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まるごと尊重する、ということ。

私は多くの子どもと関わる仕事をしています。

私から見えている部分がその子の「全て」ではないことは十分に承知していますが、母子家庭の子、父子家庭の子、精神疾患のある家族と暮らしている子、外国にルーツのある子、グレーゾーンの子、家族と一緒に暮らせない子、ヤングケアラー、持病の治療をしながら生活している子など、本当に多様で、複雑な環境のなかで生きています。

ここで断っておきたいのは上に書いた境遇にあるから、その子は「かわいそう」ということではありません。ただ、マイノリティな立場だと、自分の悩みに共感してもらえなかったり、自分にとっては重大なことなのに「それくらいのこと」と捉えられてしまうこともあると思います。「自分の気持ちを理解されにくい」「支えてくれる人が見つかりにくい」ということは彼らの苦しさのひとつだと考えています。


彼らと接するなかで、常々思うことは「子どもだからといって蔑ろにされていいはずがない」ということです。周囲の大人が思っている以上に物事をよく見て、受け止め、その上で悩みんだり苦しんだりしている子が多くいます。そして、そういった子たちは大人と同じように悩みながらも、なかなか助けを得ることが出来ないことが多いようにも感じます。なかには「子どもの言うことだから大したことはない」「大袈裟に言っているだけ」と真剣に取り合わない人もいます。

相手が「子どもだから」と言って真っ直ぐに向き合わなかったり、適当に流したりするのは、相手を尊重していないということです。また、同じことを理由にして脅したりやモノで釣ったりして子どもをコントロールするのも、尊重からはかけ離れているように感じます。

「言っても無駄だから」と諦めたり、面倒くさがって問題を直視することを避けたりすることは、その後の関係が崩れてしまう原因になると思います。私も保護者も社会の一員として働き、生活しています。正直、仕事のことやお金のこと、その他にも考えることは山積みで、毎日時間に追われて暮らしている人が多いでしょう。だからといって子どもと向き合い、時間をかけて話し合ったり、時にはぶつかり合ったりすることを避けていては、問題の解消・縮小が遠のいてしまうような気がします。

私の仕事は保護者とは違った形で子どもの成長を支え、見守ることです。仕事を始めたばかりの頃、「あなたは親ではないから私の気持ちなんてわからない」と責められたことがあります。当時はその言葉を正面から受け取ってしまい、大変落ち込みましたが、今は「そんなの当たり前でしょう」くらいに思っています。立場が違えば見えるものも違うし、感じることも違うのは当然のことだと思います。しかし、大事なのは立場が違うから分かり合えない、協力できないと諦めるのではなく、歩み寄り、「問題を解決する」という共通の目標に向かってできることを探し、共に実行していくことだと思います。

そんな私が、最近仕事をする上で特に気を付けているのは次の3つです。

◎話を最後まで聞くこと

◎「叱る」ことはしても「怒る」ことはしないこと

◎改善点を伝えるときは出来ていることも伝えること

たとえ結論がわかっていても、子どもの話が寄り道回り道をして分かりにくかったとしても出来る限り口を挟まずに聞くように心がけています。なかには話しているうちに何を言いたかったのか分からなくなってしまう子もいるので、その時は「◯◯が起きて◎◎したんだね。その時どう思った?」などと聞くことはあります。

2つ目の「怒らない」というのは、まだまだ私自身が訓練中です。どうしても何度説明しても話を聞いていなかったり、同じことを繰り返し伝えても問題が改善されなかったりすると「いい加減にしてくれ〜」という気持ちになってしまいます。感情的に言葉を発しないように気を付けていますが、100%上手くいっているかと言われると答えはNOです。ですが、このことを意識するようにしてから話がスムーズに伝わりやすくなったり、子どもの感情の昂りが落ち着きやすくなったりしている気がします。上には『「叱る」ことはしても…』と書きましたが、どちらかと言えば私の方法は「諭す」に近いかもしれません。まずは子どもの話を聞き、その上で駄目なことは駄目だと伝えます。もしくは、そうした発言・行動をすることでどんなデメリットが生じるのかを説明し、改善策を話し合うことが多いです。

最後のことについては、ただ単純に自分が指摘を受ける側の立場だったら、出来ていないことを言われるだけよりも出来ていることを認められたいと思うからです。しかし、私は「褒める」という行為が苦手です。どうしても相手を自分より下に見ているような気がしてしまい、居心地が悪く感じてしまいます。そこで、声をかける時には「すごいね」「素晴らしいね」「さすがだね」という言葉も使いますが、もう一言付け加えるようにしています。例えば「あなたは自分の仕事を丁寧に終わらせるだけではなく、周りの人の仕事も手伝っていて素晴らしいね!周りのことをよく見ているってことだね」のように。ただ「すごいね」「さすがだね」「素晴らしいね」と言われるより、嬉しい気持ちになりませんか?相手に声をかける時は、嘘を言ったり大袈裟な言葉を選ぶ必要はありませんが、「具体的に伝える」というのは大事だと思っています。


今回も長々と書いてしまいました。社会全体を見渡すと、子どもに限らず様々な悩みや苦しみ、特性をもっている人がいます。というより、「これがスタンダード」という人間など存在しないのだから、全ての人が「特別」で「誰とも同じではない」、唯一の存在です。だからこそ、これまで書いたように、相手を丸ごと尊重すること、そのために何が必要なのかを考えることが重要なのではないかと思います。



#多様性を考える

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