
という文章には、当時の私は大爆笑した。
「そうか、そういうことだったのか(爆)」
いや、先生もユーモアのセンスがあるんやなあ。

・・・・(いや、本気で言ってたんならごめんなさい)
まあ、日本のロリコンアニメは世界に輸出されるようになったから、
ジャマイカじゃないのか。ここは肯定的にとらえておこう。
(ジャマイカの皆さん、これは意味のないライムですからね)

というわけで、こんなような論旨が書かれているのが本書である。

*******

さて、本記事はもうひとつの主題を持つ。
それは(左翼っぽい人たち)が、
なぜこの本に発狂してしまうか、である。

いや、もちろん保守や右翼も不愉快には感じただろう。
当時は。

しかし自分に納得のいかない結論を引き出されても、
それを却下するには自分の頭で考えなくてはならないし、
うんうん唸りながら、
「これはこういう所を誤解されたんだ」と自己分析に勤しまなくてはならない。
それが知的誠実さ、というものである。

しかし(左翼っぽい人たち)にはそれができない。
彼らには、知的誠実さが欠落している。
いや、それ以前に、ウォルフレンの名を出されるだけで、
相手をネトウヨと決めつけなくてはならないほど、事実を歪曲せずにはいられないのだ。

****

私に噛みついたその人のことを、
本記事では「天動説の人」と呼ぶことにする。

彼曰く、

天動説の支持者は、地動説という考えを持ち出されただけで、
地動説か。なら間違っているに決まっている!
と決めつけなければならない。
それは真理を追究する人間の態度ではない。

と上述のようなことを、長文記事で書いていらっしゃったのだが、
やってることは、まさに真理を追究しない人のやり方そのものであり、
しかもそれを「恥ずかしいとも思わない」と明言する。

なぜ、彼は自分が表明したポリシーをここまで否定してでも、
ウォルフレンを全否定しなくてはいけなかったのか?

それは彼の言葉から推察できる。

「お前は承認欲求に飢えた怪物だ」

私が言われた言葉である。
これが解せない。
確かに私も人並みに承認欲求モンスターのところはあるだろう。
じゃなきゃ、SNSで文章を公表したりなんかしない。
しかし承認欲求を満たすためだけに、白を黒と言い換えるようなことはしない。
それくらいはわきまえている。
(いや、お前はわきまえていないと言われるかも知らんけど)

他にも、

「その根拠として、お前は数百人をフォローしている」
(いや、そういうひと、たくさんいるんだけど)
「その人たちの記事をぜんぶ読めるはずがない」
(いや、全部は読まないよ。読みたいやつだけ読んでるんだけど)

まあ、何を言ったところで彼は聞く耳を持たない。
いや持てないのだ。なぜならば・・・








そもそも論。
承認欲求とは元来は悪いものではない。
欲求があるのだから、それを満たそうとするのは生理的に自然なのだ。
不適切な形で満たそうとするのが問題なだけで。

性欲に置き換えてみたらわかる。
たとえば強姦とかで性欲を満たそうとしたら問題だが、
普通に恋愛して結婚して性欲を満たそうとすることは、別に異常ではない。

ところが一部の人たちはこう言うのだ。
「性欲は悪いものだ」

なぜこんなことを言うのだろうか?
簡単だ。
その人が、性欲に強く強くとらわれているから。

「う、嘘だ。おれがこんなにおっぱい大好き星人なはずがない!おれはもっとマジメな人間なんですっ!こんなエロ魔人はおれじゃない!そ、そうだ。性欲が悪いんだ!」

これがニーチェの言う「酸っぱいブドウの心理学」
じゃなくて、奴隷道徳というやつである。

要は、かがみに映った自分の醜い姿に耐えられないから。
だから「かがみが悪いんだ」と責任転嫁する。

まあ別に、実を言うと、だから悪いこととは言えない。
「酸っぱいブドウの心理学」を肯定的に用いる人はいる。
マイケル・J・フォックスみたいな。

いちばんいいのは、性欲だって、親鸞聖人みたいに、
女の人がスキだから、僧だけどセックス大好きです。
とか正直かつ穏便に欲望を肯定してもいい。
要はバランス感覚なのだ。

いずれにせよ、不適切なやり方で、欲求を解消しなければ問題ない。
だが、現実否認にやっきになる人は、得てしてそれが出来ない。

否認することに全力を投入しないと、精神の死に至るからである。
そのためには白は黒でなければならない。

「きれいはきたない。きたないはきれい」

・・・・・・

真実というのは、惨いものである。
特に本物の知識人は、容赦なく真実を白日の下にさらしだす。
そして多くの人間は、醜い現実に耐え切れず、
自分の本性をさらけ出してしまうのだ。

もうお分かりだろう。
なぜ彼が、私を「承認欲求の怪物」と呼ばなければいけなかったのか?
それは、彼自身の内在論理に起因する。
彼はそうする以外に、自分の脆弱な精神を守ることができなかったのだ。

彼にとって私はネトウヨでなければならなかった。
もしそうでなければ、彼は発狂して自殺するしかなくなってしまうだろう。

幸いにして、
彼は「お前ごときの文章など読むに値しない」と明言しているので、
これを読むことは無いだろう。

******

さあ、彼の話は終わりだ。
次はあなたの番だ。
かがみは、あなたの本性を白日の下にさらしだす。

結論。
もしあなたが日本人なら、
ウォルフレンの言葉から、精神的な痛みをおそらく感じるだろう。
そして非日本人なら、何も感じないだろう。
日本に生まれた日本人でも、日本的な精神をまったく持っていない人だっている。

反応するかどうかで、その人の本質が分かる文章があるのだ。

この書物は、
灰色の男たちであるところの我ら日本人に、
本音を言わしめるモモの聞く力と同じなのである。

あなたはいったい何者なのだろうか?

読めばわかる!


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