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適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話003


ここのところあまり聞かなくなった某ウイルスに感染した。

初めての感染。

多忙を極めていた頃はむしろ感染して休みたいという邪な気持ちさえあった。

感染リスクは、無職の現在より圧倒的に高かったはずだ。

マスクもせずにはしゃぎ回る小学生を捕まえて宿題をさせる毎日。
曜日によって違う公民館、小中学校に行く毎日。

なぜ感染しなかったかは未だに謎である。

感染したいとさえ思った時にそうはならず、
ほぼ生活の中からウイルスの存在が忘れられて来た頃に不意打ちで感染した。

しかも、「適応障害で退職し転職先を3日で辞めた」ばかりのこのタイミングで。

身の回りに感染者もいないし、感染したという報告をすると周囲からは「いまさら(笑)」というリアクションもあった。

本当にいまさらの感染だ。

症状は本当に人それぞれだと聞いていたが、
僕の場合は39℃代後半の高熱と強烈な倦怠感、そして観測史上最大かつ未曾有かつ経験したことのない喉の痛み。

のど飴。
トローチ。
スプレー。
ぬれマスク。
痛み止め。

全て試したが一向に回復しない。

検査を受けた病院にその喉から声を絞り出して電話で窮状を訴えた。
しかし返答は
「コロナはそういうものだから我慢してください」
だった。

もはや嘆いても仕方がないと思えるくらいの状況で、
体の悲鳴に心がガン無視を決め込んでいる。

体の状況についての記述はやめにする。

心の状況について話していく。

仕事をしていれば休める「お得感」を味わえたかもしれないという悔しさがある。

それとは逆に、無職という現状から考えると、病気で自宅療養しているという事実が「生きていても良い」と許されている感覚もあって不思議だ。

適応障害や転職、退職の心のダメージを回復させるという名目はあるにせよ、
無職でただ家にいるということは相当な重さがある。
それがたとえ周囲の人の優しさや理解がある前提でも、だ。

そこにウイルス感染による「物理的な」療養の必要性が生まれたことにより、
そこに免罪符的な?意味が生まれた気がする。

もとより「生きていても良い」などという承認を求めたことなど無いし、
「メンヘラかよ」とセルフツッコミをする自分もいる。

けれど、生死の境といえば大げさだが、病に冒され生きていることを実感したことで、
何故か生きることを許されるという感覚に繋がった。

思えば、暗く電波も届かない山道を1人延々と歩いて旅をしていた時も、
似たような感覚が降ってきたことがあった。

その時は「許されている」なんて感覚では無かったが、
「一歩でも足を滑らせれば連絡手段も無い為、遺体で発見されることになるだろうな」
という想像が、
リアルな生を実感できて「愉しかった」。

不謹慎かつ中二病な感覚だったけれど、僕が1人旅に求めていたことは、
「リアルな生」を感じることだった。

それに似たような感覚が、今回某ウイルスに感染することによって再来した。

とにかく、今までは考えたこともなかった「自分は生きていても良いのか」なんていうメンヘラチックな悩みを自分も抱いていたということへの気付きが、
今回の病床での一番の収穫だ。
なんだか自分が可愛く見えてきた。

「自分は生きていても良いのか?」
そんな悩みを他人からぶつけられる度に、
麦わらのルフィ並みに
「当たり前だ!!!」
と叫んできた僕だったから、まさか自分もそんな叫びを胸に秘めているなんて思わなかった。

自分の弱さを知ることは強くなった証。
のような気もするので、案外実りある療養期間だったように思う。


小野トロ

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