見出し画像

【読書日記】「受け身」じゃない読書

【7月9日(金)】
この日付を書く意味があるのかないのか、小さな問題なのにすごく気になってしまう。けれども日記というのは日付が必要だよね?と思ってみたり。

この日記は「前日に読んだ本の話をする」という趣旨があって。そのためには日付を入れる必要があると勝手に思っているのだけれどどうなのだろう?必要が無いような気もしてきた。

そんなこんなで昨日の読書。図書館で借りている本を先に読まないと、返却期限がやってくると分かっているのに、どうしても購入した本から先に読んでしまう。購入するほど欲しかったのだもの、優先されるのも当然といえば当然か。

今日も古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』をちまちまと読む。ちまちまと読んでいるのは、自分の中に内容を落とし込む必要があるからで、何度も同じ部分を読み返したり、一度読んだ場所に戻ってみたりをくり返しているので、全然先に進まない。これはこれで楽しい。

楽天はこちら

本もただ読めばいいってものではなく、取材するつもりで読むことが必要だと書いてあったけれど、私はよく文字を追うだけの読書をしてしまいがち。そういう自分を反省しつつも、でも読書の「好きに読んだらいいじゃない」という感じもまた好きなんだがな~なんてことを一人思う。

「本を読み終わったら、著者に質問するつもりで読む」。そうすると、何を質問したらいいだろうか、これはどういう意味なんだろうか、といった疑問がわいてきて、「前のめり」で読書が出来るので、真剣に読み進めることが出来るそうだ。

テレビや映画と違って、読書は自分の気持ちや体調がダイレクトに出てしまうものだと思っていて、だから読書が好きと言いつつも全く読めない日も結構あって、それは体調に左右されているわけだけど。そういう部分もひっくるめて、読書って「受け身」じゃないんだよな、といつも思う。

でも私がやっている読書は、文字をそのまま追っていたり、著者の言うことを丸ごと信じたりしてしまうもので、それはそれで「受け身」であるともいえる。

とはいえ、納得できる時ばかりじゃないし、
「これってどういうこと?」
「え??それはおかしくない??」
と思ってしまうことも、たまにあったりする。

批判するほどではなくても、疑問を抱いたときは「受け身」で読書をしていないんだと、ちょっと安心したりもするけれど、この安心って何なのか。疑問に思えさえすれば、それが読書の「正解」というわけでもないだろうにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?