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美術館だから実現した展覧会。/「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」@国立新美術館

▼正直、古美術は好きじゃないのだけれど。

身も蓋もないことを書くと、古美術は好きじゃない。何が良いのかよくわからない。仏像とか器とかを見て、純粋に楽しめる人が羨ましい。今まで進んでそうした古美術の展覧会に足を運んだことは一度もない。
けれども雑誌好きとして、“作品をどういう文脈で見せるか”にこだわった展覧会は大好き。だから「古典×現代2020」という展覧会タイトルに惹かれて訪問を決意した。2017年に「新海誠展」で訪れて以来の国立新美術館である。

▼古典×現代 マッチングの効果。


今回の展覧会では8種類の古美術と8人の現代アーティスト(しりあがり寿など、必ずしも美術畑の作家とは限らない)の作品が1:1で並べられている。例えば花鳥画×川内倫子、刀剣×鴻池朋子、蕭白×横尾忠則といった感じ。
これはなかなか事件である。音楽に置き換えてみよう。自分の好きなバンドなり、アイドルなりを思い浮かべて欲しい。その人たちがモーツァルトやバッハと対バンするようなものである。これって凄いことだ。今回の音声ガイドでは作家本人へのインタビューも聴くことができたのだけれど、どの方も自分の作品が歴史上の偉大なレジェンドたちと一緒に展示されることを喜んでいた。
もちろんただ古典と現代の作品が並列されているわけではなく、そこに時代を超えた普遍性を見出すことができたり、音やライティングで古典をインスタレーション化したり、引用元とパロディがわかるように工夫されていたりして興味が惹かれるような仕掛けになっている。

▼円空、超カワイイじゃん‼


古典×現代でセットで観たからこそ、印象に残った作品たちについてちょっと紹介したい。
※今回は鴻池朋子さん作品の一部を除き撮影NGだったため、どんな作品か気になる方は公式HPの写真をご覧になることをおすすめする。


若冲×川内倫子「日常をパワフルに切り取る」
人気者・若冲と初対面。今回展示されていたのは「紫陽花白鶏図」という作品。おなじみのニワトリが描かれた作品である。ギラギラと誇張され、本物よりリアルな印象を受けてしまうニワトリの生命力が凄い。カップリングされていた川内倫子さんの作品にもニワトリの写真があった。ニワトリは身近な家禽であるけれど、川内さんの切り取った一瞬の表情を見ていると、何かを話したがっているような気がしてくる。なんてことないように見えて、この表情のニワトリを撮るためにタイミングとかかなり苦労しているんだろうなと思う。
時代は江戸と現代で違えど、日常的な対象物を作家独自の視点で切り取ることで、普段見ている時以上の“生命力”とか“力強さ”を引き出してしまう手法に共通性を感じた。

円空×棚田康司「いやぁ、木彫りって本当にいいもんですね」
木彫りといえば、もらって困るお土産でお馴染みの木彫りの熊(鮭咥えているやつ)のイメージだったので、今回の展示でその認識が改まった。まずその大きさに驚き、それをたった1本の木から掘り出す姿を想像して、なんて労作なんだ!と頭が下がる。時代を超えて現代でも一木造という手法が受け継がれていることにもなんだか感動。
お気に入りは円空の「善財童子立像(自刻像)」。これがめっぽうカワイイ‼手を合わせてニコニコする様はなんとも安らかで癒される。金属でできた仏像だと、どんなに豊かな表情でも冷たい印象を私は受けてしまうのだけれど、木彫りの仏像は温かみがあり親しみが湧いたのだった。

北斎×しりあがり寿「富嶽三十六景 Shiriagari Kotobuki remix」
このゾーンでは、北斎の富嶽三十六景としりあがり寿のパロディ作品が隣同士になっている。北斎の絵がしりあがり寿のボケの前振りになっているという贅沢な空間。個人的に気に入ったのは「アンテナばりだち」という作品。ネタ元は「富嶽三十六景 武州千住」。北斎が描いていた水門がアンテナマークに変えられていて、横には絶景をスマホで撮影する旅人が描かれている。気になった人はぜひググってみて。
今回は絵だけではなく、しりあがり寿の描く北斎(なぜか裸)がダンスするという大変にシュールな映像作品も上映されていた。恐らく北斎目当てで来たであろう妙齢の女性方が神妙な面持ちで映像を見ている風景はなかなかに貴重だった。
加えてしりあがり寿作品の横についているキャプションが面白かった。「紙に鉛筆」とか「紙に水彩」とかはよく見るけれど、「和紙にインクジェットプリント」と書いてあるのは初めて見た気がする。

▼国立新美術館だからできた展覧会。


先日書店で購入した『100人で語る美術館の未来』に今回の展覧会では刀剣とカップリングされていた鴻池朋子さんのインタビューがたまたま収録されていた。鴻池さんは今まで巡回展をする時、コンベンションセンターを借りてやるのと、美術館でやるのとでは何が違うのか考えながら取り組んできたという。その上で、美術館も自身の表現についてこだわっていった方が良いのではないか、というようなことを書いていた。そうしないとお金を稼いでいるようなアーティストは自分で大きな会場をおさえて企画するようになり、美術館から離れていってしまうと警告もしていた。
私も今回の展覧会が幕張メッセや東京ビックサイトではなく、新国立美術館でやる意義を考えた。そこでふと思い出したのが、学芸課長の長屋光枝さんのインタビュー記事だった。以下、少し長いが引用したい。


「本展覧会のような、古いものと新しいものを一緒に並べる試みは、過去に例が無いわけではありませんが、珍しい企画と言えます。こうした展覧会の実現を難しくしている理由のひとつに、古美術と現代美術の展示環境の違いがあるでしょう。平安時代の刀剣を筆頭に、鎌倉時代の仏像、江戸時代の掛け軸や浮世絵版画、陶器など、長い時間を生き延びてきた貴重な造形物が数多く展示されています。古美術の展示環境や展示期間には、厳しい制限が課せられます。
 理由は、そうした作品が、高温や多湿、あるいは乾燥、温湿度の急激な変化、照明などに対して、たとえば現代美術と比較したとき、はるかに脆弱(ぜいじゃく)だからです。作品を安全に保つために好ましい展示環境の条件は、作品の状態、材質や技法などによって違いがあり、現代美術の展示に対する考え方と矛盾することもしばしばです。」

引用元:「湿度、照明…古今の展示環境の違いに苦心 「古典×現代2020」展実現までの軌跡」(2020年9月1日)

つまり古美術は劣化を防ぐためにかなりの注意を要するということである。これは専門的なノウハウがない個人にはかなりハードルが高く、美術館だから実現できた企画と言えるのではないだろうか。そもそもそんな厳重な取り扱いが必要な作品をおいそれと貸し出してはくれないだろう。恐らく“国立”新美術館という信頼があるからこそ、作品が貸し出され、こんなユニークな展示が実現したのではないかと思う。だから「古典×現代2020」は国立新美術館だから実現できた展示なのではないかと私は思っている。

ちなみにアーティゾン美術館で11月から「琳派と印象派」展が開催されることが予告されていて、今後もこうした古典×現代の展覧会は増えていくのではないかと思う。次はどんな古美術を発見できるのか楽しみだ。

参考文献
福原義春『100人で語る美術館の未来』慶應義塾大学出版会 p.180-182

以前、書いたアーティゾン美術館の訪問エッセーはこちら。この開館記念展も古典×現代な展示だった。

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