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エッセンシャルワーカーへの称賛は壮大な掌返しと目くらまし? 称賛はされど負担は減らず、給料も上がらず

某ウイルスによる影響が続く中、
キーワーカー、エッセンシャルワーカーと言われる方たちへ感謝しよう!
ということが声高に叫ばれていますね。

いわゆる医療従事者や生活インフラを維持する上で欠かせない仕事をされている方のことですが、

キーワーカーやエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちは、
いわゆる昔で言うところのブルーカラーと呼ばれる人たちのことです。

オフィスや事務所で働くホワイトカラーに対して、
外や現場で働く肉体労働者のブルーカラー。

この表現には一種ブルーカラーの人たちを下に見る考えがあるかと思います。
一種の差別用語でもあります。

そこに来て今回のウイルスによる騒動の中で、
感謝せねば、という風潮が生まれ、
キーワーカーやエッセンシャルワーカーという言い方が、元からあったにせよ広まり、定着していったのだと思います。

私たちの生活において欠かせない、
キー(鍵)となる、エッセンシャル(必要不可欠な)存在である。

そこで今回のウイルスの中で、
感謝しよう!という流れが生まれるのはある意味当然ですし、素晴らしいことです。

しかしこの、エッセンシャルワーカー、キーワーカーへの感謝キャンペーン。

僕にはまやかしにしか思えないのです。

政府やメディアが扇動して何かをごまかそうとしているの過ぎない、と。

なぜなら、感謝や拍手はされども、
こうした人たちの負担が和らぐことも、
給料をはじめとする待遇が良くなることも、
今のところ見られていないからです。

拍手なんかいらないから給料上げてくれ。
構造改革をしてくれ。

僕がエッセンシャルワーカーの1人ならそう思います。

医療システムの脆弱性や、
その他ブルーカラーの人たちの賃金の低さ、
ホワイトカラーとの格差はそのままで、

拍手や感謝だけされたら、当事者はどう思うでしょうか。

感謝のみで構造が変わらなければ、
この騒動が収まったときに、また同じ日常が始まるだけではないでしょうか。

呼び方を変えて、感謝を示して、
それだけで何が変わるのでしょうか。

政府やメディアが作り出した流れにのっかったまま、
終わって、落ち着いた時に、
何事も無かったかのようにまた暮らしていく。

そんなことはあってはならないと思います。

見方を少し変えてみましょう。

ウイルス騒動の前はどうだったか。

人材不足。
なりたい人がいない。
労災や精神的負担の大きさ。
それなのに待遇は悪い。

エッセンシャルワーカーにはこのようなイメージが付き纏っていたはずです。

ということは、ですよ。

現在のこのエッセンシャルワーカーへの拍手は、

私たちがやりたくない汚れ仕事をやってくれてありがとう!

ということにはなりませんかね?

騒動前は、あんな仕事よくやるな、
絶対やりたくない、と思っていた仕事に対して、
いざ自分たちの生活が脅かされれば、
一転して感謝して拍手する。

壮大な掌返しですね。

しかも特に報酬がその称賛に括り付けられているわけでもなく。

もっと怒ってもいいと思います。

拍手をするなら金をくれ、と。

でもきっと、どうせ感謝はされども待遇は変わらない、構造は変わらない、と気づいていて、
呆れを通り越して諦めているのかもしれません。

今はそれどころでもないでしょう。

なぜ、ディヴィッド・グレーバーが言うところの
「ブルシット・ジョブ」
クソどうでもいい仕事が給料が良く、
私たちの生活に欠かせない仕事をしている人たちの給料が低いのでしょうか。

待遇の改善、負担の緩和、それによる人材不足の解消とその職業へのイメージの改善なくして、

この国の未来は無いのではないでしょうか。

政府とメディア手動の、壮大な目くらまし。

臭いものには蓋を。
ごまかして目を逸らさせよう。

このままでは、そんな巧妙な策略に踊らされる無知な庶民になってしまいますよ。

どうか問題の本質を見抜く目を持ってください。

その上で、今の自分の仕事の意義や、この国はこのままでいいのかについて、
考えることをしてみてください。

小野トロ


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