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はじめまして。れんくんです。

こんにちは。はじめまして^^*

このページに辿り着いてくださって、そしてこの記事に目を通してくださってありがとうございます。

僕は、「ココロの旅人」れんくんです。
30代半ばで、性別は男性でも女性でも無い、ノンバイナリーなFtXです。

…ん??
きっと、今、いきなり聞き慣れない言葉がいくつか出てきましたよね。笑

今僕がさらっと書いた聞き慣れない用語たちについては、また後ほどこの記事の後半で説明しますから、まぁとりあえずこの先を読み進めていってください~m(__;)m 笑

ココロの旅人①旅の出発点

まず、僕が皆さんに一番お伝えしたいのは僕は「ココロの旅人」である、という事についてです。

ココロの旅人?何それ?
それを名乗る理由と、経緯をこれからお話しますね。

僕は、物心ついた頃からずーっと、《ココロの拠り所》を探し求め続けて生きてきました。

と言うのも、僕の家庭は、僕が安心してありのままでいられるような家庭ではなく(「機能不全家族」と言います)、僕は幼い頃からずっと愛情不足で育ったのです。

愛情不足はもちろんのこと、虐待もありました。精神的虐待なんて毎日のように、時には肉体的虐待もありました。実の母親からです。父親は、仕事が忙しいのをいいことに、ずっと見て見ぬふり、知らんぷりでした。

そんな環境が当たり前、そんな毎日が普通なんだと思って育った僕ですが、小学校3年生の時の学校の担任の先生がとても優しい先生で、僕はその時初めて、人の愛情と言うものを知りました。

「あれ?なんだろう、この温かい気持ち…」
「僕がずっと欲しかったのは、この温かさなのかな」
僕のココロの旅はそこから始まりました。

人の優しさ、温かさ、愛情というものをそれまで知らずに育った僕が、それらを探し求めて、つまり安心して僕らしくいられる《ココロの拠り所》を探し求め続けて、これまで30年間生きてきたのです。

ココロの旅人②完全に居場所を失った10代

僕はそんなこんなで、小さい頃から虐待のトラウマと、対人恐怖症、それから希死念慮も抱えて生きてきました。

中学校の頃、ひょんなことからイジメに遭い、保健室登校を始めます。この時、不登校にならなかった理由は「学校でイジメに遭うより、学校を休んで家にいる方がもっと危険な目に遭うとわかっていたから」でした。笑

一般的に考えれば保健室登校をしている時点で問題ではありますが、僕はこの保健室登校をしたおかげで、中学校3年間は生き延びれたと思っています。

なぜなら、まだ「保健室」「相談室」という《居場所》があったからです。

それよりももっと、本当に過酷だったのは、中学校を卒業してからの5年間でした。

僕の最初に入学した高校では、保健室登校は認められませんでした。その頃の僕はすっかり対人恐怖症が酷くなり、実際にはイジメに遭ってはいませんでしたが、クラスメイトの目が怖くて教室に入ることができない状態でした。

しかし、「授業を受けないならさっさと帰れ!」と保健室からも追い出され、学校に居場所を失った僕はしかたなく不登校を始めました。

すると僕を待ち受けていたのは、学校にも行けず、しかし家でも理解されず「怠け者」「ビョーキ持ちの出来損ない」等と罵られ、味方なんて誰一人いない、居場所なんてどこにも無い、そんな世界中が敵だらけの、孤独な世界だったのです。

僕は絶望し、引きこもるようになりました。この、16歳~20歳までの5年間に、うつ病になりました。精神科に通い、そこで処方された薬を大量に飲んで自殺未遂も何度もしました。しかし僕は小心者なのでいつも死にきれず、精神病棟に入院したことも数回ありました。しかし家族の理解は得られず、家出も何度もしました。

この空白の5年間が、僕のこれまでの人生の中で一番辛い5年間でした。

ココロの旅人③人生再起をかけた20代、しかし…

20歳の夏のことです。僕は母親に恐る恐る、最後の望みをかけて母親に「もう一度通信制の高校に入学して、きちんと卒業したい」とお願いしました。すると、これまでもがき苦しみ続けてきた僕を見ていた母親にも少しは気持ちの変化があったのか、僕の願いを聞き入れてくれて、学費を負担してくれました。

そうして僕は20歳の秋、通信制の高校へ再入学し、勉強に、部活に、友達作りに、怖いながらも一生懸命取り組みました。

しかし、うつ病を患っていたこともあり(後にうつ病では無く「双極性障害」だったとわかります)、相変わらず気持ちが不安定で自殺未遂や入院を繰り返した僕は、高校の勉強や、通学自体続けることが困難で、卒業するまでに5年半の年月を要しました。

そんなこんなで僕が高校を卒業したのは26歳の春のことです。でも、この頃には通学生活や部活動のおかげで対人恐怖症はほとんど問題ないほどに緩和し、友達がたくさんできました。この高校は、今でも僕の大切な「思い出の基地局」なのです。

