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『その気遣い、むしろ無礼になってます!』を読んで

自己啓発本やビジネス書は読まなくなったとnoteに書いたばかりなのに、どうにもタイトルが気になって開いた本は『その気遣い、むしろ無礼になってます!』だった。

私はとにかく気を遣う人で、以前は「すみません」が口癖だった。しかしこの「すみません」は、言われた側が悪いことをしたような気持ちになることもあると、何かの本で読み(『その気遣い、むしろ無礼になってます!』にも書いてあった)、今では「ありがとうございます」を口にするようにしている。

しかしである。『その気遣い、むしろ無礼になってます!』には下記のように書かれていた。

口癖のように、何でもかんでも反射的に「ありがとう」と連呼していると、心からの感謝ではなく軽い気持ちだと思われる可能性もあります。

『その気遣い、むしろ無礼になってます!』より引用

自分自身がどう思われているのかということを、きちんと理解することって難しい。けれどもし「ありがとう」を連呼する人に出会ったら、「この人は本当にありがとうと思っているのだろうか?ただの口癖だろうか?」と思ってしまう気がする。そしてそれはまさに自分だと気づいた。

言われて嬉しい言葉は、何度だって口にするほうが良いと思っていた。けれど物事には限度があるのよね。いくら良い言葉であっても、イヤというほど聞かされたらその言葉をイヤになるかもしれない。

『その気遣い、むしろ無礼になってます!』には、あらゆる気遣いが掲載されているのだけど、共通しているのは「やりすぎ」な点。気遣いすることは人間関係に必要なことだと思う。無礼なふるまいを喜ぶ人なんて滅多にいないと思うし。ただ、その気遣いを「やりすぎ」てしまったら、それを不快に思う人も増えるはずで。

善い行いは、どれだけしても足りないぐらいだと勝手に思っていた。「やりすぎ」なんて考えたことも無かった。相手の迷惑になる可能性をあまり意識してこなかった。自分が善意でしたことであっても、それが迷惑だったり不信に繋がったりしてしまうという事実こそ、忘れてはいけない気遣いなのかもしれない。

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