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18歳 皆が飛躍していく

私は現在18歳、一般的には高校3年生の歳である。私は来年からの進路は未定だが、小学校からの同級生の少なくとも半分が就職するという話を耳にした。小学校の時の同級生といっても、超余裕で1クラスにおさまるほどのかなりの少数だが。
この地域はド田舎で、家から楽に通える大学や専門は全くないし、進学校といえる高校もない。なので今の時代の傾向とは逆に、就職の子も多い。
そんなことはどうでも良いのだが、周りは当たり前のように進路を決めていた。そりゃあそうだよなという気持ちと、信じられないという気持ちが入り交じっている。
しかも私の耳に入ってきたのは就職ばかり。18という年齢で社会に出るということがもう、尊敬の意で土下座したくなった。

私のようにうまく学校に通えなかったり精神的に病んでいる人が、初めて周囲との歴然とした差にぶち当たるのは18歳だと思う。
私は小6の後期に人生の暗黒時代に突入してしまい不登校やそれに近いことをしているので、皆が活動している時間に私は何を……と思うことは勿論あった。でも、ここまでハッキリとした「差」にぶち当たったことはかつてない。中学の勉強は平均よりできたし、高校も公立の全日制に進学できた。通信制に転校した時には一段階転げ落ちた気はしたが、3日後に高卒という称号を与えられると思うと、学歴だけを見れば致命的な差ではないと感じる。
同じ「高卒」でも、中身がある意味スッカスカなのが18歳以降の人生に差を生んだ。そうなったのは甘えではなくちゃんと訳があってのものなので、そこに自分を責める気持ちはあまりない(←ここまで来るのにも大変時間がかかりました……)けれど、事実は事実である。

その中の一人に中学時代一緒に保健室に浸っていた子がいる。その子の足を引っ張るのは発達や知的など脳の発達に偏りがあるところなのだと、本人や周りの話を見聞きして思う。彼女は勉強もできなかったし、年齢の割にできることも少なかったので、正直言うと見下していたところがあった。
しかし、全日制高校を無事卒業、車の免許もどうにか取れそうで、就職が決まっているそうだ。思えば昔から自分にとって難しいことにも粘り強く取り組む力があって、ゆっくりだけど確実に成長していた。
勝手に他人の分析をしてひねくれている私なんかよりよっぽどまっすぐで、蔑視していた自分を殴りたくなる(が、今でも私の方が優れていると言いたくなる人間として本当に最低な瞬間がある)。

ついでにまた別の子の姉がとても頭のいい大学に在学しているということも知った。
私は卒業後の進路についてやたら大学進学に拘っているが、親に何百万も払わせる以上、学歴欄が彩られるような大学に進学して、出会いや学びを充実させるのが義務だと思ってしまっている。これは認知の歪みだと思う。
身近でそういう話(地元の先輩が一流大学に進学した など)を聞くと、自分と比較してしまいその歪みが加速するので、できることならば聞きたくない。この時期SNSのおすすめ欄で受験の結果報告が流れてきたりするが、身近でなくともメンタルがやられるので尚更である。耳を塞ぐのではなく自他の区別をはっきりさせる方が筋なのは分かるが、今の私には無理だ。

偏差値の低い大学だとしても親の恩を有難く受け取って、できる範囲で学び楽しむことが、恵まれた環境にいる私ができる最大の親孝行だと分かってはいる。とにかく健康でハッピーで親が死ぬまでに一人前になれれば全く問題ないのに、まだ人生一発逆転できると思っている愚かな自分がいる。昔勉強ができたことなど、都合のいい部分だけを拾い上げて自分を過信し、夢を見ている。

自分の不登校は甘えだと責めるフェーズを乗り越えたので、次のステップは理想と現実のギャップを受け入れてある程度の諦めをつけることだと思う。まぁこの年齢だと相当達観していないと難しいと思うので、まずは人と比べて焦っている自分を冷静に眺めて少し落ち着きたい。今すぐできることの一つとして過去のnoteを読み返すということがある。文章構成にも考え方にも良い変化があって、私は私で少しは成長しているんだと思えて楽になる。

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