鈴丸カエル

1960年生まれ、高度経済成長、核家族の中一人娘として成長し結婚、出産、子育てやっとの…

鈴丸カエル

1960年生まれ、高度経済成長、核家族の中一人娘として成長し結婚、出産、子育てやっとの思いで親を見送り、人生色々、山あり谷あり経験と感動を味わってまいりました。 私が生まれてから今までの事、そしてこれからも「今日も我が家は」とその時感じたさまざまな出来事を綴ってまいります。

最近の記事

私と日本の神様

「今日も我が家は」 お伊勢参り 2013年 第62回 式年遷宮が行われた。 母を見送り、父をやっとの思いで見送る事が出来た中で行われた式年遷宮。 私には縁が無い事と思われておりましたがその年の暮れ近くで友人が旅行案内を手に私の目の前で申し込みをしていた。 「お伊勢参りと菜花の里イルミネーション」のツアーだった。 概要を聞くと私も一緒にどう?と誘ってくれたのでした。 そしてそのチラシをくれたのでした。 私も色々あった。 だから新年は、今年こそ良い年にしたいと・

    • 私と日本の神様

      「今日も我が家は」 鷲子山上神社 とりのこさんじょう神社 こちらは茨城県 常陸大宮町と栃木県 那須那珂川町との県境にある神社で本当に山上にあるのです。 別名フクロウ神社と呼ばれていてよく宝くじが当たると有名らしいのですがある時から私はこの神社が好きになり行くようになりました。 最初はやはり宝くじが当たると有名らしいと言う気持ちが強かったのです。 でも元々、フクロウが好きと言うのもあり那須烏山に抜けて行く道が心地よくて帰りに幾つか寄れる道の駅が魅力的だったのです。

      • 私と日本の神様

        「今日も我が家は」 宇都宮 二荒山神社 (ふたあらさん神社) どちらかと言えば私は幼い頃より、神様という存在を信じていた訳ではありませんでした。 ただ、畏敬への思いというか、自然の中に宿る自然そのものに対する森羅万象、自然信仰の様な考え方みたいのは元々あったように思うのです。 なので、成長過程の中でであうキリスト教会への憧れはありました。 仏教 = 御葬式 のイメージが強くて余り関心を持たなかったし、世界の中でキリスト教だけでなく同じ宗教の中で分裂し同じ神様を信仰

        • Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

          「今日も我が家は」 時の深淵 やっとその場から離れられた私は娘に「あそこのベンチに居るから、私○○○ (仙台にいる義弟の娘)に電話して来るから!」と少し離れたところで電話をしたのでした。 ちょうど見計らったように義妹から携帯に電話が入っていた・・・ 私は無視することにした。 今、出ることは出来ない、でも、きっと彼女は何か感じていると確信したのでした。 結婚した義弟の娘とその夫は防衛医大を卒業後,仙台の夫は航空自衛隊勤務,彼女は陸上自衛隊勤務で先日も東京にもどり義妹

        私と日本の神様

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

          「今日も我が家は」 「南六号三丁目」 次の日、9月27日は主人も恒例の月末がお休みであのハガキの場所へ行ってみようという事になったのでした。 娘も学校を休んで参戦してくれると言った。 息子は先日、仕事を無理矢理休んだので今回はやめておくと言った。 「ママは今回は家で休んでな!」と言われたが居ても落ち着いていられないと思い、足手まといにならないようにするからと行く事に決めているのでした。 義妹からは、あの高額な探偵を雇ったと連絡があった一日5万とか6万と言っていたよ

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

          「今日も我が家は」 江ノ島へ ファミレスを後にするとまるでガソリンを入れたみたいに元気になった家族だった。 時間は9時を周りあたりは漆黒の闇で見渡しても波の音だけが聞こえて不安になるのでした。 もう昼間のようにチェックして歩くことは危険と感じて目の前のシルエットが浮かぶ江ノ島を目指すことにするのでした。 細い道を奥まで入り階段の下まで来ると銀行、そして商店街の手前で邪魔にならない所へ駐車した私は運転席で待機するように言われた。 おそらくここは江ノ島神社の参道である

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

          「今日も我が家は」 義弟の失踪 宇都宮から東北道、首都高から油壺に向かって車を走らせる、この狭い空間に家族が4人が乗り合わせるのは義弟の長女娘の結婚式以来だね。と・・・ いつも、家族揃うといつも独特なパワーが宿るような気がしているのです。 以前にも主人がビンテージのギターでトラブルになりそうな時にも娘と息子がタッグを組み危機を脱した事があるのです。 私は昨夜の夕食の時を思い出していた。 気が付かなかったが娘も息子も今日の為に娘は義弟の長女に、息子は義弟の長男に寄り

