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【短編空洞小説】3_言葉はコーヒーカップに溜まらない

通勤の車内は反省室だ。
今朝は娘へ投げつけた言葉を反芻している。
口から出た言葉は2度と飲み込みことができない。
怒りに任せて叱責するうちに、娘の顔がみるみる曇って、「だから、自分でやるって言ってるじゃない」と泣き始めてしまった。

きっかけは些細なことだ。
昨晩「明日の準備できてるの?体操服とか」と確認した際、娘は「大丈夫」と答えた。朝になって「体操服は?」と言うので昨夜のことを持ち出すと、一昨日洗濯カゴに入れたので、朝には洗濯できていると思ったという。見れば、カゴの底にある。私が洗い残してしまったのだ。

出勤5分前に手洗いし始めた娘から「あんたにできるわけないじゃない!」とひったくて乱暴に洗濯機へ投げ入れた。時間が迫る。脱水ボタンを押して「後はなんとかしなさいよ!」と吐いて家を出た。
娘のいい加減さと言葉足らずと時間のゆとりのなさが苛立たしくて声を荒げたが、それはそのまま自分のミスでもある。それに気づいているから、自分の正当性を怒号で示しているだけだ。

私は全然「よい母親」じゃない。

子供を持つということは、人生を「勝ち抜け」できないことだと思っている。

どんなに仕事が出来ても、
新しい研究発表が認められても、
大きな企画やプロジェクトをまとめても、

保育園で
「オムツ足りませんでしたよ。」
「虫歯になりかけていますよ。仕上げ磨きしてますか?」
「お迎えもう少し早く来れませんか?寂しそう」と言われてしまえば、
終わりだ。
仕事の実績なんか通用しない。
私は「ダメな母親」なのだ。

自身の忙しさから習い事や塾に通わせられず、授業参観で手を上げない我が子を見る時、模試の成績や順位を目にする時、しっかり教育できてない自分を責める。「私には母親の能力が欠如しているのではないか」

「教員の子供って」という陰口まで聞こえてくる。
「全然、ちゃんとできてない。私」

脱水はできたのだろうか。
その後乾燥できたのだろうか。
学校へは間に合ったのだろうか。
私が母親であることに失望していないだろうか。

「ごめーん!」
飲み干したコンビニのコーヒーコップを口にあてがい、叫んだ。
「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん」
流れる対向車の視線とぶつかる。
紙コップの振動が口に指に響く。最後に大きく
「ごめん」と叫ぶと喉と指にチクリと痛みが走った。

コップは相変わらずからっぽで、バックミラーには口の周りに赤いわっかをつけた私が映っている。



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