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「今日も我が家は」(ノスタルジック・エンパイア)




「イッツ、ショータイム!」Yさんがステージを指した。

ステージが明るくなりカーテンが一気に開いたのでした。

大きなミラーボールにスポットライトがあたり光のかけらが散りばめられキラキラと輝き光の紙吹雪が舞っているのでした。

オープニング No.は
 チェイスCHASE/Get'it on

管楽器中心の迫力あるサウンド

私は胸に手を当て鳥肌が立つほど驚いているのでした。

管楽器と共にかなりギターがフューチャーされて曲の後半、彼のアドリブ、そしてあのお決まりのフレーズで一曲目が終了したのです。

「ヤバイ・・・マジもたないかも・・・何が?・・・」

楽器の出来る方たちは本当にずるい。

いつも思う、一瞬で人を魅了することができて本当にズルイと思うのです。

次々とシカゴのナンバーが 「長い夜・素直になれなくて・クェスチョンズ67&68」

バンド・マスターがタクトを振るい、曲が終わるとサックスを片手に持ち替えてご挨拶。

マイクを持ち曲の説明と少し近況報告。

割とこの頃、ギターを中心にした曲が多くなって彼がフューチャーされる事が多くなったのです。

リズム隊が(ドラム、ベース、ギター)鍛えられて外部の営業は演歌が主流でしたがエンパイアの仕事が楽しくなってきたと彼は言ったのです。

側から見てもバンドマスターに期待されているようだった。

そして「テイク5・テキーラ」と続いたのです。

テキーラの時、バンドマン全員がテキーラと叫ぶ時があり、ドラムのC田さんが思いっきり下ネタを叫んでるのだ。

Yさんも「まただよ。」と溜め息。

でも、お客様には受けている様なのでした。

バンマスが曲の終わりに「C田、いいかげんにしろ!」と客席から笑いをとっている。

「C田さんは朝に待望の女の子が生まれて嬉しさで気が変になってと許してあげて下さい」とコメントすると「おめでとう」の声が上がった。

そしてバンドのメンバーが紹介され一人ひとり立って御辞儀をしていく。

Jazz のスタンダード Noを数曲やり、今度はサンタナの 「哀愁のヨーロッパ」が演奏されると何組かのカップルがステージ前にでてダンスを始めたのです。

やはり、スローナンバーでもかなりギターがフューチャーされていると思ったのでした。

「君に捧げるサンバ」「ブラックマジックウーマン」とスローナンバーが続き、そろそろ1ステージが終了が近づくと「慕情」が演奏されるのでした。

ステージライトが暗転しミラーボールが戻されるとステージの幕がおろされたのです。

しばらく拍手が収まると客席から歓談するざわめきと笑い声に替わり、彼が私を迎えに来た。

1ステージ終了後、彼の休憩時間にバス停まで送ってくれるのでした。

私は皆様にお礼を言うと緊張して外へ、そこは、夜の繁華街、制服姿の女子高生など居なかった。

今では塾や習い事などで見かけることはあるけれど当時はありえない事でした。

すると、もし家にいるかもしれない家族に言い訳けを考える。

でも、きっと猫の「お兄ちゃん(当時愛猫の名前)」だけが出迎えてくれたらどんなにいいか?いやそんな事は無い!

いつまでこんな事していなくてはいけないのだろう・・・
どうすれば、この煩わしさから解放されて自由になれるのか?絶望感が襲ってくる。

家族の事が嫌いなわけはなかったが、特に母親の価値観に縛られてきた私は何が正解で何が違うのか?分からなくなって来ているのでした。

親の否定的な夜の世界の人達は彼を含め決して道から外れている人などいなかっのでした。

ただ、両親の心配からそうしなければならなかったのは仕方なかったのだと思うのです。
親としたらたまらない気持ちだったのだと思うのは理解できた。

現実的にそう思わせてしまう事の紙一重の危うさも実際にあるからだった。

帰りの客数の少ないバスの中で現実逃避したい気分なのでした。

私はあの時(高校生)以来、人がどう意見しようとしても自分のフィルターを信じて判断する事にしていたのです。

私の幼い恋愛は私を成長させてくれました。

両親に理解を求めても要らないエネルギーを消費するだけの毎日に流されていくしかなかった。

その後、バブルが弾けて街の中の大きな飲食店は次々と終焉を迎え、華やかだったキャバレーも静かに消えていくのでした。

彼はそれまではギターと共にして参りましたが、覚悟を決め数年間離れたことがありました。

その事でどれだけ私は心を痛めていたでしょうか・・・あれほどにギターに情熱を注いでいたのにと。

彼と私の周りが徐々に変化していくのでした。

それから私達は8年の月日をかけてなんとか結婚する事が出来て子供達を授かり今日まで生きてくる事ができました。

彼と共に生きていくのは大変でした。
けれど、彼と子供達が居ればそれだけで良かった。

様変わりして行く世の中を消えゆくものを追って干渉に浸る暇など無くて、ただ一日、一日、乗り越えてきた様に思うのです。

しかし、不思議なもので今、現在彼はギターと共にし生業としています。

今、ふとあの頃を思い出す時、私の周りの大人達はみんなキラキラしてイキイキしていたように思うのです。

私が目にしていた世界が夢、幻だったのでしょうか?

今、しみじみと考えにふけるとジーンと懐かしく愛おしい思いが蘇って来るのです。

「ノスタルジック・エンパイア」
      宝物のような時間。

            終わり

このもの語りは私が18歳の頃のお話しです。

今となっては遥か昔の経験を思い出して書いているので間違いが多々あるかもしれませんがどうぞご容赦くださいます様お願い致します。

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