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【実録】うまく生きられない…の過去を全て話します。

ご覧いただきありがとうございます。
心の休憩所『こころのるぽ』
心理カウンセラーのみゆきです。

今回のnoteは、長くなりますが
私の過去をさらけ出そうと思います。

るぽを作るきっかけでもあり
もしかしたら同じようなことで
悩んでいる人がいたら
こんな生き方もある

そして、安心できる居場所と人の
大切さを伝えたいと思い
書きました。


大きく分けて私の人生のつまづきは3つ
1.小学生時代の不登校
2.中学、高校時代の人間関係
3.就職後の鬱と休職


私、かつての口癖が
「自分で自分を苦しめるのが特技です」
でしたし
「うまく生きられない…」
とよく呟いていました。


何度もお空に行きたいと思ったこともあり
電話相談やチャット相談なども
利用したことがあります。


それが、今では
その経験を活かして
心の休憩所を作りたい
不安な時に相談できる人でありたい
安心できる居場所を作りたいと
心理カウンセラーとして活動しています。

今でも過去の自分を
全て受け入れているわけではないし
”よかった”と美談にできているわけでは
ありません。


でも、今も生きているのは
安心できる存在と居場所があったからです。


どうやって今の私になったのか
当時の私自身と周りの人は
どう支えてくれたのか
お伝えできたらと思います。




***


最初のつまづき

不登校から相談室登校へ

小学校入学から変わらない
担任の先生とクラスメイトと
いじめもなく穏やかなクラスでしたが

2年生の冬から学校へ行けなくなりました。

原因は、今でもはっきりとは
わかりません。
むしろ、行けなくなるくらい辛い出来事だから
忘れている、思い出せないという方が
正しいかもしれません。

はっきり言えるのは
いじめやからかいはありませんでしたし
担任の先生は認め合うことを教えてくれた
いい先生だったということです。


3年生になりクラス替え、担任の先生が変わり
全く登校できなくなりました。

当時は、毎朝熱があるだの具合が悪いだの言い
休むことに必死でした。
そして、母が学校に欠席の電話すると
今日も行けない罪悪感と
行かなくていい安心感で
変な気持ちになっていました。

休日は元気になるけど
平日は元気がない
そんな都合のいい自分も嫌になるし
みんなは具合が悪くても
お友達と喧嘩しても
学校に行くのにできない私は…と
とにかく自分のことが嫌いでした。

ある日
学校から「相談室」へのお誘いが来ました。
「お話を聴いてくれるおじいちゃんがいるよ
教室(クラス)に行かなくていいから
相談室へ行ってみない?」と。

話を聴いてくれるおじいちゃんとは
スクールカウンセラーの先生のことです。

私は、教室に行かなくていいなら…
と承諾しました。

休み時間など人がいると
教室まで行くことが難しいので
授業中にこっそり相談室へ行きました。


そこで初めてスクールカウンセラーの先生と
対面しました。


おじいちゃん先生で(元校長先生)
6角形の机の対角線に座って
お話を聴いてもらいました。

正直どんなお話をしたのか覚えていませんが
「ここに来たいと思えばいつでも来ていいよ」
と声をかけてもらったことは覚えています。


そこから相談室登校が始まりました。


相談室ではスクールカウンセラーの先生と
話すだけでなく
ほとんどの時間は一緒に勉強をしました。
そして、徐々にクラス参加できるように
スモールステップで訓練が始まります。

全校集会を体育館のドアの前まで行く
給食を教室の近くまで
取りに行ってみる
休み時間だけでも教室へ行ってみる

ちょっと勇気を出したら
安心できるところに戻る

その繰り返しで徐々に教室へ行く
クラスに参加するという目標を
達成しました。


実は相談室登校は6年生まで続きましたが
6年生の後半には完全にクラス参加
できるようになりました。


「相談室」という居場所

教室には行けなくても
相談室なら行けるこの違いは

”安心する居場所と人がいたから”

そして、スモールステップでも
教室に徐々に近づけたのは

”安心できる場所に戻れるから”


学校という大きな場所でも
1か所でも安心できて
ちょっと頑張っても戻っていいところ
逃げてきてもいいところがある
認めてくれる味方がいる
そういう安心感があるから
踏み出せたんです!


