私と日本の神様no1
「今日も我が家は」
宇都宮 二荒山神社
(ふたあらさん神社)
どちらかと言えば私は幼い頃より、神様という存在を信じていた訳ではありませんでした。
ただ、畏敬への思いというか、自然の中に宿る自然そのものに対する森羅万象、自然信仰の様な考え方みたいのは元々あったように思うのです。
なので、成長過程の中でであうキリスト教会への憧れはありました。
仏教 = 御葬式 のイメージが強くて余り関心を持たなかったし、世界の中でキリスト教だけでなく同じ宗教の中で分裂し同じ神様を信仰してるのに何故?殺し合う事が起きるのか?不思議でしょうがありませんでした。
なので、それらの宗教とは全く別としていつも側にあったのが神社 = 神様 という存在だったのかもしれないのです。
ことあるごとに、小さな頃から連れて行かれたお祭りや七五三、親と行くお詣りに行く所= 神社 = 神様 となるわけで、悪い事をすれば「神様が見ている!」と戒められ、段々とその概念が出来上がってきたのだと思うのです。
なので、「古事記」に則ったものではありませんでした。
私の一応、産土の神社は宇都宮なので「二荒山神社」になると思うのです。
ここで七五三はもちろん成人式、結婚式はお世話になりました。
そして、家内安全・健康成就・商売繁盛・学業成就・金運上昇・勝負事、縁結びから縁切りまで色々な願い事を聞いてくれる所・・・
なんて懐の深い人に寄り添う神様なのでしょうか、多分、最近までそう思っていた場所なのでした。
多分、大抵の日本人は新しい年の初詣でや地域にあるお祭りに関わり必ず神様と対面しているのだと思うのです。
この「二荒山神社」は日光東照宮のそばにもあり、そしてその上の中禅寺湖の男体山の登山道入口にもあり、そしてまたその上、白根山にも、ちゃんと調べてないので分からないのですが日光からの流れなのでしょうか?
宇都宮の二荒山神社は、ブラタモリでもやってましたが福島からの地脈の最先端らしく何とも不思議な所なのです。
まるで宇都宮の市街地を上から見守っているような地形なのです。
ある人から聞いた話しなのですが、私の実家がお隣りの雀の宮という所なのですが、こちらが雀の宮駅そばの4号通り沿いに小さな雀の宮神社があるのですが、そこは、昔に何か災害が起こり、それらを鎮める為に神社が建立されたとだから本当は鎮めの宮なのだがいつのまにか「雀の宮」となったと聞いたのでした。
神社の成り立ちには様々な理由があるのだそうです。
ただ、概ね昔の人達は何か?自然災害や人がどうにもできない事あるごとに神社を作り納めて来た経緯があると聞きました。
神社を建立して祈りを捧げて御魂を鎮めて来たと・・・
そして、鎮守の杜を作ったと聞いたのです。
確かに、社殿の奥、もしくは社殿自体が森になっている所、多いです。
そして、何故か?パワースポットになっている所も多いし、修行の場となっている所も多く本当に日本人と神社の関係が面白く思えたのでした。
日本に生まれ、日本に住んでいる上で私達は日本の神様に守られていると思うのです。
今回、私が神社の話しをしたいのは決して紹介をしたい訳では無くて私が出会った神社、神様とのお話しがしたくて書いておこうと思ったからなのです。
まず、神社に参拝すると正面に鏡があり我が身が写されます。
鏡については太陽を指しているといわれそれは、正面から見ると太陽のように光り輝いて見えることから太陽神(アマテラスオオミカミ)として象徴する鏡を御神体として奉ります。
神社でお祈りすることは鏡に映る自分の神様への誓いでもあるのです。
自分自身への決意表明のような、そしてきっと誰かに後押しして欲しい為なのではないでしょうか。
それらとは別なお話しになるのですが、神社に行くと必ず、「お稲荷さん」があります。
「お稲荷さん」は神様の使いなのです。
だから、お願い事がある時は、大抵の場合、お稲荷さんにお願い事をして神様に伝えてもらうのだそうなのです。
