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【おっトラ旅日記・ベトナム①】憧れのホテルマジェスティック篇

コロナで外出自粛要請が続く中、1年前の今頃は…と記憶の棚卸しをしていると、平成最後の4月末にベトナム縦断の旅をしていたことを思い出す。1年前は、海外旅行にすら行けなくなる惨状を当然、想像すらできなかった。せっかくなんで、写真中心にベトナム旅行を振り返ってみたい。

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18年12月から19年6月まで毎月海外旅行に行く、という実験をやっていた。

サンフランシスコを皮切りに、台湾、香港、タイと続き、昨年4月末にはベトナムへ行くことを決めた。
理由は順番にアジアを制覇していこうと思っただけ。単純な理由だ。

飛行機は博多から南部のホーチミンに飛び、帰国最終日は北部のハノイから成田という6日日の日程を組んだ。往復7万円ちょっと。その間、予約したのはホーチミン初日の夜のホテルだけ。あとはすべて現地で決めるアドリブ旅行に挑戦した。

福岡空港から出発。Wi-Fiルーターを持たない「肉弾戦」旅行。1年前の俺は勇敢だったのか、ただの無謀だったのか。

行きはベトナム航空。機内食は中の上レベル。完食しました。片道6時間ほどでホーチミンのタンソンニャット空港へ到着。2時間の時差があり、現地到着は昼前。

ビルの名前が分からん!いきなり昼食です。

前回のタイ旅行では、料理が口に合わなかったのだが、ベトナムではいつも美味しい食事に当たっていた。
さて、ホーチミン初日のイベントはホテル・マジェスティックに泊まること!開業が1925年で、ベトナム一伝統のあるホテルで、今回の旅で唯一決まってるイベントだ。

当ホテルで執筆活動をしていた開高健氏や、敬愛してやまない沢木耕太郎氏が著作で泊まったことを明かして、それを本にしている。

はっきり言ってしまえば、沢木フリークとしてこの本を読んだ時点で、ホーチミンに向かうのは運命だったかもしれない。

まず荷物を置きに行くためチェックイン。

あぁ、これが憧れのマジェスティック!

西洋のコロニアル建築で、荘厳な雰囲気の佇まい。一泊1万7000円を出す価値は十二分にある。このホテルの前の道路は爆音バイクが途切れることなく走り続けている。一瞬の隙を縫ってわたる必要がある。

このホテル正面がかの有名なメコン川。タイのチャオプラヤー川に続き、アジアの川を順に制覇している。

チェックインする時に、フロントから「メコンビューじゃないけど」と言われたけど、そんな予算もないし気にせず部屋にイン。

37歳独身(当時)にツインはもったいないが、仕方ない。バックパックを部屋に置いて、仮眠。再び外に出たころには、夕方になっていた。

海外旅行の基本は町歩き。あてもなくプラプラ歩きたい。するとタワーを発見。

サイゴン・スカイデッキ!こんなの登る選択肢しかないですよね。僕はおのぼりさんだから!

ガラスの外には出られず残念。再びホーチミンの街を散策。(僕の下手な文章より、写真をみてください。こちらの方が自信あります)


ホーチミン人民委員会庁舎。そして「ホー」おじさんこと、ホー・チミン像が立っている。ホーチミンはフランス文化が色濃く残っており、建築様式が西洋コロニアル様式だ。

中央郵便局。いちいち荘厳なのがすごい。左右対象なんですね。

アジアにいる感覚がなくなるほどの洗練された雰囲気。

2時間以上ぐるぐる歩いて、やっと戻ってきましたマジェスティック。

夜ご飯はもう、決めてある。沢木耕太郎も行った、ホテルのルーフトップバーである。

夜のメコン川が一望できる。

気分は大文豪である。開高健が、林芙美子が、沢木耕太郎がいたであろうホテルマジェスティックに、時空を超えて今、自分がいるという事実。体の芯が熱くなって、酔いが回り、サッサと寝ちまったとさ。

【続く】

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