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Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)

「今日も我が家は」

江ノ島へ

ファミレスを後にするとまるでガソリンを入れたみたいに元気になった家族だった。

時間は9時を周りあたりは漆黒の闇で見渡しても波の音だけが聞こえて不安になるのでした。

もう昼間のようにチェックして歩くことは危険と感じて目の前のシルエットが浮かぶ江ノ島を目指すことにするのでした。

細い道を奥まで入り階段の下まで来ると銀行、そして商店街の手前で邪魔にならない所へ駐車した私は運転席で待機するように言われた。

おそらくここは江ノ島神社の参道であるのでした。

ちらほらだが人が行き交う様を見ていると主人と初めて出会った頃を思い出していた。

出会ったのはユニオン通りという小さな商店街の楽器屋さんだった。

その先の百貨店から始まるオリオン通りとはちょっと違う学生の多い独特な雰囲気の道なのでした。

義弟はベースで主人はギター、彼等が中心でバンドを組んでいた。

アマチュアバンドの中でも上手いと評判のバンドでした。

彼等は何時も一緒に居て、彼と付き合い始めても一緒にいることが多くて音楽の話しとプロレスの話しで盛り上がって仲が良いのでした。

「兄弟って、こんなに仲の良いものなのか?」思ったものでした。

何時もひょうきんな義弟はライブハウスのカウンターで仕事をしていた。

女の子にもモテているのでした。

それが今、失踪しているなんて、こんな所まで家族で探しに来ているなんて・・・

懐かしい商店街のユニオン通りと似ている通りが昔を思い出させているのでした。

家族が彼を見つけてあの階段を降りてくるイメージをして祈るのでした。


主人の姿が見えて「あ、ぁ、見つからないのだな。」と、その後ろから娘と息子が息席切りながら「ひょえ〜まじヤバイ!」「マジ!怖かったです。」と帰って来たのです。

細い道で釣り人に出会ったり、やはり暗闇の中では恐怖心が先行して人探しなど無理だと悟るのでした。

「もしかしたら、あれがそうだったのかも・・・」と急に娘が言うのでした。

「何が?」と息子。

「此処はね、日本で鍼灸の神様と呼ばれている人のお墓があると聞いた事があるの、あれ、そうだったんじゃ無いかな?」と娘。

「あぁ、釣り人に遭遇して逃げてくる途中だった?」と息子。

「そう、そう、アレ!ちゃんとお参りしたかったよ、残念。」と悔しそうに言った。

「また、新たに来れば良いよ。」と私。

「じゃぁ、横浜駅に行くか!」と主人。

その後、おそらく最終電車と思われる電車と幾つかすれ違うのでした。

横浜駅に着くと車を置くスペースを探してウロウロしていると広大なスーペースに「駅入り口」と書いてある階段を見つけて車を止め例のごとく運転席に私が待機して主人と子供達が走って登って行くのを見送るのでした。

もう、私の身体は鉛のように固まって一つも動け無いのでした。

直ぐ主人も子供達も帰ってきて、「無理だ、メインゲートじゃ無くて通り抜けられそうも無いよ。」と戻って来たのです。

「もう、限界だな、Pちゃんに連絡してくるから」と車の外に出ると,2人組の警備の方が懐中電灯を手に声をかけて来た。

「此処は既に規制されておりまして入場出来なくなっているのですが、どうかされましたか?」と聞いて来た。

義弟の写真を見せて事情を話すと「そうでしたか」と理解してくれて、親切に

「此処は浮浪者に対する条例が出ていて入れ無い事、地区により対策が違うので住民票を調べてみてはいかがでしょうか?」と「それぞれに受けられるサービスが違うので移動していて特定できる事もあるのです。」と教えてくれたのでした。

「多分、此処は探しても意味が無いと思います。」と私達を気遣ってくれたのでした。

「タイムリミット」でした。

主人は最終報告をPちゃんに連絡を入れたのでした。

残念ながら見つけ出せなかった事と今日一日の協力に感謝を述べているのでした。

Pちゃんも今日一日の労いの言葉と横浜駅らしい構内をふらついている彼の姿が見えたのでと気になってと言うのでした。

そして「残念でしたがまだ諦めないで下さい。お疲れ様でした。どうぞ気をつけて帰って来てください。」と言ってくれたのでした。

Pちゃんに感謝の気持ちで一杯な我が家のみなさんなのでした。

さすがに皆んな疲れているのでした。

後は気持ちを切り替えて無事に帰ることにして明日に大事な授業のある娘を大宮に送り、再び高速東北道に乗り宇都宮のインターに着いたのは朝の5時頃だった。

辺りは明るくなっているのでした。

我が家に着くとそれぞれ無言のままお布団に倒れこんだのでした。

私の耳の奥に家電のベルの音がしている義妹だ・・・分かっている・・・でも、身体が鉛のようで起きれないのだった。

やっと起きれたのはお昼を過ぎてからでした。

しばらくして私はちょっと熱めのお風呂を用意してシャワー浴びて食事を準備した。

主人がシャワーを浴びて出て来た時、家電が鳴ったのです。

もちろん義妹だと主人より先に受話器を取った。

おそらく喧嘩になるだろうと思われたからである。

やはり義妹でした。

「昨日はお疲れ様でした。」とねぎらいの言葉だったが心からでは無いのが伝わってくるのでした。

すると義弟からハガキが送られてきたと言うのでした。

しかもそのハガキに住所が書いてあると「南六号」と書いてあると言うのです。

「南六号?何処それ?」と私。

「多摩川の方じゃないですか?内容、読みあげますか?」と義妹

主人が出なくて良かった、彼女の何とも言えない高慢な物言いは相手の心を揺さぶるのでした。

先日も義弟が失踪する前に書いたと思われる遺書を得意げに読み上げ拒否反応がでて私はストップをかけた。

一体、何を私に聞かそうとしているのだろう?

義弟が失踪した、借金を抱えて自殺しようとしていて遺書まで用意している事を何故私に聞かそうとするのか?分からなかった。聞いてどうなるのか?

私は自分の心を落ち着かせる事に集中していた。

遺書を読み上げられた時もその内容より彼女の得意げな声のトーンが気になって
「どれだけ家族を愛しているか大切に思っているか、」と始まる遺書は人に聞かせるものだろうか?と疑問を抱くしか無かったのでした。

すると待ってられなくなった義妹がハガキを読み始めその内容は遺書と同じものらしかった。

その態度と発する声は昨日、義弟を探しても見つけられなかった我が家への罵声の様に感じられて、油壺から鎌倉へあらゆる海岸線を探し大船駅から江ノ島へそして横浜駅までを走馬灯の様に思いだして、油壺の断崖絶壁を登ってきた家族を思い出した時、私は「もう、やめて!」と叫んだのでした。

それからは感情に任せて私達がどの様に探しまくっていたのか?

主人がどんな思いで探していたのか?泣きながら訴えるように言ってしまったのです。

それらを黙って聞いていた主人も涙を浮かべているのでした。

しかし、彼女の態度は怯むこと無く淡々と義務のように「ハガキが来たので一応連絡しておきますね!」と冷たい印象なのでした。


この話しは、直ぐに家族全員が共有してそれぞれに動き始めるのでした。

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