見出し画像

人生の種明かしがすすんだ月のこと

人生が前に進む、と考えるならば、それを常に反対方向に引っ張る存在があった。前のめりになる私の肩に手をかけて、ぐいっと引っ張った。時には、「お前には無理だ」と囁いた。その存在の正体に、私はずっと気づけずにいた。

”それ”は、全くわからなかった。そもそも、存在にもずっと気づけなかった。なにかよくわからないけど、自分の行動を反対側のベクトルに持っていく存在があった。それにより、怖かったし、自分をたくさん責めて否定した。誰に何を話したこともなかったけど、常に何かをするときには「恐れ」がつきまとった。

前に進みたい。こうなりたい。もがけばもがくほど、後ろの抵抗力を強く感じた。そんな「これまで」だった。


けれど、先月末から、そんな「何か」は、霧が晴れるように、陽が差し込むように、溶けていっている。

しゅわわわ、と、音を立ててその「怖かった何か」の存在が融解していく。黒くて怖くて、正体のわからないもの。どんどん解けていく。色が薄くなっていく。

反対方向に引っ張る存在、声。
それは、まぎれもなく、過去の自分。いや、過去の自分が、つくりあげた存在、のようだった。

多くは、親との生活と共に生まれたもの。
でも、親そのものじゃない。親の言葉や当時の幼い頃の感受性が解釈して混ざり合って、ごちゃまぜになったもの。だから、実在はしていない。自分が勝手につくりあげた「恐ろしそうなよくわからない何か」だった。
自分を守るためにあえて否定したり、怖がらせたり、行動を止めようとする。それは、いつの日か自分を守るために生まれた感情や思いが、必要以上に大きくなったもの。「あぶないから、そっちにいっちゃいけないよ」と、制御してくれるものなのだろう。それによって、自分は危ない道を進まずに、安全な人生を生きることができたのだと思う。だからこそ、これまでは「自分のため」にあったもの、だったのだと思った。

そう、自分を止めていたものは、自分を守ってくれていたものだった。

そのとき私は、人生に仕掛けられていた壮大な"なにか“に気づいた、ような気がする。まるで、人生の種明かしのようだった。


いつの日か感じた、反対方向に引っ張る声も手も、消えていくのを感じていた。

…"それ“が何だったのかはもう、私には見えなくなりつつある。



ちなみに、この仕掛けに気づけたのは、紛れもなく仲間の存在があった。

闇に勇敢に迎える強さを持つ彼女たち。未知で一見尻込みをするような過去にも、勇ましく切り込んだ。語り合い、LINEも驚くほどの量のメッセージをやりとりした。ノートにもたくさん書き出した。躊躇なく、心の中を共有し合えた。凛として美しく、きっと自分の人生を愛している。

彼女たちがいたから、私は自分の人生をもう一度生きることができたと思う。この人生に仕込まれている、壮大な仕掛けがわかった気がした。今でも、彼女たちには感謝してもしきれない。大好きな仲間だな、と思っている。もっと自由に、生きていける気がする。


何か、自分の次の一歩を踏み出そうとしたとき。

誰に何を言われていないのに、ふと反対方向にひっぱる存在に気づいたら、じっとその”何か”と向き合ってほしい。

“それ"は、あなたの敵じゃない。きっと、いつの日からか、自分を守ってくれていたもの。あなたを危ないことから遠ざけてくれていたもの。本当は、感謝すべき存在なのだ。

でも、もし。あなたが変化を望むなら。前に進みたいと思うなら。
そっと、“それ"を、「もう大丈夫だよ」と、抱きしめてほしい。そして、ありがとう、と言って、解放してあげよう。その先に、本当の自由な人生が始まる。

あなたらしい速度で、自由に世界を泳げる、あたらしい日々が広がるはずだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?