『タフラブという快刀』信田さよこ
この本は、親子共依存や愛着障害で悩みんでいる方、
特に、改善しつつあるけれど、こびりついた恐怖心から壁にぶつかっている方におすすめしたい本です。
カウンセリングを始めてから3か月目の恐怖
少しわたしの話をすると、新年あけてから、ひたすら読書をしました。
2022年の11月から共依存・愛着障害をテーマにカウンセリングに通い始めて3か月。
わたしは今揺れに揺れています。
共依存からの回復の実感
カウンセリングの効果が、着実に表れているのは本当に強く感じています。
まず、泣かなくなりました。以前は、「なんでこんなことで」というような、ささいなことですぐ涙が出ました。たとえば、冷蔵庫の食材を腐らせてしまっただけで、強烈な自責の念に駆られて涙が出たりするんです。あまりのくだらなさに思わず笑ってしまって、笑いながら泣いているところを夫に見られてビビらせたりしていました。
それから、電話応対や役所とのやり取りで嫌な思いをすることがずっと減りました。共依存によって、周り中敵だと無意識に思っていたのが外れると、こんなに生きやすいのか、と感動したり、自分でも意外なことが得意だとわかって新しい趣味ができたり。肩の力が抜けたせいか、年末の義実家への帰省も以前より数段楽しかったです。
たった3か月、月2回のカウンセリングですが、わたしには合っていたようで見えないけれど心も歪むし、歪みが取れるとこんなに気持ちいいんだなと実感しています。心の整体という感じです。
答えの出ない家族イベント
カウンセリングを始めてから(1月現在今も継続しています)、薄暗いベールが剝がれていくように日々のきらめきを喜び、楽しんでいたのですが、年末年始にいろいろ母からのアプローチがあったりなかったり、これから法事が待ち受けていたり、第一子誕生(わたしの)がらみのイベントをどうするかなど、正直答えの出ない問題が山積みで、今とても悩んでいます。
父に問題がないとは言い切れないのですが、わたしは母娘・共依存が一番のネックです。前から自己主張はしていたのですが無視されて力づくで押し付けられてはあきらめて受け入れる、ということを繰り返していました。
しかし、カウンセリングを受け始めて、急に何を言っても強固に自分の意志を貫くようになった娘に母は焦ったのだと思います。年末年始は大揉めでした。関係ない親族からお叱りの電話まで受け(笑)、「絶縁」という単語が頭をよぎりました。わたしの第一子が両親にとっては初孫です。今考えると、その時は「初孫に会わせない」ということがわたしの最大の切り札で、両親にとって罰になり、改心のきっかけになるのでは、という甘い期待もあったのだと思います。
幸いなことに経済的に完全に自立しているので、物理的な絶縁は簡単です。ただ、わたしはおじいちゃん子で、母方の祖父にひ孫を見せてあげたいし、兄妹との仲も悪くありません。でも、法事などには行きたくない。赤ちゃんのお披露目やお宮参りも無視したい。一方的に責めてくる親戚もいるし、わたしの姿を見た母が、どう暴走するかわからず怖いからです。年末からほとんど連絡を絶っているのですが、今も、いつ突然家に押しかけられるか不安に駆られるときがあります。父に大声で「親不孝者!」と責め立てられて、泣きながら怒鳴り返す夢を見るときもあります。
肉体的な力の差では絶対に負けないし、いざとなったら警察でもなんでも呼ぼうと決めているのですが、幼いころから植え付けられた恐怖や罪悪感がどうしてもぬぐえません。家族イベントを放棄することで自分が好きな人たちにも悪口を言われてるようになるのかと憂鬱になるなど、すぐ他人の気持ちにばかり注目して、自分の気持ちが見えなくなってしまいます。
初産なので、出産に集中したいのですが、どんどん、出産とはまったく関係ない不安が募ってきます。
「タフラブ」、見守る愛という希望
年始から、不安に駆られ、大量の読書をしました。
そのなかに、信田さよこさんの『タフラブという快刀』という本がありました。
「タフラブ」とは「手放す愛・見守る愛」のことだそうです。
夫婦間や親子間、主に女性側に立った主張が描かれている、令和の時代に読むと少し男性に敵意を感じるかもしれない内容でした。
でも、家父長制度、母性、父性への言及、夫婦間の自己犠牲問題、家族間の愛着障害など、家族の密接な関係性による問題についていろんな側面から実例を交えて論じられています。
その実例の一つに、引きこもりの息子や拒食症の娘を持つふた家族の回復までの過程が書かれている一節がありました。
それらの家族の両親との決め事は、「子どもの問題に立ち入らないこと」。
挨拶や向こうからの問いかけには誠実に答え、”その時の”親自身の気持ちを伝えはするけれども、決して息子や娘の問題を解消しようとはしない、ということでした。
特に拒食症の19歳の娘は、「育てなおし」によって今まで甘やかされて幼児のように扱われていたのに急に大人の対応をされてひどく暴れたと書かれていました。壁を破壊したり、お皿を割ったり、仮病を使ったりそばに居てくれないと死ぬと脅したり。やってる内容は多少違うけれど、その描写はわたしの母と重なって見えました。
アポなしの訪問や仮病を使うのは朝飯前で、ひどいときはわたしが大切に思っていると知っている祖父を危篤にしてみたり、親戚のみならず近所中にわたしが精神病のように触れ回ったり(ホルモンバランスが~というのが母の常套句です)、兄妹がわたしの悪口をずっと言っていると不安を煽ったり、泣き落としで同情を誘ったり、そうかと思えば信じられないような暴言を吐いたり。
ただ、拒食症の娘の両親が、どんなに暴れられても脅されても屈せず「割ったお皿は自分で片づけてください」と放置したり、「(死ぬと脅されても)わたしは今日出かけなければならないので出かけます」と出かけたり、動じずに毅然とした態度を続けたことで娘は外出するようになり、拒食症も改善。大学を卒業し、結婚や出産までしたというのです。
わたしはそのことにとても勇気づけられました。
頭では理解できても、無意識の奥底では、自立することで母をないがしろにしているような罪悪感をぬぐえずにいました。それは今でもまだ感じるし、払拭するにはもっと時間がかかると思います。
ただ、このエピソードを読んで、わたしが、自分の限界をきちんと見極め、何をされても動じずに毅然とし続ければ、きっと母のためにもなるのだ、と思えたのです。
完全に親子がすっかり逆転してしまっていますが、わたしは、自分が娘として生きていくよりも、母という一人の人間を見守っていく俯瞰的な立場のほうがしっくりくるように思えました。
母を受け入れるのでもなく、突き放すのでもなく、見守っていく。
noteに書いたことで、より一層自分の望みがクリアになった気がします。
まだ答えの出ない問題も、思い悩むこともうろたえることもたくさんあると思いますが、その都度あきらめずに自分と向き合っていきたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
ではまた!