Mai Okubo

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Mai Okubo

いつでも、感情に素直に生きていきたい。 https://www.facebook.com/mai.ohkubo https://www.instagram.com/maiokb/

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記事一覧

2023.7 自己紹介/Mai Okubo(まいまい)

あらためて、はじめまして!大久保真衣(まいまい)と申します。 最近お会いできる方&再会できる方が増えたので、あらためて自己紹介ページを作ってみようと思いました! …

Mai Okubo
1年前
30

褒め言葉を受け取るということ

「キラキラしてる」という言葉を、実はかなりの数、これまでいただいてきた。 思い返せば、「なんかキラキラしてるから」って言われはじめたのは10年前ごろ。しかも、それ…

Mai Okubo
1年前
27

人生の種明かしがすすんだ月のこと

人生が前に進む、と考えるならば、それを常に反対方向に引っ張る存在があった。前のめりになる私の肩に手をかけて、ぐいっと引っ張った。時には、「お前には無理だ」と囁い…

Mai Okubo
1年前
50

日常は言葉によってきらめく

「文学フリマ」に行ってきた。 友人で詩人のnengyuanが出店するということで、モノレールに乗って流通センター駅まで訪れた。そもそも、ぶんがくふりま、なるものの存在が…

Mai Okubo
1年前
13

発信とは、変化の証。

私は、「発信のプロ」である。 自分の何か負けない強みを、一つ抽象化して言えるなら何か?そう思ったら、「発信」かもしれない、と今日気づいた。 私はライターとして、…

Mai Okubo
1年前
6

書くことはやめない。これからも。

書くことが、好きだ。 まとまった文章を最初に書き始めたのは、小学校1年生のころ。そのころ、「動物たちがみんなでパーティをする」という小説を書いて、あまりにもうま…

Mai Okubo
1年前
10

変わった後に、変わる前の話は書けない

自分自身が「変わっている」という変化を、まざまざと実感するのは久しぶりにかもしれない。 人生に「変わる瞬間」は色々ある。生活環境が変わる、服が変わる、友達が変わ…

Mai Okubo
1年前
5

伝えなくてよかった、あの日のこと

人生で告白をしようと思ったことはほとんどない。でも、極限までしたくなって、しなかった日の記憶を、思い出すときがある。 「憧れ」と「尊敬」と「未知」が入り混じると…

Mai Okubo
1年前
5

自信の所在地

自信がないわけではない。でも、見られるのが怖い。30歳過ぎまで、ずっともっていた感覚だった。 自信はあるか、ないか。そう聞かれたら、「あるし、ない」と答えていると…

Mai Okubo
1年前
3

夜明け前のこと

藤井風くんの、「dawn」のMVが好きすぎる。 最初に見た時は、ただ華やかな舞台のシーンに惹かれて(ステージが好きだから)、でもその中で葛藤する彼の世界観に引き込まれ…

Mai Okubo
1年前
3

共感が生む、熱狂と絆の話

“必要以上に"共感をするクセが、私は小さい頃からついていた。 幼い頃、あまりにもおとなしく、しゃべらない存在だった。気づけば自己主張というものがどんどん下手にな…

Mai Okubo
1年前
4

誰のために踊るのか

ダンスが好きだ。上手なわけじゃ、ないけれど。 最初に憧れたのは、確か高校生の頃だったように思う。生真面目な進学校の中で、ダンス部の子たちは同じ制服なのになぜか垢…

Mai Okubo
1年前
2

書くのが幸せなのか、書けないのは幸せなのか

むかしは、よく書いていた。そして、最近は「書かなく」なっていた。 複業、というくくりで書き始めてからはゆるやかに10年が経つ。会社員のかたわら、お金をいただいて書…

Mai Okubo
1年前
5

「得体の知れなさ」のあるひと

ふと、ついこの間ワイン片手にふわっと頭によぎったことを、久しぶりにnoteにでも気ままに記してみよう、そう思ったのでつらつらと書いている。 やりたいことも、理想も、…

Mai Okubo
2年前
5

型のない文章を、言葉を、紡ぐと言う欲求

自由な形式で書く文章というものから、だいぶ離れていた気がする。 ライターとして活動し、そのほかも色んな「仕事」や「活動」や「事業」を広げていたいま。ふと見つけた…

Mai Okubo
2年前

2020年のまとめと、2021年

2021年がはじまった。 2020年、とことんマイペースに歩み続け終わった結果、「振り返り投稿」も「あけおめ投稿」もすっかりタイミングを逸して、ほんとうに近しい距離の友…

Mai Okubo
3年前
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2023.7 自己紹介/Mai Okubo(まいまい)