赤ちゃんの愛着形成において、養育者との愛情的な絆ができ愛着形成ができることで、安心して世界を探索し始めることができるのです。
愛着とは、特定の人との愛情的な信頼関係のことを指します。
私の場合、このことが学校の先生やスクールカウンセラーの先生との信頼関係が構築されたことで、クラスという世界を探索できたのです。

また、マズローの欲求階層説には安全の欲求とあり、安全の欲求が満たされることで家族や仲間との親和関係ができ所属意識が高まるとされています。


余談ですが、私がカウンセラーになるという
夢を抱いたのは小学校の時で
卒業文集にも書いていました。


二つ目のつまづき

中学校部活動での陰口大会

中学校に入学して
問題なく登校できていました。

そして、中学校にはクラス以外の
組織に属します。


部活動です。


私は、吹奏楽部に所属しました。
先輩後輩は部員数が多かったのですが
同級生は10名程度と他学年に比べて
だいぶ少なかったです。


そして問題が発覚したのは
2年生の時でした。

3年生が引退し新体制になるため
部長やリーダーを決める会議が
行われました。

2年生のみが参加し会議も終わると
思われた時

「最後になにかありますか?」
と顧問の先生がみんなに訊いた時です。


ある部員さんが答えました。
「朝練の後、数人が1つのクラスに集まって
みゆきさんの悪口を言っています」


嫌われていたという実感はなく
数人と言っても10人中
半数以上が悪口に参加していました。
のけものにされていた
嫌われていた
どんな悪口を言われていたの?
他の人にも聞かれているんだろうな
私は何をしてしまったのだろう
という恥ずかしさと悲しさと悔しさで
頭が真っ白になりました。


それと
私は人に嫌われるし
集団には合わないんだ

と認識しました。


陰口大会は私が迷惑や嫌なことをした
わけではなく
行動や言葉にいちゃもんつけて
仲間に同意を求めているようでした。
(要は嫌われていた)

その後のことも正直あまり
覚えていません。

でも、辞めずに引退まで成し遂げました。
(私が担当した楽器が1人しかおらず
演奏が成り立たなくなるということもあったかも)


今までのように参加することはできないし
数日休むとだけ伝え
休んだ記憶があります。

部活以外でも部員に会うのも
すれ違うのも嫌だったし
後輩からはお手紙をもらったりして
嬉しかった半面
後輩も嫌われたら困るからと
距離をとったり
部活に関係ないお友達とだけ
過ごすようにしていました。


救ってくれた副顧問

陰口大会の暴露の後からは
部員の中には信頼できる人はいません。

また、直接仲直りや解決はしませんでした。
とにかく居にくいですよね。
(そういう機会を作らなかったし
仲直りしたいとも思えなかった)

救ってくれたのは
副顧問の先生でした。

どういういきさつだったかは
覚えていませんが
異変に気づいた副顧問が声をかけてくれて
経緯を話しました。

平日も休日の活動にも
顔を出してくれて
バス移動の時は
「乗り物酔いしてしまうので」と
一番前の副顧問の横に
座らせてもらいました。

解決したり仲直りしたり
したわけではありませんから
正直同級生はみんな敵です。

でも、集団の中に1人でも味方がいる
それだけでものすごく安心できるんですよね。

この件に関しては
辛い気持ちが特に残っています。
集団への苦手意識と
嫌われるんだって
再確認したような出来事でした。

また、顧問は?という声が聞こえてきそうですが
残念ながら顧問の先生は
陰口大会参加者と仲が良く
味方とは思えなかったので私の方から
頼ることをしませんでした。

副顧問の先生ありがとうございます。



突然の縁切りとブログ

無事に第一志望の高校へ進学し
華のJKになったのですが
ここで突然の縁切りがありました。


高校2年生になり
クラス替えであまり馴染めないなと
思いつつも1年生の時から一緒にいた
Aちゃんとは同じクラスで
お弁当を食べたり
移動教室を一緒にしたり
していました。


夏休み前のある日
朝からAちゃんは別のお友達と
ずっと話していたので
あれ?と思ったのですが
明らかに無視されて嫌な顔をされました。
さすがに、関係が終わったんだな…
と気づきました。


すぐに夏休みに入りましたが
なんでこうなったのかと考える日々。
連絡するにも勇気はないし
(嫌われているのに連絡する勇気はなかった)
悪いことしちゃったんだと
自分を責めていると

当時ブログが流行っていて
Aちゃんのブログを見つけました。

そこに

「縁切った人を紹介」
と私のことが書かれていました。


内容は
・私がいないと何もできない
・彼氏と仲良くてうざい
みたいなことだったかな?


