山羊さん

映画や読書、時々スポーツが好きです。昔に風景写真にはまっていたこともあるので写真も好き…

山羊さん

映画や読書、時々スポーツが好きです。昔に風景写真にはまっていたこともあるので写真も好きです。エッセイや映画を観たことや読書をしたことを紹介したいと思います。

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  • エッセイ集

    今まで書いたエッセイです。良かったら読んで下さい。自然のことや心の内に残ったこと日常のことをあるがままに書きたいと思います。

最近の記事

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朝の景色を一人のものに。

 遮光カーテンに遮られた部屋の電気をつける。外はまだ薄暗い。僕は、日課のための散歩のために早起きをしているのだ。ベッドから起き、身支度を始める。髭をそり、顔を洗い、服装を整える。部屋のカーテンを開け、まだ薄暗い外の光を部屋に届ける。僕はスマホに手を伸ばし、イヤフォンを耳に入れる。歩く時、好きな音楽を聴くためだ。   好きな音楽が始まる。家の前で軽い体操をすると歩き始める。歩き始めると僕の一時の自由が始まるような気がする。頬に触れる風が心地よい。家並みが朝焼けに反射している。

    •  映画『グリーンブック』差別と友情の物語

       映画『グリーンブック』を観た。  この物語は、実話に基づく話しだそうだが、一言でいって差別と友情の物語だろう。  差別とはどの国にもあって非常に難しい問題であることは自明だろう。僕もマイノリティとして差別を感じることはある。差別というものは魔物ように根深い。この映画でも表現されているが黒人差別もその代表格といっていいだろう。トニーリップも最初は黒人差別主義者だった。家に来た黒人工事業者の使ったガラスコップをそのままゴミ箱に捨てるシーンは印象的だ。同じ人間に扱われないそれは

      • 映画『シェフ 三つ星フードトラック始めました』を観ての感想 

         今度は映画『シェフ 三つ星フードトラック始めました』を観た。スートリーはwikipediaなどでも詳しく出ているので参照していただきたい。  本編は全編にわたって楽しい映画である。家族のハートフルコメディと言ってもいいかもしれない。  特に父と息子の触れ合いは観るものの感情を温かくするだろう。ここで出て来る息子パーシーは10歳なわけだが、父性を欲していて、そんな息子が夏休み中父親を手伝いながら逞しくなっていく姿は微笑ましい。(子育てに必ずしも父性が必要かは疑問が残るが、

        • 昨日もキャンプ場で過ごした話し。

           夕刻を過ぎ僕は、予め用意していた焚き火台に火を点けた。辺りは暗くなりはじめ焚き火の明かりだけが僕を照らした。僕は、薪を上手に調整しながら火を安定させ続けた。時に鳥の鳴き声が聞こえる。風はない。煙が上空に上がっていく。  長持ちする広葉樹の薪を一本一本くべながら、僕は焚き火を楽しんでいる。炎の癒やし効果というのか次第に癒やされて行く自分を感じながら、僕は薄曇りの夜空を時折眺めていた。  夕飯は前もってガスコンロで作っておいたカレーライスを焚き火の合間に食べた。味は大成功でとて

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        • エッセイ集
          33本

        記事

          久し振りに映画を観た話し。

           久し振りに映画を観ました。二本観て、一本目は『Coda あいのうた』二本目は『正欲』を観ました。  『Coda あいのうた』は、ろう者の家族の中に一人の健常者家族のヒューマンドラマ、主人公ルビーの懸命さが心を打つ。  『正欲』は、普通の価値観では、生きられない人々のはなし。新垣結衣が最後に稲垣吾郎と対峙して言う伝言の前提に注目。  本当に久し振り映画を観たわけだが二本とも面白かった。『Coda あいのうた』は僕が障害者というだからというわけではないが健常者と障害者家族

          久し振りに映画を観た話し。

          「ANOTHER TIME」

           今、部屋に響き渡っている音楽はビル・エバンスの「ANOTHER TIME」というアルバムだ。テレビは詰まらなく暇を感じてきたので音楽に切り替えた。僕は、noteに向かいエッセイを書こうとしている。今日の出来事だろうか。  天気の良い今日僕は、予定通りドライブに出掛けた。隣県の道の駅を目指してのドライブだったが、好天に恵まれたことは幸運で心地の良いドライブになった。ドライブの間中行き交う車たちは、どこかこの春の陽気に浮かれ楽しそうな気配を醸し出していた。道の駅に着くと家族づれ

          「ANOTHER TIME」

          アイデンティティーと小説について少し考えてみた。

           アイデンティティーと小説はどのような関係にあるのか。ここでは、僕が出会った本から抜粋して考えて行きたいと思う。  ここでは、日本文学におけるアイデンティティーという定義を明確に大江健三郎はしている。つまり「われわれは(自分は)、どこから来たのか?どこへ行くのか? そしていま、どこいるか?」である  島田雅彦が言う「私は何処から来て何処へ向かうのか?」は大江健三郎が定義した、「われわれは(自分は)、どこから来たのか? どこへ行くか? そしていま、どこへいるか?」とアイデン

          アイデンティティーと小説について少し考えてみた。

          昨日、今日、明日

           昨日の夜、高橋源一郎のラジオを聴いていた。動物言語学という聞き馴染みのない言葉を聞いた。比較的若い学者がゲストで出演していて、小鳥の(種類)はなんだったかなあ、小鳥には言語があることを説明していた。言語とは人間特有のものと考えていた僕としては新鮮な学説として面白かった。  昨日の夜、今日と部屋でゆっくりと過ごしている。音楽を聴いたり、本を数ページ読んだり、YouTubeを観たりと何だかゆっくりだ。昨日の夜はカレーを作ってみた。上手く作れたが作りすぎたので今日もカレーになり

