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読書日記・ないんだろうな、きっと。

4月16日(日)

犬にもっと水分を与えないといけないと病院で言われ、しかし何をどうしたものかと悩みながらペットショップに水分補給になりそうなものを探しに行った。ついでにワンちゃんネコちゃんをながめる。トイプードルが58万円で売られていてビックリした。何度も一、十、百、千、万と数え直した。何回数えても580000円だった。

読んでいたのは、蟹の親子さんの『にき』

この日の朝、ずーーーーーーっと欲しかった蟹の親子さんの『浜へ行く』の再販が決まったとツイートを見かけ、急いで予約注文できたので大喜びで『にき』を読み返す。やはり蟹の親子さんの文章が好きだな、と改めて思う。そして欲しいと思った本は、欲しいと思ったときに販売しているのならば迷わずに買うのが一番だと思った。欲しいけれどどうしようかな~なんて悩んでいるうちに本は売り切れてしまう。それが個人で販売しているものならなおさら。売り切れてしまったあとの絶望感を味わうぐらいなら、今月の本代を大幅に超えるぐらい大したことはない。・・・はず。

4月17日(月)

「孤独だと感じるのは、気のせい、自分がそう思っているだけ、生きてる世界が狭い」という投稿を見かけて、なるほどなと思う。ついでに「暇だから」というのもあるよね。暇だと余計なことをアレコレと考えてしまうから。私は暇だろうと忙しかろうと、頭の中がすぐにごちゃごちゃしがちだけど、暇なときのほうが断然おかしなことを考えている自信がある。

読んでいたのは、土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』

土門さんはなぜか「死にたい」と猛烈に思い苦しむことがあるらしく、その苦しみをもう20年以上も抱えているので、カウンセリングを受けてみることにしたらしい。当初、こんなに大変な人もいるのか・・という気持ちで読み進めていたはずなのに、だんだんと「あれ?これはまったく他人事じゃない気がするぞ」と、超絶ネガティブおばけの私は思った。

自分が楽しいと思ったり、喜んだりすることを「してはいけないこと」だと考えて体が拒否してしまう土門さん。そこにはげしく共感できる自分もきっと、同じように自罰的な面が強いんだろうなと思い、土門さんがカウンセラーさんから言われた課題を私も同じようにやってみている。ありのままの自分を受け止める、自分が「気持ちいい」「楽しい」と思うこと(←人が関係しないことで)を書き出してみるなど。
こんなに自分にドンピシャな本に出会うとは思っていなかった。出会えて良かった。

4月18日(火)

初めての習字の授業があり息子が「右手で文字を書いたよ~」と言うので「え???何て??」と声が出た。息子は左利き。習字で使う筆に付いている”指をここに置いてね”という枠を、どうやら右手用に作られたものだと思ったらしく、だったら右手で書かなくちゃ!と判断して右手で文字を書いたとのこと。さぞ書きにくかっただろうにと思っていたら、「左手で書いた文字と右手で書いた文字ね、たいして変わらなかった」と言うので、ちょっと笑ってしまった。もともと箸やはさみは右手で使うので、右手でも文字は書けるのかもしれない。でも今度からは左手で筆を使ってね、と伝えた。息子は「左手を使ってもよかったのか!!」とビックリしていた。

読んでいたのは、東畑開人さんの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

メモしながら再読をくりかえし、ようやく読み終わった。
むかしは近隣の人たちとの連携があったので孤独にもならず、困ったときには誰かが助けてくれて安定があった。しかし同時に不自由さもあった。一方の現代は、個人ががんばるという時代になり、人とのつながりは希薄だけど自由にふるまえるようになった。しかし困ったときでも自分で何とかしなければならないという不安定さがある。

人との関わりが密だった時代は、密なほうがいいという人が多かったのだろうか。それともそれが当たり前だと思っていただけなのだろうか。そして現代も密な関わりは勘弁してほしいという人が多いのか。それとももっと個人が自由に生きようよ!という声が大きく聞こえているだけなのか。自分がどちらを心地よいと思うのか、そこを本当に考えたことが私にはあっただろうか。ないんだろうな、きっと。

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