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ローマ人への手紙3:21 〜 26★2022/11/05掲載分

デボーションガイド*ハーベストタイムより




【御言葉】ローマ人への手紙3:21 〜 26


21 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。

22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

26 それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。



《参考》




神の義(7)

*「なだめの供え物」を公に示した理由は何か


「なだめの供え物」という言葉を通し、義認を別の角度から論じている。

「なだめの供え物」を公に示した理由について。
「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです」(25節a)
新改訳「なだめの供え物として、公にお示しになりました」の方が良い訳。
神は、過去の忍耐を示すため、キリストをなだめの供え物として、公にお示しになった。


「それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです」(25節b)


(1)旧約時代の聖徒たちには、罪に対する根本的な解決は与えられておらず、いけにえの動物をささげても、彼らの心は空しかった。
彼らは、翌年になると、また同じ儀式をくり返さねばならない。


(2)モーセの律法が命じるいけにえでは、罪の解決にはならない。
いけにえの血は、罪をおおう役割は果たしたが、罪を赦すことはできない。
このことは、ヘブル人への手紙の中でくり返し語られる内容。


(3)神はこのようにして、旧約時代の聖徒たちの罪を、忍耐をもって見逃がされた。



*今の時のために


神は、今の時に神の義を示すため、キリストをなだめの供え物として、公にお示しになった。
「それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです」(26節)


(1)旧約時代の聖徒たちの罪は、キリストが死んだ時に取り除かれた。
それまでは、罪が一時的におおわれていただけでした。


(2)新約時代の聖徒たちの罪は、信じた瞬間から取り除かれている。
神が、イエスを信じる者を義と認めてくださる。


(3)神ご自身が義であることが証明された。
単に罪を赦すだけでは、神が義であるとは言えない。
罪に対する怒りが静められて初めて、神は義であると言える。
そのため、公にされた「なだめの供え物」が必要になった。


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