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ローマ人への手紙3:27 〜 31★2022/11/08掲載分

デボーションガイド*ハーベストタイムより




【御言葉】ローマ人への手紙3:27 〜 31


27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。

28 人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。

30 神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。

31 それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。



《参考》




義認と律法の調和(2)

*救いの道は一つ


パウロは、「義認」について2つのことを論じた(1:18 〜 5:21)

① 義認と律法の関係
② 義認と律法の調和


▼信仰義認が真とするなら、律法はどうなるのか。


信仰義認は、全ての人に適用される原理です。
(1)「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです」(28節)

「人が」とは、ユダヤ人も異邦人も、すべての人に同じ原理(信仰義認)が適用される。


(2)「それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です」(29節)。
ユダヤ人は、神は自分たちだけの神だと考えてきたが、異邦人にとっても神である。
アブラハム契約の中には、異邦人の救いが含まれ、ローマ11章には、オリーブの木の神学が展開されている。


(3)「神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです」(30節)。

「割礼のある者」とは、ユダヤ人で「割礼のない者」とは、異邦人。

ユダヤ人の救いの方法と異邦人の救いの方法は、異なるという主張(二契約神学)は、間違っている。



*信仰は律法を無効にするのか


「それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです」(31節)。

パウロは、この問いを強く否定。
信仰は、律法の否定ではなく、律法の確立。
ローマ4:1 〜 25(アブラハムの例)で説明されている。

ローマ人への手紙4:1ー25
1.それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。 2.もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。 3.なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。 4.いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。 5.しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。 6.ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、7.「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。8.罪を主に認められない人は、さいわいである」。9.さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。 10.それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。 11.そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、 12.かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。 13.なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。 14.もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 15.いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。 16.このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、 17.「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。 18.彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。 19.すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。 20.彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、 21.神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。 22.だから、彼は義と認められたのである。 23.しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 24.わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。 25.主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。


▼論理展開を簡単に要約すると
① 律法により罪が示される。
② 信仰義認の道しかないことが分かり、福音を信じるようになる。
③ 結果、聖霊の内住が与えられる。
④ 聖霊の力によって、律法の要求を満たされる。

聖書信仰に立つ者は、「信仰により、恵みによって救われる」と確信する必要がある。


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