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「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)

鈴丸 カエル🐸

1960年生まれ

高度経済成長期に核家族化の初めの頃、共働きの両親の元、一人娘として成長し70年、80年を青春を応歌し結婚、出産、子育てをしてやっとの思いで両親を見送り、人生、山あり谷あり、予期せぬ出来事にも巻き込まれて様々な経験と感動を味わって参りました。

主人や子供達に囲まれて私が生まれてから今までの事、これからの事を拙い表現でありますが「今日も我が家は」とその時感じた出来事を綴ってまいります。



時に遥か昔、私の高校生時代に想いを馳せる時があるのです。

何故なのだろう、決して学生生活が楽しく幸せな時間では無いと感じていたあの頃、私は時代にも大人にも学校にもその校則にも宗教にも反発して鬱屈した塊を放つための矛先を求めていたように思うのです。

勉強は出来なかったが無事卒業を目標にしていたのです。

時々、くだらない校則違反で学校をやめていったクラスメイトと同じ事にならないために気を使っていたのですが、それらもバカバカしく感じて教師が発する言葉一つ一つに静かにイチャモンを付けているのでした。

勉強には興味は無かったし、何のための勉強なのか理解していませんでした。

滑り止めで入学した私立高校の規則は厳しいものでした。

なかでも、マンモス校と言われたその高校は幼稚園から小等、中等、高等とあり場所を変え大学まであり、特に甲子園にも例年選抜される事が多くてその在り方がまるで学長の政治資金調達の様に感じてただ流されていたように思うのです。

校門を入ると右に男子部、左に女子部に分かれ男子の頭髪は全て坊主、女子はショウトカットかおかっぱか三つ編みに統一されている。

制服も決まりがあって、その為の指導の先生がうろちょろしているのです。

昇降口を上がって正面、階段の踊り場で長い物差しを持ち(スカート丈を測るため)女生徒を殴っている体育教師を見て(今では考えられない事)だがその理不尽さに眉を顰めたのです。

そしてただ生徒を卑下してグダグダ文句を言う「どうせお前らは・・・」が口癖の老害教師の国語の授業はとても意味も無いものに感じられて我慢がならなくなり他の事をして過ごして見つかり殴られたのでした。

「きっと、退学だ。」と思った。

事を聞きつけて焦った担任は「何故?あなたが?」と言い「一緒に謝るから来なさい!」と言った。

「謝る?」と思ったがやはり退学するのは嫌なので仕方なく老害教師の元へ、すると私を殴った教師は落ち着が無い様子で私の謝罪を受け入れた。

「あんなの、授業じゃない!」と帰りしな怒りを担任に向けた。

「しょうがないでしょ!でもダメでしょ!」と呟く様に言ったのです。

「何がしょうがないのか?何がダメなんだ!」と激オコプンプン丸だったのです。

担任は老害教師がどんな授業をしているのか知っている様だった。

「くだらない、なにもかもくだらない」と感じ怒りが湧いてくるのでした。

私は自分の中の正論をぶつけていただけなのかもしれない。

担任にしてみれば勉強のできないミソッカスの様な私のその態度に驚いている様子なのでした。

どこかで「どうにでもなれ」的な感じがあり、その年の夏休みあたりから主人と付き合い始めていたので少し浮かれていたのかもしれないのです。

もちろん校則は男女交際など認めていないのでした。

その頃、親にも付き合っている事がバレて母のおばぁちゃんを見張りに数日間学校を休む事になるのでした。

正に逆効果でしか無かった。

両親はいつまでも学校を休ませておく訳にいかず説教をして仕方なく送り出すことに・・・私は聞いているふりをして心の中でベロを出しているのでした。



ただ、学校生活の中での美術部の活動は唯一楽しく先輩や同級生達は大好きなのでした。

なかでも中等部の最上階にある部室(美術室)奥の小部屋には、世が世なら鍋島藩直系である御殿様がいてニカワを煮て独特な匂いをさせながら50号はある日本画を描いているのでした。

そこらじゅうに岩絵具と絵筆があり、描くための資料が積み上がっているのでした。

私は密かに親しみを込めて何時もは鍋ちゃん。心では「おバカ殿」と呼んでいたのです。

鍋ちゃんの部屋は八畳ぐらいのスペースでニカワを煮て独特な匂いがする部屋でその側にはスルメと焼酎もしくは日本酒が置いてあり、誰かと呑んでいるだろうコップが置いてあるのでした。

「いつ?誰と呑んでいるのだろう?」と思ったが中等部という高等部から離れた異質な空間がそれらを許している様に感じたのでした。

そしてその場所が特別で私は大好きだったのです。

鍋ちゃんは引き継ぎで部長になった私を何時も尊重してくれて、大概の私の要望は認めてOK!してくれるのでした。

そして、「お前はどう思う?」と聞いてくれるのです。

ある時、中等部の生徒が何かは忘れたが貸して欲しいと先生を呼び出した。

すると私に向かって「どうする?お前が良ければお前が決めろ。」と言うので私が許可したのです。

用事があって先生を呼び出すといきなり部屋から飛び出して来て図鑑の様な魚の絵を指差し、「お前はどれが好きか?」と聞くので当てずっぽうに「これかな?」と指差すと「それはお前に似ている!」とそして「飛魚はどうやって泳いで飛び上がるのか分かるか?」と言うのでした。

そしてその飛魚が泳いで飛び出している様を形態模写して走りまわるので私も後についていくのでした。

それを面白がって何人かの部員が後につくのでした。

また、ある日はエイの時もあった、「エイも飛び上がるんだぞー。」と教室を鳥の様にはためかせ泳いでいる様だった。

「センセー、そりゃマンタじゃないですかー?」と私。

「マンタかー、そりゃいいなあ。」と鳥の様に動き回り部屋に帰って行くのでした。

鍋ちゃんは不思議な先生なのでした。


デッサン用の果物が腐ってると言うと

「どこが?何が腐ったぁ?」と言うので

「もう、捨てますよ!」と処分するタイミングが私なのでした。

時に匂いがしてヤバイ時もあるのです。

機嫌の良い日の鍋ちゃんは何をしだすかわからないのでした。

そして「○○は何が好きなんだ?」と唐突に聞いて来る時があり、「○○かなぁ〜」と言うと「そうか、それはお前に似ている!」と言うのでした。

基本、彼の中で好きなものは自分に似ていて腐っているものを何をして腐るというのか?という考えなのらしいのです。

それから他の生徒が何かを借りに来ると部屋の奥から「○○がよければいい!」と言うのであった。

美術室は他の部署から借り物が多いのてした。

「さては、雑用を押し付けたな!」と思ったのです。

準備をして手渡すのも、返還されてチェックして片付けるのも私の仕事になったのです。

ある時、トントンとドアを叩く音がして何か?借り物か?とドアを開けると、あの物差しを持った暴力教師が立っており青白い顔で「鍋ちゃん居る?」と言ったのでした。

鍋ちゃんの部屋に案内すると「どうしたの、顔が引き攣ってるよ。」と友人に言われたのでした。

「ハァ、ビビったぁ」と私。

「ヤバイよ、何かあったのかしら。」と

どうやら鍋ちゃんの部屋は教師の駆け込み寺の様だったみたいと推測していたのです。

            つづく

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