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

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          「今日も我が家は」 スピリチュアルな人 義弟の失踪で我が家は緊急会議が開かれるのでした。 大宮に居る娘も学校を休み帰って来てくれたのでした。 彼女は帰ってくるなり私に「Pちゃんに連絡した?」と聞くのでした。 「いや、して無いけど・・・」と私。 「分かった!私、連絡するから」と娘。 そして主人が帰ってくると明日から月末の休みになるからと言うのでした。 私は久々に揃う家族の夕飯の準備に入るとそれぞれがどこかに連絡をとり始めるために部屋に入るのでした。 そうだ、そ

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

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          「今日も我が家は」 延命措置 私もいい加減、子離れしなければいけないと感じておりました。 何時も子供達がいてくれている環境を当たり前にしてはいけないと思うのでした。 この頃の父はやっと居心地の良い施設に巡り合うことが出来て、これから少しでも快適に過ごしていけると思っていた矢先の事、肝臓癌が見つかるのでした。 施設の皆さんに親切されて喜んでいた父 担当して下さった医師と検査の結果を見ながら手術はしない事にして施設の方も緩和ケアと看取りを申し出てくれたのでした。 (この

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          「今日も我が家は」 3・11それから・・・ それからは父の世話と実家に取り残された猫ちゃん達の世話を続けておりました。 時に主人が猫ちゃん達の世話をかって出てくれて助かるのでした。 3・11は酷い爪痕を残して東北の人達にこれでもかと言う様に原発の問題まで押し付けるのでした。 私の中で想定外と当たり前という概念は崩れ去るのでした。 それでも人は生きていくしかなくて、多くの東北魂に救われておりました。 私は東北に向かう友人に物資を委託する事ぐらいしか出来なくて情け無

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

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          「今日も我が家は」 事の始まり それは2010年の5月の連休に入る数日前の事だった。 相次いで私の両親が入院することになったのです。 父は8年近く前より脳溢血の後遺症のため半身不随となり母は自宅介護を私は通いでそのサポートを続けておりましたが母も私も先の見えない介護で溜まり続けたストレスがあったのだと思うのです。 母は元来、看護師バカで私の言う事など聞いてくれる人では無く自分の判断が常に正しいとと思っている人なので、朝方から具合が悪かった父を「血糖値が下がったからだ

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          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          「イッツ、ショータイム!」Yさんがステージを指した。 ステージが明るくなりカーテンが一気に開いたのでした。 大きなミラーボールにスポットライトがあたり光のかけらが散りばめられキラキラと輝き光の紙吹雪が舞っているのでした。 オープニング No.は  チェイスCHASE/Get'it on 管楽器中心の迫力あるサウンド 私は胸に手を当て鳥肌が立つほど驚いているのでした。 管楽器と共にかなりギターがフューチャーされて曲の後半、彼のアドリブ、そしてあのお決まりのフレーズで

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          その頃の私は街に出て生徒指導をする先生を警戒していたが出会う事はありませんでした。 一度、仕事場での彼がどうしても観たいとワンステージだけ見せてもらった事がありました。 とても好奇心旺盛だったのです。 それは平日の特別なステージのない日が選ばれたのです。 居酒屋の厨房を抜けて大将にご挨拶。業務用のエレベーターへ、裏階段からエンパイアへ何処か湿気を含んでいて何時もの感じじゃ無い空気を漂わせていて何やら床がキラキラしているのでした。 そして、クリームのようなバニラの独特

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          私は中学生の頃からロックバンドの「Queen」が大好きだった。 日本人の私と同世代の女子のファンがQueenを支えたと言っても過言では無いと思っているのです。 高校入学の新しいクラスメイトの中にあらゆる私物が黄色いタータンチェック(誰かのテーマカラーなのだろう)のチンと呼ばれる女の子がいて 「S・A・T・U・R・D・A・Ynights!」と毎日、叫ぶように歌っているのです。徐々にベイシティ・ローラーズ ファンが彼女に感化されて増えていくのでした。 どちらかというと「KI

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          高校生活も2年目の秋を迎える頃、交互に開催される運動会か文化祭は今年の秋は文化祭になっていました。 美術部では男子部と共同で生徒による展示会を企画して準備をしていたのです。 それは革新的な鍋ちゃんと私で試みた企画だったのです。 かつて男子との共同制作などした事が無かったのでとても刺激になったのでした。 もちろん、鍋ちゃんも、数人の部員も作品を出してくれ、様になったのです。 私は別枠で何処で私がバンドを組んでいると知ったのか?知らない他のクラスの子からガールズバンドの

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

          鈴丸 カエル🐸 1960年生まれ 高度経済成長期に核家族化の初めの頃、共働きの両親の元、一人娘として成長し70年、80年を青春を応歌し結婚、出産、子育てをしてやっとの思いで両親を見送り、人生、山あり谷あり、予期せぬ出来事にも巻き込まれて様々な経験と感動を味わって参りました。 主人や子供達に囲まれて私が生まれてから今までの事、これからの事を拙い表現でありますが「今日も我が家は」とその時感じた出来事を綴ってまいります。 ・ ・ ・ 時に遥か昔、私の高校生時代に想いを馳せ

          「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)