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反骨精神とパニック障害

私はパニック障害を抱えている。

「休学の1年間でもっと症状が悪化して、教員採用試験も落ちて、教育実習も体調不良で行けなくて、卒業もできなくなったらどうするの?」

これは、パニック障害が悪化したため休学をしたいとゼミの教授に相談したときに言われた言葉だ。

この言葉を言われている最中、時間にしていうと10秒ちょっとくらいの間、どんどん血の気が引いてパニック症状のような不安感に襲われた。
この人は、治療のための休学を前向きに捉えている私に対してなんて酷いことを言うのだろう、と思った。
その瞬間から私の頭の中で、その教授は敵、モンスター、自分に嫌なことを言う悪魔として認識され、その後のアドバイスも全て素直に聞き入れることができなかった。
休学をひたすら否定されたこと、また私が主治医と目指していた抗うつ剤による治療は上手くいかないだろうと断言されたこと、パニック障害者に教員は無理だと強く反対されたこと、その全ての言葉が今でも頭の中をぐるぐる回っている。

この教授との話し合いの後、私はしばらくの間号泣した。泣き喚いて親に電話をかけた。そのくらい教授の言葉がショックであったし、治療に希望を見出していた自分にとって出鼻を挫かれたことに絶望していた。
このままショックで何日か鬱になるのかな、パニック症状が悪化したらどうしよう‥などの不安もあったなあ。

しかし、親と話して少し冷静になり、そして次の日の朝を迎えたときには、そのショックは強い怒りへと変貌を遂げていたのである。

アイツ、なんであんなこと言うんだろ。普通に考えておかしいだろ。あんな酷いことを言うヤツの言った通りには絶対になりたくない。私は絶対に治るんだから!!!

そう思うと、今まで不安だったことも全部大丈夫に思えてきたんですよね、不思議と。

その日は、いつも避けていた中央線の満員電車に乗ることができた。乗っている間、アイツの言葉を思い出してイライラして泣いた。泣きながら、絶対にこんなことでパニックを起こさないぞ、起こしたら負ける、私は強いんだから大丈夫。と何度も奮い立たせた。

そうしているうちに、気づいたら25分間が過ぎ、目的の駅に到着していた。その日はパニック症状がひどくなってから各駅停車にしか乗れなかった自分が、初めて中央線に乗れた快挙の日となった。

また、就寝前にパニックと吐き気に襲われ頓服を服用し、外の空気を吸いに行くと言うルーティンも、その日はスキップすることができた。
いつもの不安感が芽生えた瞬間、いやダメだだめだ、絶対にアイツに負けない、アイツが言ったようにどんどん症状が悪くなるわけない、私は強いんだから、、、、と心で唱え続けるとだんだん不安よりイライラが勝ってきて、パニックが引っ込んでいったのである。

今のところこのやり方で、パニックを3日間起こさずに過ごせている。
これはパニックが悪化し始めてから初めてのことで、自分でも驚きだが、こういったショック療法?もあるのだろうか。
それか、この反骨精神でパニックを押さえつけていることでいつか大きな反動がくることもあるのだろうか。

今後のnoteでは、このショック療法の経過や自分のパニック障害との向き合い方について色々書き綴っていきたい。

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