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昔、思いあがっていたINFJの私|少数派よ、傲慢にはなるな


「なんでみんなこんなに簡単なこと(本質・勘所)がわからないんだろう?」
「失敗ばかりして、そんなことする前にわからない?」
「ばかなのかなぁ」

そんなことを思いながらも、自身は行動に臆病である。
行動しない頭でっかちな悪い子である。

INFJの私の子供時代は、複雑な心理体験をしていたと思います。
誰かのためではなく、自己の振り返りと反省の記録。
(この記録が誰かのためになることも、あるかもしれない)

良い子、悪い子、傲慢な子

子供の私がズルや悪いことをしても、全然誰にも怒られないし気づかれない。
なかなか怒られないのは、本質的に考えたら回避なんて楽勝だったから。
あとは、周囲が、「私が良い子」過ぎて無関心だったからかもしれません。

学校、習い事、塾、家庭、どの場においても「良い子」という通知を
された覚えしかない。
言語化されないイメージでできあがった内面(Ni+Feのみの世界)は、
家族すらも、だれにも理解されない。
理解されなくても、私は良いと評された。
「良い子にふるまう悪い子」でした。


人のできることができなくて
(Se 感覚劣等)
人にできないことができる
(Ni 直観優位)


マジョリティには溶け込めない。

いや、溶け込めているけれど、どこか内面は違う。
溶け込めているように見えたのは
Fe+Se劣等で「ふわふわしていた」から。

▼そういうことが書いてある記事


ゆえに、すごく若いころは
私を持て余し、
私を理解できない周囲のことを馬鹿にしながら
心の中で傲慢にふるまっていたな、と思います。


最近は心理機能について盛んに記事があり、様々な議論がされていて、
若い人だろうが成年だろうが、だれもがそれを閲覧できます。

あの時の私が見ていたら、Ni優位でSe劣等だからって思いあがっちゃだめだよと思います笑
ただ、思いあがったあの時があったから、今の私があるのかな。
とおもいつつ。



頭でっかちに本質を理解しながら、動けなかったのが就職活動だったと思い返します。

▼そういうことが書いてある記事

失敗をする未来しか描けなくて、仕事もしたくないし、まったく良い結果が得られなかった
あれが初めての挫折で、あれ以上のものはたぶん訪れないでしょう。Ni的未来予測!
そして、挫折したから、傲慢さに気づけた。
だから自分として良かったのだと思います。


少数派Niユーザーの存在意義?

私の心理機構が、周囲の多くの人と違うのは、
私のためではない。私のためにはならない。

Ni優位は、あまりにしんどい。
体力的にというか、思考力的にというか、とにかくしんどい。

「だれが、今を犠牲に未来志向で省エネで生きたいと思います?」って話。
私のためだったら、絶対感覚優位のほうがいいに決まってる。


そもそも、何のためというのはない。
いや、人類の進化上、こういう人間が必要だったのかもしれないけど。
正直知ったことではない。

じゃあ、私が意味を考えるとしたら、
この優位機能がだれかほかの人に生きる時もあるかと思う。
人の盲点や、第二機能以下である人の、手助けになり、
おかしな視点や収束する未来は何かのためになるだろう。

その代わり、私は苦手なことが多すぎて、人に頼るほかないんですが!!!

いまの私は、自己の力だけで何かを成せるとは到底思えない。
自己の力は、あまりに尖っているから。
使い道を間違えたら、使えない力だから。

人は一人では生きられない、
だれかと補いあってこれからもいけたらいいなって思いました。

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