しかし、僕のうつ状態(双極性障害のうつ期)は非常に重いものがあり、一度うつ状態になると寝たきりになり、自分の身の回りの事も何もできないほどでした。そんな状態だったので、高校を卒業したあと僕は一度、全日制の短大へ進学するのですが、全日制の短大は通信制の高校のように緩くはなく、僕にとっては毎日通学することが困難で単位をとることができず、そのままたった半年で中途退学してしまいました。

いったん休学をして、休養に専念して様子を見ることもできたと思います。でも、その頃の僕はうつに苦しめられていて冷静な判断ができず、せっかく入学した短大も、卒業することができませんでした。

それからは、僕はアルバイトを転々としました。正社員としての就職は、体力や精神面的に不安があり、またお医者さんからも無理はしない方がいいと言われていたのでチャレンジできませんでした。

アルバイトでも、ひとつの場所で長く安定して続けることができる人もいると思います。でも、僕はやっぱりうつと躁の病相期を目まぐるしく繰り返していたので、そのたび仕事が辛くなり辞めてしまい、なかなか一ヶ所で安定して長く働く事は、ついにこれまで一度もできませんでした。一番長く働けたところでも、2年です。その次に長いところは、1年でした。

ココロの旅人④僕の旅は、まだこれから。

そんなわけで、僕は若い頃から人生のほとんどを一貫して、虐待のトラウマと、対人恐怖症と、希死念慮を抱えて生きてきました。そして、10代後半からは精神病にもかかり(うつ病→双極性障害)、精神科や心理カウンセラーのお世話になりながら、ずっとココロの拠り所、安全基地を探し求め続けて生きてきました。

そんな僕がようやく自分のココロの拠り所、安全基地を見つけたのは28歳の夏のことです。今の旦那との出会いが、僕の人生の全てを好転させてくれました。

旦那はとても優しくて、人の痛みがわかる人でした。また、精神科にかかる病気についても少し知識があり、僕の話をうんうんと優しく相槌を打ちながら、全て聞き入れてくれたのです。

そして、2年の交際期間を経て、30歳の夏に結婚しました。同棲は結婚前からしていたのですが、私は旦那と同じ苗字になれたこと、同じ戸籍に入れたこと、新しい自分の家族が持てたことがとても嬉しかったです。

でも、僕のココロの旅はこれで終わりではありません。安全基地を手に入れても、これまでの、常に防御態勢でいる生き方が正しいと思っていた僕の価値観は、僕をなかなか今の環境で生きやすくはしてくれませんでした。

僕は、いまだに、心の底から人を信用することができません。それだけではなく、自分の事すらも信用することができないのです。僕には、今でも、いつだって「だからお前はダメなんだ」という声が事あるごとに聞こえてきます。また、学校でのイジメのトラウマも残っていて、しょっちゅう昔の同じ夢に苛まれたりもします。

対人恐怖症は、「表面上は」克服しましたが、もしかしたら僕はまだ心のどこかで人を怖がっているのかもしれません。そんな感覚もどこかにあるし、すぐにココロのエネルギーが電池切れになる僕の生き方やトラウマは、これからまだ、ケアしていく必要があるのだと思っています。

そんなわけで、これから続く僕の旅を、一緒に温かく見守って下さると幸いです。

れんくんの性別について

長くなってしまいますが、最後に、僕の性別について軽く触れていきたいと思います。

僕は精神障害者であると同時に、セクシャルマイノリティーでもあります。

セクシャルマイノリティーとは、「性自認は男か女で、恋愛対象は異性である」という世の中の大多数(マジョリティーと言います)には当てはまらない、少数派の人たちのことを言います。

僕は、いろいろ人とは違うところがあります。

まず、僕は「ノンバイナリー」で、僕の性別を敢えて表現するとしたら「FtX」です。

「ノンバイナリー」と言うのは、(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティのことを言います。

また、「FtX」というのは、「Female to X-gender」の略で、身体的性別は女性だけれども(Female)、心はどちらでもない(Xジェンダー)んだよという意味です。

つまり、、世の中には、自分のことを男性とも女性とも思わない、そのどちらにも当てはまらないと思っている人たちがいるんですよーってこと。

そして僕もそんな一人です。だから、このnoteでは、あえて自分の第一人称を「僕」にしています(かと言って、別に男になりたいわけではありません。ただ、身体的性別と違う表現をしたかったのです)。

また、それだけではありません。僕は「ノンセクシャル」でもあります。「ノンセクシャル」と言うのは、恋愛感情はあるものの、性的欲求が他人に対して向かないことを指します。

まぁ、僕の場合は恋愛感情も他の愛情とほぼ変わらない、あやふやなものですが…。^^;

また、次回以降の記事で詳しく用語や現状など解説していきたいと思いますが、今はとにかく、「世の中にはそういう人たちもいるんだなー」ってことを覚えておいてください。笑

そして、僕もそのひとり。

最後に

僕の自己紹介、想定していたよりも非常に長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

また、これからも僕の体験や記憶や感じたこと、考えたこと、得た知識などをたくさん執筆していきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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