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忘れて生きる|GWの記録



基本的にものを忘れないように記録をし、計画を立て、実行をすることを実施していますよね。忘れることが悪いことのように、効率的に努力を行う。

もれなく私もそうです。もう5年日記をつけて8年?目とかになりますし、noteに書くということも記録の一環として行っています。

しかし、ゴールデンウィークを超えて
「忘れることも大事だ」と、ふと思ったので自分用の記録。

もうこのnoteを書くという行為が「忘れようとしていない」という矛盾はさておきw
必要なことを忘れる行動のための記録は必要だよなと思いました。

ゴールデンウィーク前の私をご存じであるかたもいるでしょうし
Twitterでも騒いでおりましたが、
仕事が生活を脅かすほど侵食してきて、ほぼ鬱。
久しぶりに退職を検討しました。

この先の未来の不安と、積み重ねてきたことを無に帰す社内人事のほかには、3月まで繁忙期でそれが4月も長引いていたこと。
それから友人との旅行などのプラス方面のストレスもあり、
心身休めていなかったことも可能性としてありますね。


ので、ゴールデンウィーク中はほとんど実家+祖父の家に帰り
ぼーっとやりたいこと(…というより、もうほぼ動物的衝動に任せて)生きていました。
びっくりするほどご飯の記憶しかありません。


5月2日

職場から祖父の家に帰りました。
帰りの段階で「みかん食べたい」と謎にスーパーでみかん(カラマンダリンという品種でした)を買って帰り、
祖父の家にあった寿司を貪り食べました。

5月3日

家族とともに、自分の生まれ故郷の様子を見に行きました。
3歳までしか居なかった場所なので記憶はありませんでしたが、母は懐かしそうにしていました。
衝動に赴くまま午睡をしたり夕飯を作って食べたり。
牛しゃぶというのは珍しく食べましたがおいしかったです。


5月4日

移動日。
故郷で買った謎のパンを朝ごはんで食べ、祖父母の家から本当は自宅へ帰る予定だったのですが、母に誘われ実家へ移動しました。
昔だったらこの誘いを受けることは考えられなかったなと、自分の無意識の返答におどろきました。
なぜかといえば、実家の居心地は2022年ごろ非常に悪かった。

※※※家族も無理な記事

距離感のちょうどよさがいつの間にか戻ってきたんでしょう。
嫌な時も、変わらぬ努力をしてよかったなと思います。
実家に帰った後、仕事用の靴を買いました。
東京駅で買った総菜ハンバーグを夕飯に、昔の自室で睡眠をとりました。

5月5日

実家で過ごし、夜自宅へ移動。
最寄り駅前に古くからあるカフェで、昼食をとりました。
メニュー内で一番おいしい生姜焼きを食べて、買い物をし、夜は100円寿司を食べました。
弟が海鮮好きで、弟はこの数日間8割がた生魚食べていましたね。
そのほか、移動しながら、INFJラボのメンバーと打合せを行っていました。
本来のゴールデンウィーク予定であれば自宅に戻っている見込みだったので、
顔出しで話せる予定だったのですが、
祖父家→実家に戻るということでチャット参加させていただきました。


5月6日

心身を整え、作り置きおかずを6品程度作ったあと友人とゲームを行いました。
最近知り合った友人で、その友人とは、はじめてdiscordの通話付きで3時間?4時間程度モンハンを行いました。
文字上でしか会話したことがなかったのに居心地がよく、私よりよく話す善い人だな~と思いました。
高難度で、私8:友人2くらいの頻度で乙ってました。
そのあとはいつもの友人と寝る前に一瞬skyをおこないました。

そのほかでいえば、毎日運動を行っていました。

この一連の流れにより、私は不安をほとんど忘却していました。
会社員の仕事にとらわれた私ではなくただの私であれる場所というのは重要なもので、
私はいろいろな場所に所属しており、
どこの居場所も大事であり、
また、程よくすべてと丁度良い距離感であれるのも大事であり。

職場とはいえ「その場から離れるのが無理」と思わず、
極論、見当識だけはっきりしていれば一旦いいんじゃね?くらいの勢いで
いろいろな場所に所属しながら脳を休める(敢えて忘れる)のが大事だと思いました。

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