【短編小説】会社員物語:ペーパーレス狂騒曲
ウイーン ウイーン
無機質な機械音が静まったオフィス内に響く。
その音を出している機械の前にベテラン社員が一人、物憂げな表情で立っている。彼は周囲から『ナベさん』と呼ばれている、あと数年で定年を迎える職人気質のおっさんだ。
その彼が何をしているのかと言うと、過去の紙資料をひたすらスキャナで取り込んでいる。
その理由は重役会議でのあるお偉いさんの発言に起因する。
彼の会社では現在『ペーパーレス』を推し進めているのだが、声だけは大きいそのお偉いさんが、
『ペーパーレスを極めるのなら、過去の紙資料もデズタル化しなければ!』
と声高に叫んだためである。
『デジタル』という単語ですら周回遅れなのに、それを『デズタル』と発音している時点で既に三周は遅れている。それでも影響力が強い重役の発言とあってすぐにプロジェクト化され、ナベさんがプロジェクトメンバーに選ばれたのであった。
こういう雑務は若手がやるべき、と昔であれば言われそうだが今は『令和』の世。そんな仕事をやらせたらすぐに辞めてしまうということで、終わりの近い役職無しにお鉢が回ってきたのである。
「ペーパーレスの意味を取り違えてるだろ・・・」
ナベさんはぼやく。
日中は機械が空かないため、こうして定時後にコツコツと作業を続けていた。
「早く帰って、この前撮ったビデオ観てえのになあ・・・」
ナベさんの家では未だにVHSビデオデッキが現役稼働している。
こういう人がペーパーレスの仕事をしていることに、何かしら矛盾を感じる。
ウイーン ウイーン
キングファイルから外した紙を機械にセットし、スキャナで取り込む。
単純作業をひたすら繰り返していると、まるで無の境地を求める修行僧になったような気がした。
ふとナベさんが顔を上げると、オフィスの端の方で自分と同じように作業をしている中年男性が目に入った。
(あれはたしか・・・ 開発部の山田さんだったか?)
眺めていると、向こうの山田さんがこちらに気付き軽く会釈する。
それに合わせ、ナベさんも同じように会釈した。何でもない動きのようではあるが、実はこの間に、
『おや、あなたもですか。アホが上に立つと大変ですなあ』
『まったくです。声が大きいのとごますりだけで出世した奴は、ろくな事を言わない』
『同感です。そんなにペーパーレスと叫ぶなら、まずは重役会議の資料を紙からタブレットにでもすればいいのに』
『いやいや、タブレットとポリデントの区別もつかないんですから難しいでしょう』
『『わっはっは』』
というやり取りが交わされていたのだ。
さすがはベテラン社員同士。若手にはとうてい真似出来ない阿吽の呼吸というやつである。
そんな感じで作業を進めていたのだが、予想だにしなかった試練が彼を待ち受けていた。
「おいおい、勘弁してくれよ~」
ナベさんがぼやいているのは、機械が途中で止まったからだ。中を開けてみると、紙についていた付箋が絡まっている。
「ちゃんと会社の規則を読めよな~」
実はナベさん、几帳面なA型でかつ職人気質な性格なせいか、こうしたルール違反が許せないのだ。ぼやきつつも機械をあっという間に修復し、次からは投入前に付箋がないことを確認するようにする。
すると出るわ出るわ色んなものが。紙資料の年代が遡っていくに従い、ひどい有様だった。
「ホッチキスは外せよな~」
ホチキスで綴じられた資料があったので、針を丁寧に取り除いてから機械へ投入する。
「ああ、紙の向きが違うだろ~」
左側ではなく右側にパンチ穴が開けられた資料が見つかり、向きを一枚一枚丁寧にそろえる。
「おい、A3混じってるじゃねえか~」
同時にスキャン出来ないため、別々に処理するナベさん。
「これは・・・すげえな」
A3で驚いていたら、なんとA1用紙が折りたたまれているものもあった!
一体、何に使われたのであろう?
「ああ! 紙が脆くなってる・・・」
陽に当て過ぎたのか、すっかり黄色く変色し古文書のようになった紙も出てきた。このまま機械に入れると破れる危険性があるため、厚紙に丁寧に貼って補強する。
「・・・見えねえな」
手書き資料のインクが薄くなり字が消えかかっている資料も発見。丁寧に字を上書きしてから、機械へ投入する。
(俺は、なにやってるんだろうな・・・)
ナベさんは自分のやっていることに疑問を持ちながらも、生来の職人気質を発揮して丁寧に作業を進めた。
黙々と作業すること二週間、ついに30年分の紙資料の『取り込み』が終わったのだった。
しかし、作業はこれで終わりではなかった。
読み込んで出来上がったファイル一つ一つに『名付け』をする必要があるのだ。ファイルを開いて管理番号や題名を確認し、閉じてファイル名を変更する。
ファイル開く、中確認する、ファイル閉じる、名前変える、・・・
単調な作業をひたすら繰り返した。
中には手書きで字が個性的すぎて読み難い資料もあったが、そういうものにはファイル名の最後に(多分)と付ける。
これに何の意味があるのか? そもそも見る輩がいるのか? という事はなるべく考えないようにして淡々と作業を続けていった。
頑張ること更に一週間。ナベさんは名付けを全て完了させた。
「は~、やっと終わった・・・」
ふと見ると、奥の方では開発部の山田さんがまだスキャナ作業をしていた。
(開発系は量が半端じゃねえからな・・・)
同情していると、山田さんがこちらに気付き会釈する。
そして、ナベさんも同じように会釈を返す。
『すみません、うち、終わってしまいました・・・』
『お疲れ様です。どうぞ家でビデオでもご覧になってください・・・』
そんな意味が込められていた。
膨大なファイルをHDDに保存した後、ナベさんは上司へ報告した。すると、
「う~ん、これだと何が入っているかわからないな。目録みたいなものを付けよう。それをファイルにしてくれ」
と、意味不明な指示が返ってきた。
「え・・・?」
(ペーパーレスにしたのに、また印刷?)
一瞬目の前が真っ暗になったが、それでもナベさんはめげずに目録作りに励んだ。なんとかそれも終わり、キングファイルに収まった目録とともに棚にHDDをセットする。
これで完了のはずだった。だがしかし、
発起人の重役自らが回ったパトロールで「紙がまだあるじゃねえか!」と指摘され、HDDともども倉庫に保管される事になったのである。
「はあ・・・」
ナベさんはため息をつきながら、倉庫の棚に力作のHDDと目録の収まったキングファイルをセットする。
棚の隣にはHDDが壊れたらどうするんだということで、電子化された後の紙を納めた段ボール箱がうず高く積まれていた。
(・・・俺は、何やってたんだろうな)
何とも言えない徒労感に襲われ、ナベさんは休憩所へと向かった。
缶コーヒーを購入し、財布から取り出した薬と一緒にゴクリと飲み込む。
外を眺めると、雪がちらちらと悲しげに舞っていた。
(今日はもう帰るか・・・)
バッグを肩に掲げ、ふとオフィスの端を見る。
すると、開発部の山田さんがまだスキャナ作業を続けていた。
ウイーン ウイーン・・・
ナベさんにはその音が誰かが泣いているように聞こえた。
おわり
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