選択授業が多い学校で
Aちゃんと同じ授業はほぼ無く
一人で動いたりしていたけれど
そうじゃなかったのかな?

当時彼氏がいて
同じクラスで席も隣
部活も一緒
最寄り駅も同じ(電車通学)
登下校も一緒
ほぼ一緒にいたことは確かです。
クラスにいるときはあまり
話すことなくいたけれど

どうであれ、嫌な気持ちにさせてしまった
ことには変わりありません。

夏休み期間だったので
商業施設で偶然でも会うのが嫌で
周囲を気にしながら遊んだり
Aちゃんのブログを読んだり
夏休み明けからは一人で過ごすのかと
良い気持ちでは過ごせませんでした。

ここでも
私は何をしても嫌われる存在なんだ
と自分を嫌いになります。



泣いて駆け込んだ先は

そんな夏休み前の朝
Aちゃんの態度から嫌われたと気付いて
教室に入れなくなった時
ある先生の元へ駆け込みました。

臨床心理士の資格を持つ
生物の教科の先生です。

初めての授業の際、先生が自己紹介で「臨床心理士」という資格も持っています。とおっしゃっていて覚えていました。


生物の時間しか関わりのない生徒が
突然泣きながら入ってきて
驚いたと思います。

先生は「座って」と椅子を出してくれて
自販機へ行ってミルクティーを
買ってきてくれました。
(この時からミルクティー好き)


「突然すみません。
臨床心理士だと分かっていて来ました。」
と伝えて、現状を話しました。


すごく悲しい思いをしたこと
傷ついたこと
怖い思いをしたことに共感してもらい
ほっとしました。
その日は早退することにして
またここに来てもいいし
担任の先生にも伝えておくと
伝えてくれました。


私は、心理士は味方である
話を聴いてくれる人である
と分かっていたからこそ
駆け込みました。

また、集団への苦手意識
嫌われる存在であるという
意識も強かったので
トラウマ的になり
この時はすぐに逃げるという
行動になったと考えています。

逃げるは恥だが役に立つ
ですね!笑

高校にもなって逃げるなんて…
人間関係で泣くなんて…
と思われる方もいるかもしれませんが

高校になっても
不登校だったことを
引け目に感じていたし
中学の陰口大会の傷が癒えたとか
そんな綺麗ごとになっていた
こともありません。

人間関係への苦手意識が強く
無意識に傷つけているのかも
嫌われていないか
とむしろ意識していました。


この後日談としては
Aちゃんとは関わることなく
今でも信頼出来て仲良しの
大切なお友達ができました♡

生物の先生のところに逃げたのも
この時だけで
夏休み明けに「ありがとうございました。」
と伝えて終わりました。
その時も、何かあればいつでもおいでと
穏やかな笑顔で言われたのを覚えています。



大人になってからのつまづき

児童福祉に就職するも…

小学校の頃から夢は変わらず
カウンセラーを目指して
心理学を学ぶ大学へ進学。

とくに児童心理に興味があり
大学在学中に児童養護施設での
ボランティアの参加したことがきっかけで
児童福祉の分野に就職します。


ところが2年目の冬に
メンタル不調になり休職となります。


きっかけは児童1人と共に
新潟から関東へ行き
警察沙汰となる事案が発生したこと。

荷が重く大きな事件でした。

会社としての対応は
翌日からの勤務を変更し
数日の休みとなりましたが
記録や関係各所への連絡などもあり
落ち着かない日々でした。

それに、連休明けの
出勤はすごく憂鬱でした。

どうすればよかったのだろうか
関係各所へも迷惑をかけたこと
職員や児童からの信頼が
なくなったかもしれない
児童との関係が崩れたかもしれない
と不安はとにかくたくさんありました。