あらためて、はじめまして!大久保真衣(まいまい)と申します。 最近お会いできる方&再会できる方が増えたので、あらためて自己紹介ページを作ってみようと思いました! 「私、こんな人です!」少しでもわかってもらえると嬉しいです。 今のお仕事はこんな感じ 株式会社のローンディールの「レンタル移籍」のプロジェクトマネージャーとして、挑戦するひとのサポートやプロジェクト進行がメインのお仕事です。変わる個人や、よい組織づくりのことを日々考えています。 個人事業主としては、SNS運用・

褒め言葉を受け取るということ

「キラキラしてる」という言葉を、実はかなりの数、これまでいただいてきた。 思い返せば、「なんかキラキラしてるから」って言われはじめたのは10年前ごろ。しかも、それが人生で一番はじめの複業につながった記憶がある。 その頃、ただその場で過ごし「出会いが楽しい!」「みんな最高!」と空間を楽しんでいたら、とある企業のプロジェクトメンバーに巻き込んでもらったのだった。私の自由奔放なパラレルキャリアは、実はそんな“キラキラ"というワードからいつも広がっていた。 「私、とってもキラキラ

人生の種明かしがすすんだ月のこと

人生が前に進む、と考えるならば、それを常に反対方向に引っ張る存在があった。前のめりになる私の肩に手をかけて、ぐいっと引っ張った。時には、「お前には無理だ」と囁いた。その存在の正体に、私はずっと気づけずにいた。 ”それ”は、全くわからなかった。そもそも、存在にもずっと気づけなかった。なにかよくわからないけど、自分の行動を反対側のベクトルに持っていく存在があった。それにより、怖かったし、自分をたくさん責めて否定した。誰に何を話したこともなかったけど、常に何かをするときには「恐れ

日常は言葉によってきらめく

「文学フリマ」に行ってきた。 友人で詩人のnengyuanが出店するということで、モノレールに乗って流通センター駅まで訪れた。そもそも、ぶんがくふりま、なるものの存在が今まであることなんて全然知らなかったし、そもそもどんなイベントなのかもぼんやりとしかわからなかった。 でも、そう。本当に、、行って良かった。 文学フリマ。自費出版、同人誌、出版社、編集者、ジャンルも、詩やエッセイ、単価、フィクション、ノンフィクションなど、ありとあらゆるジャンルの言葉を一つの「本」にまとめ

発信とは、変化の証。

私は、「発信のプロ」である。 自分の何か負けない強みを、一つ抽象化して言えるなら何か?そう思ったら、「発信」かもしれない、と今日気づいた。 私はライターとして、いろんな記事を書いてきた。けれど、もはや、ライターというものにおさまらない。wordpressなどのブログ、ameblo、instagram、facebook、テキストだけにとどまらず、stand.fmやポッドキャストもする。Youtubeもつくる。つまり、何をしてきたかと言うと、とにかく「発信」をいろんな形を変え

書くことはやめない。これからも。

書くことが、好きだ。 まとまった文章を最初に書き始めたのは、小学校1年生のころ。そのころ、「動物たちがみんなでパーティをする」という小説を書いて、あまりにもうまく書けた(らしい)ので、当時の担任の先生が製本してくれた。小学校初期はほとんど覚えていないが、唯一鮮明なうれしかった記憶だった。 そこから30年。私は、あらゆる文章を書いた。 フルタイムで会社員として働くかたわら、「ライター」としての別の顔を持った。ファッションやライフスタイルのキュレーションのメディアで、とにか

変わった後に、変わる前の話は書けない

自分自身が「変わっている」という変化を、まざまざと実感するのは久しぶりにかもしれない。 人生に「変わる瞬間」は色々ある。生活環境が変わる、服が変わる、友達が変わる、色々ある。 今回の私の変化は、自分と人生に対しての捉え方。所属組織が変わることで、人生の重点が「社会と組織に貢献すること」から「個人としてどうありたいか」に、ガラリとパラダイムシフトが起きていることを、身をもって体感している。 うーん。これは。 率直に言って、結構、しんどい。 果たして、何がしんどいのか?

伝えなくてよかった、あの日のこと

人生で告白をしようと思ったことはほとんどない。でも、極限までしたくなって、しなかった日の記憶を、思い出すときがある。 「憧れ」と「尊敬」と「未知」が入り混じると、気づかないうちに恋に落ちているものだ。 貪欲に、野心的に生きていた、20代の頃。いつだって、気持ちのおもむくまま、男女ともにときめく人を感性のままにおいかけていた。突き動かす原動力は、いつだって「この人の見ている世界を見たい」という気持ちだけだった。 だいたい、“そう"なるときは最初にわかる。 思考のスケール