それから本殿に向かい「何処どこの誰それです。よろしくお願い申し上げます。」とご挨拶するのが正式のお願いの仕方なのだそうです。
まずは神様の使者であるお稲荷さんにお願いするのがスジなのだそうと何かで聞いた事があるのです。
確かに神社にはだいたいお稲荷さんがあります。
ただ、お伊勢様と古峯神社には見かけなかったのです。
きっと他に変わるものがあるのかもしれません。
私は、自らの中にまた神さまの存在を知り大切に思う事に感動したのです。
でも、本当の意味で神様の存在を感じてみたいと考えていたのでした。
古峯神社
(ふるみね神社)
栃木県 鹿沼市の奥、日光より
古峰原(こぶがはら)にあります。
かつて日光の修験者の道場であり天狗信仰で知られております。
家内安全・火災消除・商売繁盛・交通安全・当病平癒・身体健全・総ての開運・除災・心願成就に御利益があるとされる。
古くから関東、東北に広く信仰圏をもちある人は北関東のお伊勢様と呼ぶ人もいる。
この神社を知ることになったのは、私が中学生になった頃だった。
両親は共働きだった為、何時も誰もいない家に帰るのだが、その日は玄関を開けると異様な空気感できな臭い匂いが漂っていて玄関からリビングのドアを開けると「シュー、シュー、パチパチ」とカーテンレールの中央のクーラーから伸びる電気コードが漏電して壁を焦がしているのです。
それを母が古峯神社の初詣で買って来た白羽の矢が止めているではないですか!
既に火は鎮火していて,おそらく矢の前で激しく燃えただろう後がパチパチと音をたてているのでした。
しばらくボーっと見つめて何が?起こったのかわからずにいてハッとして水タオルを当てがい鎮火させたのでした。
その後、母が帰って来て報告すると、しばらく無言で火の出た所を見つめていると「古峰原の神様が消してくれた。」と言ってヘナヘナと座り立てないでいるのでした。
「お礼に行かなくちゃ!」と後日、父と母で古峯神社に行ったのです。
正に火伏の神様なのでした。
それ以降、母と私は,よくお詣りする神社になり母が亡くなって以降、我が家の守り神として二荒山神社と共に参拝することになっているのです。
そして私はここの狛犬さんが大好きなのです。
ある時、私が酷く身も心もボロボロになって,ただ救われたくて一人冬の古峯神社に行った事があるのです。
古峰原は日光のそばで山道で雪が残っているとても危険なのです。
うっすらと霧が発生していて緊張しながら運転していくと大きな猿の群れに遭遇したのです。
このような事は初めてで後から車が来てない事を確認して車を傍に寄せ様子を見る事にしたのです。
すると一際大きい猿が私の方を向いて群れを守るような位置に居るのでした。
何頭いたでしょう?そうとうな数でした。
私は大きな猿がこちらに向かって来るのではないかとそちらに目をやると違和感を感じて「日本猿だよね?」と見ると赤い顔の何処かで見た事のある「天狗猿」に見えて、そう鼻が口の所までだらんと伸びているのです。
思わず「ハァ?」と声を上げてしまうのでした。
群れが総て山に入って行くのを見届けると大きな猿は私の前をのそのそのゆっくり歩いて山の中へ消えていったのでした。
「天狗?」
どのくらい時間が経ったのか?他に車も来ていなくて、サーっと霧が晴れて行くのでした。
ゆっくり車を発進させて、神社に到着。
先程の光景が頭から離れずにいて何で私が神社に参拝に来たかも忘れているのでした。
帰りはなんとも温かい気持ちで帰ってこれたのでした。
しばらくこの事は人に話すことができませんでした。
一体?私は何に出会ったのでしょうか?
あの大きな猿と目が合った時、怖かった、でも優しい目をしていたのです。
あれは天狗だったのでしょうか?
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