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捕縛されたそれら曰く

 これを読み解こうという者に敬意と感謝を。そしてこの一文を介した日にはどうか文明的な処遇を、我々に。

 まず、外見上は我々と酷似しているあなた方がとても高度な文明と知性を有する生命体であり、能力においては我々を遥かに超越しているということを疑っている者は、この中に一人もいない。
 あなた方が我々を誘拐した方法にはじまり、現在、我々を幽閉しているこの空間、内外を隔てる奇妙な隔壁、その一切の原動力・理屈が、恥ずかしながら悉く理解できない。すなわち、我々の故郷にはこれらを扱う技能が存在しない。

 あなた方は、天衣無縫とも言うべき、これまた不可思議な衣装に身を包んでいる。肉体の輪郭に沿うような、おそらくはとても薄手なのだろうが、とにかく無駄なものが極限まで省かれた、形状・材質を思わせる。
 体格は我々と酷似している。顔立ち、胸部、脚部。細かいところまでそっくりである。しかし、我々からすると、あなた方の顔立ちには個体差が少なく、たまに判別が難しい。皆がとても端正な顔立ちをしており、贅肉の省かれた均整のとれた体付きであり、一様の肌をしている。瞳や唇も際立った差異は見受けられない。今のところ、我々にはあなた方の性別すら見分けがつかない。そもそも存在していないかもしれないと議論していたところである。

 あなた方が我々の身体的特徴や生態に興味を持っていることは理解できる。我々に頻繁に接近する何人かは、それが義務や職務なのかは解らないが、我々の肉体を細かく調べ上げ、日頃の所作を細かく観察しているということが伺える。それは我々が他の哺乳類の飼育にあたり、その習性や行動を調査することに似ている。
 我々は自らの行動が生理的欲求に結びついていることを認めなければならない。食事や睡眠や性行動の本質的動機は、より原始的な生命と共通している。しかしながら、刹那的な情動に任せて、何の情緒・思考も挟まずにこれに至る訳ではない。我々の文明にも作法というものがある。何もかも剥ぎ取られてしまえば脆弱な一霊長に過ぎない肉体を、より高度なものに昇華させるための修飾的機能を持つ、所定の動作及び慣習である。
 我々は、我々の文明を主張する。あなた方のそれと多くが異なろうと、故郷では、意志・尊厳を持った生活を営んでいた。完全とは言えないながらも、体系立てられた秩序と自由を享受していた。それをこの檻の内にも再現されることを強く望む。何よりそのための対話を強く要請する。あなた方が我々に興味を持つように、我々もまた、あなた方の生活文化や社会経済に関心がある。

 あなた方もそうではないだろうか、私を含め、ここにいる皆が、裸一貫では実に無力である。進化を外部化することによる発展が、我々の世界が持つ長大な歴史の軸である。すなわち、我々にはものが必要なのである。広く何もない無機質極まる檻にあっては、我々の文明は適切に表現され得ない。
 少なくとも私の故郷においては、食物を手指で直接口に運ぶことはしない。先端に食べ物を握るための形状がついた何らかの棒を用いるのである。その種類も一通りではない。そして食料も原料のまま取り入れることはしない。いくつかの果実や野菜を除いて、何らかの加工を施すことが殆どである。ここに閉じ込められてから与えられているブロックが何を原料としているのか、どのような栄養素を含んでいるのかは解らないが、これが毎日続くことを、ここにいる全員が恐れているという事実を厳正に受け止めてほしい。
 そして我々の精神を最も凌辱するのが、衣服を全く与えられないことである。我々の常識は、局部や胸部を露わにすることを断固拒否する。あなた方も衣服の機能を理解する種族であれば、裸身の羞恥と着衣の安堵を解することは容易なはずである。あなた方と我々は、その骨格に関して大方共通しているはずである。その異様な服が高価なものであれば、羽織るための布で結構である。とにかく、我々の尊厳が息を吹き返すためには、それが必須なのである。
 加えて、この空間も我々にとって不都合なことが多い。長方形の空間は広さこそ充分であるが、仕切りが全くないことは我々の精神を著しく摩耗させる。先述した羞恥の感情によるものである。その他の面でも、我々の文明は何もかもが明け透けの状態を良しとしない。特に上部が解放され、観衆に暴露された状態であることには、憤怒を隠せない。それは我々の社会における権利を持たない生命への扱いに他ならない。
 不満を述べるばかりでは、ここまで解読された方も顔を曇らせるかもしれない。いくつか、あなた方が我々に与えた物についても記したい。まず身体と部屋の清潔である。これが保たれたことで、我々の精神は辛うじて発狂を免れた。
 そしてこの筆記具である。あなた方のうち、まだ幼いと見える一人が、我々の住む檻の内に投げ入れた白い破片をそう呼んでいるが、これのおかげで、我々はあなた方の視覚に訴える方法を手に入れたのである。我々はこの文章に賭けている。あなた方にこれが理解されることを祈念している。
 一つ、確信していることがある。すなわち、あなた方の全員が聾である、ということである。あなた方は口から呼吸以外の音を漏らさない。足音こそすれ、他の方法で音を鳴らすということをしない。そして我々の前で意味ありげな言葉を発したことがない。
 しかし、首は傾げたり、隣の人と目を合わせたりはしていると見える。それは我々が会話をする際に補助機能を委ねる表情やジェスチャーとほぼ同じである。そしてあなた方には間違いなく知性がある。疎通・伝達すべき情報を相互に持ち合わせている。
 以上から導き出した推論は単純で、おそらくあなた方は何かしらの電気信号を用いて、テレパシーの如く会話しているのである。言語を持たないのは情報を伝達する手段たりうる記号をそもそも必要としていないからである。その過程で発声と聴覚は衰えた。もしくは最初から備わることがなかった。あなた方が脳内に走る電気信号から映像を再現し、それをそのまま相手に伝達できるといった、高次な機械のような機能を生まれつき持っているのであれば、合点が行く。
 そして我々は、あなた方の視覚に訴えている。これが最後の文明的手段である。上の文章はいささか複雑であったかもしれない。変に理解し難い修飾や比喩を混ぜ込んでいる。面倒な言い回しなどもしている。ここには意図がある。我々は、あなた方が一秒あたりに送受信している情報量を計り知れない。精細さがいかほどのものか、知る術も持たない。しかし、我々にも情報伝達の作法がある。それはある種の複雑さを以て伝えられる。相互の共通認識に基づく知的営為によって情報を取り扱う技法を心得ている。それが至極単純で、稚拙極まる単純なものであるとは思われたくないのである。よってやや複雑な文章を書き記すのである。

 以下、最も解読しやすい文字を、そして簡潔な要求を再三にわたって示す。
 解放を。文明を。対話を。ここから出して。服と壁を与えて。話がしたい。

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