自信の所在地

自信がないわけではない。でも、見られるのが怖い。30歳過ぎまで、ずっともっていた感覚だった。 自信はあるか、ないか。そう聞かれたら、「あるし、ない」と答えていると思う。…変な回答。我ながらそう思うが、そうとしか表現できないのが、私の自信に対する認識だった。 30歳過ぎ、ファッションセンスの良い後輩たちと話す時が、特に怖かった。鮮やかなイエローの品よく輝くアイシャドウ、無造作にまとめられたようで計算されたお団子ヘア、シンプルなのに質感ですぐ"いいもの"だとわかる洋服に負けな

夜明け前のこと

藤井風くんの、「dawn」のMVが好きすぎる。 最初に見た時は、ただ華やかな舞台のシーンに惹かれて(ステージが好きだから)、でもその中で葛藤する彼の世界観に引き込まれて、なんだか耳に残る曲調で、ただ気にいって聞いていた。 フィナーレの、スクランブル交差点で一人で踊るシーンも、なんだか無性にかっこよかったな、くらいだった。 (メイキングも見ていて、最後の変顔は何回もこだわって撮り直したのがとても印象的だった) でもふと、先週あたりにこの曲をもう一度思い出して、「あ、聞きたい

共感が生む、熱狂と絆の話

“必要以上に"共感をするクセが、私は小さい頃からついていた。 幼い頃、あまりにもおとなしく、しゃべらない存在だった。気づけば自己主張というものがどんどん下手になっていて、正直、大きくなるまでそのやり方がわからなかった。常に相手の言うことを素直に受け入れて、共感力がある以上に、自分の思いとの境界線がなかった。 中学生の時に、あまりにも友達の判断基準に迎合しすぎて、「なんでもいいよじゃ何考えているかわかんない」とバッサリ言われたことも覚えている。それくらい、主張のない子として

誰のために踊るのか

ダンスが好きだ。上手なわけじゃ、ないけれど。 最初に憧れたのは、確か高校生の頃だったように思う。生真面目な進学校の中で、ダンス部の子たちは同じ制服なのになぜか垢抜けてて(ブレザーだったのにセーラー服を着ていた人もいた)、まるで別世界の人だった。外見に気を使いたくても使いきれない初心なクラスメートをよそに、同じく目を引く男子たちと集まっていた。別世界で生きるように、華やかな存在だった。 大学生になっても、ダンスへの憧れは消えなかった。女性限定のサークルで、パンフレットだけは

書くのが幸せなのか、書けないのは幸せなのか

むかしは、よく書いていた。そして、最近は「書かなく」なっていた。 複業、というくくりで書き始めてからはゆるやかに10年が経つ。会社員のかたわら、お金をいただいて書く、プロの"ライター"という立場で書いていたことが多かった。その一方で、自分の想いをそのまま言葉にぎゅっと詰め込む、感情の瞬間冷凍のようなエッセイを、誰にも見せず、よく書いていた。 なんで書けていたか。 それは、それだけ、出したくても出せない言葉が多かったからだと思う。 そもそも20代の頃、自分の本心と、表向き

「得体の知れなさ」のあるひと

ふと、ついこの間ワイン片手にふわっと頭によぎったことを、久しぶりにnoteにでも気ままに記してみよう、そう思ったのでつらつらと書いている。 やりたいことも、理想も、色々追いかけて、追いかけ尽くして、今思うこと。それは「得体の知れない人」になりたいな、と思うことだった。 いまは、いろんなことが透明性に溢れている。 SNS、音声、動画プラットフォーム…その人のその人らしいことがいつでもどこでも見れる状態で、なんなら見た目だけじゃなくて、言葉にして整えたら「思い」も可視化され

型のない文章を、言葉を、紡ぐと言う欲求

自由な形式で書く文章というものから、だいぶ離れていた気がする。 ライターとして活動し、そのほかも色んな「仕事」や「活動」や「事業」を広げていたいま。ふと見つけた過去の自分の記事を眺めていたら、そんな問いに当たってしまった。 https://note.com/mlf/n/n051eb3d9cdde 私は、「書く楽しさ」を忘れてやいないだろうか、ということに。 書くことの楽しさは、そう、ありあまるほど挙げられる。 何か魅力のあるものを、自分がセレクトした言葉で伝えるのも嬉しい

2020年のまとめと、2021年

2021年がはじまった。 2020年、とことんマイペースに歩み続け終わった結果、「振り返り投稿」も「あけおめ投稿」もすっかりタイミングを逸して、ほんとうに近しい距離の友人にだけ年賀状を出し、わたしの2021年はひっそりとはじまった。(でもそれでいい) 思えば、2020年は、うちにこもった1年になった。いろんな意味で。 もちろん、こんな社会情勢もあるのだから「うち(家)」に籠るのは当たり前だったわけなのだけれど、なんだか輪をかけてとことん自分の好きなものや家にこもった日々