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誰のために踊るのか

ダンスが好きだ。上手なわけじゃ、ないけれど。

最初に憧れたのは、確か高校生の頃だったように思う。生真面目な進学校の中で、ダンス部の子たちは同じ制服なのになぜか垢抜けてて(ブレザーだったのにセーラー服を着ていた人もいた)、まるで別世界の人だった。外見に気を使いたくても使いきれない初心なクラスメートをよそに、同じく目を引く男子たちと集まっていた。別世界で生きるように、華やかな存在だった。

大学生になっても、ダンスへの憧れは消えなかった。女性限定のサークルで、パンフレットだけは手にしたけど、女性のみの特有の盛り上がり方をする“女の園“の世界が怖くて、ここでも足を踏み入れられなかった。
それでも、ダンスは好きだった。文化祭で遠くから目にした、ピンの男性のステージ(松浦亜弥を踊ってた)は、20年立った今でも目に焼き付いている。

しばらくたって、社会人4、5年ごろに、テレビで見た、バーレスクダンスのスクールに出会った。「これだ!」と一目で釘付けになり、その1週間後には、渋谷にあった、そのスクールに通い始めていた。
ウォーキングするだけで空気を一瞬で変える先生や、女性が女性である魅力を最大限に活かして表現することが許されている場が好きだった。
初心者でもできる、ステージに立つコースにも申し込んで、2015年、新宿のイベントスペースのステージにも立った。20代前半のキラキラした妹のような子から、40代半ばのお姉様達と、7人で一つのステージを作った。スポットライトは、思った以上にまぶしくて目が眩んだ。そのステージに立った時点で、なんだか一度満足して、そこで、一旦途切れていた。


「もしスキルや能力、お金、時間、すべてのものに制約がなくて、何にでもなれるなら、まいまいは何になりたいと思うの?」
以前、尊敬される人にそう問われた。私は、迷わず「ダンスのインストラクター」と答えたことがある。

緻密な振りが好きというよりも、全身まるごとを使って、自分って最高でしょ、素敵でしょ、ということを、圧倒的に表現することに惹かれていた。そして、周りの魅力も引き出して、それを一番体現する人が、ダンスのインストラクターという存在だった。生徒で、「私なんて」と言わんばかりに背中をまるめる人に、痛快な喝を入れた。「鏡の中の自分に、自分でドキドキできるか」…8年前に聞いた言葉は、今でも心に残っている。

そんな存在に憧れていたことを、ここ最近、久しぶりに思い出した。


思い出してから、私は、もう一度ダンススクールの扉を叩いた。
久しぶりのダンスは、なんだかとても気持ちよかった。

ずっと、上手く踊ることが大切だと思っていた。間違わないで、すべてを完璧に振り入れすることが大事だと思ってた。
でも、今ようやく、それが違っていたのかも、そう思っている。


そう、大事なのは、ダンスそのものをする時間を楽しむこと。鏡の中の自分に向かって、私っていいでしょって見せつけていく。別に振りなんて、多少間違っててもいい。大切なのは、「私ってかっこいい」と、自覚して没頭すること。周りにどう見られているかの目線が消えて、自分が世界をつくるその瞬間だけが、たとえ間違っていたとしても、周りを魅了するのだと思う。


あなたが、プロのダンサーじゃ、なければ。
周りの人は、あなたがどれだけ上手に踊っているか。間違っているかなんて見ていない。だから、もっと、楽しめばいい。

あなたはあなたのために、踊っている。私は私のために踊る。



たった一瞬の、「なんだ、結構いいじゃん」そのためだけに。

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