          昨日、今日、明日

          晴れのち桜(仮)続き

           幸一は、聡と早く咲き始めた桜をいつまでも眺めていた。空は晴れていて春の日差しは二人に降り注いでいる。まるで、幸一の病んでいる心を癒やすかのように……。 「幸一」 まだ、五分咲きの桜を眺めながら聡は幸一の名前を呼んだ。幸一は、もう一度、聡の顔を見直した。 「なんだよ、分かってるよ、でもさ、やっぱり精神病に対する偏見は厳しいんだよ。君ら、健常者とは違うのさ」 幸一は、どこかよそよそしい顔を聡に対して浮かべながら桜の木の下に立っていた。聡は返す言葉もなくただ、一緒に桜を眺めるだけ

          晴れのち桜(仮)続き

           窓外

           カーテンを開けた。今日も晴れている。晴れすぎているくらいに。僕はテレビを点け、上がらないテンションを野放しにしながら、机の下の引き出しにしまってある煙草に手を伸ばした。煙草は煙を上げた。煙草は今日始まるつまらない日に彩りを与えてくれるのだろうか。  僕は、半信半疑な気持ちになり窓外を見上げた。雲が見当たらない空を羨んだりもした。テレビでは、世界情勢が伝えられている。世界の人は何を考えているのだろう。平和な国、そうでない国、お金持ちの国、そうでない国、僕は想像を膨らませる。

           学校教育について考えてみた。

           学校教育は戦前は戦中は、軍人を育てるための教育を行い、戦後は民主主義教育となるが、高度経済成長期は画一化された教育することで生産性をあげる労働者を育てる教育を中心に行われてきたことは自明だろう。  失われた三十年といい、今現在といい学習指導要領を確認しているわけではないので今、どんな人間を育てようと学校がしているのかは僕の知りうるところではないが、生きる力とか、グローバリズムに対応する力とかはこの間流行っていたような気がする。   果たして、国策として生み出す人間像は正しい

           学校教育について考えてみた。

           キャンプな日

           昨日、朝起きると晴れていた。僕は、安価なキャンプ道具を積み車を走らせた。道中の道の駅によりソフトクリームを食べるとキャンプ場までまた一時間車を走らせた。天気はすこぶる良い。暑いくらいだ。春の花々は咲き、部屋に籠もっているときの気分を一掃してくれる。田舎道を走るスピードは少し速すぎるくらいに僕のアクセルを踏む力は入っていた。  一時間あまりで僕はキャンプ場に着くと受付を済ましサイトへと車を走らせた。キャンプ道具をおろし早速テントを張った。確かに暑いくらいだった。僕はTシャツに

           キャンプな日

          本を読む時間が取れない。

           最近、本を読む時間が取れない。いや、取ろうとしてないのか、 本を読むという行為は最近の僕にとっては中々難しい、何故だろうか?   幼い頃から習慣化されたものではなかったから、最近読むという行為に 飽きてきた。といったことが難しくさせているのだろうか。とにかく、僕 にとって本を読むという行為は最近難しくなっているのである。  さて、それを打開するための方法として何があるか。 ①暫くは本からは距離はおき自然と読みたくなるのを待つ。 ②それでも毎日一ページでも良いから

          本を読む時間が取れない。

          晴れのち桜

           晴れた日の空に桜の花びらが舞っている。幸一は、仰いだ空に春いっぱいの空気を感じ心地良くなった。幸一は、桜を眺めては心を落ち着かせていた。幸一は心に病を抱えている。それは、もう十年にもなる戦いだ。 「幸一、桜は好きか?」 友人の聡が話し掛けた。 「ああ、好きさ」 「なぜ?」 「綺麗に咲けるからかな」 「きみだって、綺麗に咲けるだろ」 「僕は無理だよ、心の病はそう単純じゃない」 「無理じゃないよ」 「それは、建前さ」 「心の病にはいろいろな弊害があるからね」 幸一は寂しげな表情

          晴れのち桜

          春の雨

           早くに目が覚めてnoteを書いている。今日は朝早くから雨音が部屋に響いている。静かな部屋にテレビを点けると雨音だけの部屋にもうひとつの音が広がっていった。雨の日の空気は何処か違う。僕はその空気を窓外に感じては、思いっきり吸った。確かに晴れの日とは違う空気の層は僕を落ち着かせた。  僕は、落ち着いた気持ちで、noteを書きながらテレビを聞くことになった。テレビではニュースが始まり、今日の始まりを感じさせた。春の雨の日に今日はどんなことが起こるのか、楽しみな日となった。

          自由ということ。

           僕にとっての自由とは、「こうあるべきだ」からの脱却の一言に尽きる。「こうあるべきだ」とは何か、それは、道徳でもいい倫理でもいい、法律や施策、学校の先生の言うこと、親の言うこと、と多義に渡る。そういったもの全てからの自由を手に入れること、つまりはリベラルな考え方になることは程度の差こそあれ、僕にとっての自由であることと言える思う。  僕は、こう見えて中立を保持している。伝統を大切にもし、親の言うこともそれなりに聞くし、必要とあらば道徳も守る。「こうあるべきだ」は生きる上で大事

          自由ということ。