職員からは励ましの言葉
児童からの謝罪もありましたが
自分の仕事に自信を無くしました。


産業カウンセラーとのやりとり

2年目の冬に初めて
2週間の休職をしました。

休職中は、仕事に行けない自分を責めて
朝は特に調子が悪く、夜に少し落ち着きます
(多くの人は朝に出勤し
夜は家にいるから罪悪感が減る)
お風呂に入れず数日に1回
食事は摂れていましたが
味はしないし
お肌はボロボロ
外出するのは休んでいる身が
外出するのは良くないと気が乗らなかったり
周囲を気にしながらで
楽しくありませんでした。

不登校の時の自分と重なるところがあり
それもしんどかったです。


その後、異動もありながら
会社には6年半勤めましたが
その間休職した回数は5.6回
ありますし
半年くらいいけなかったことも
あります。
(実質就業していたのは5年くらい
かもしれません)


そこで、組織内の
産業カウンセラーと話す機会がありました。

産業カウンセラーとは、働く人や働こうと考えている人(またその家族も含む)のメンタルケアを専門とするカウンセラーのことです。社内カウンセラーと社外カウンセラーがおり、それぞれの組織が配置を決めています。


社内カウンセラーだったので
組織のことや業務のことは
ある程度理解してもらえて
組織の中でどういたいのか
どんな関係がいいのか
私自身の捉え方や価値観を
一緒に考えていくことで
自己理解が深まるだけでなく
組織の問題についてどう解決していくか
無理のない働き方や
力の抜き方を教えてもらいました。

もちろんここでも
組織内に話を聴いてくれる人がいる
それがすごく安心になりました。

また、組織となると
人事評価や上司や同僚との関係もあり
気軽に相談することができない場合もあります。
それでも状況を理解してもらい
守秘義務があって
働き方についても相談できるのは
とても心強かったです。

この経験から、働く人のカウンセリングもできるようになりたいと産業カウンセラーの資格を取得しました。
会社は、長い間お世話になりましたが退職することとなりました。



まとめ

安心できる人と居場所

みんな学校に行けているのに…
(私は行けない)
嫌なことがあっても学校に行けるのに…
(私は行けない)
真面目に練習しているのに…
(バカにされた)
仲良しだと思っていたのに…
(嫌われていた)
しんどくても仕事に行っているのに…
(私は行けない)

私はみんなができることができなくて
嫌われて、逃げてばかりの

悪い子だと思っていました。


それに、今でも
こんな経験をしてよかったとか
美談にもきれいごとにも
できていないこともあります。


でもね
安心できる居場所に導いてもらって
話を聴いてれた恩師たちのおかげで
私なりの生き方があると

支えてくれました。


身体や心がストップをかけたとき
これ以上傷つきたくないとき

安心できる居場所があったから

身体や心が休まることができたし
それ以上傷つくことなくいられた


話を聴いてくれる人がいたから

受け止めてくれた安心感を感じたし
一人で解決できないことも
解決に向けて動き出せました。


なにより
安心できる居場所×話を聴いてくれる人
のおかげで
もう一度進み出せたのです


もし、またつまづいてたとしても
戻っていい場所がある
味方になってくれる人がいる
このことが
どれだけ安心できて心強くて
前に進む力になったのです



大切な安心感

何度も出ているように
安心感をとても大切にしています。

私は大人になってから
鬱を数回繰り返しました。
振り返ると
子どもの頃からその傾向は
あったように思います。

よく、真面目で頑張り屋さんの人が
鬱になりやすいと聞きますが

最近では、遺伝子レベルで
なりやすい人がいるとも
言われています。
元々そういう素質を持っている人
生まれながらにしてなりやすい人
とも言えますね。


もしかしたら私は
素質がある人なのかもしれません。


鬱であろうとなかろうと
安心できる居場所があること
安心できる人との関わりがあること
これはどんな人にも必要なもの
だと思います。


だからこそ
心理カウンセラーとして
気軽に相談できる人でありたいし
こころのるぽという居場所や活動が
気軽に寄れる居場所でありたいと
思っています。


こころのるぽの『るぽ』とは
フランス語で休憩、休息
という意味です。

こころの休憩所として
みなさんのヨリドコロになれるように
頑張ります。


いつかは、カウンセリングルームを
開くことが夢ですし
全国の皆様のところへ行って
直接お話できることが夢です!


もし、あなたが
不安にかられたら
孤独を感じたら
悩み続けて苦しかったら
るぽに寄ってみてくださいね。


***


長い私の過去のお話を
最後まで読んでくださり
ありがとうございました!


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