■「自由にやっていいよ!」がマネジメントとして無責任な理由

自由になりたくないかい!
自由っていったいなんだい!
抑圧されない自由を求める言葉はココロに響くのですが、実は
・常識
・固定観念
・基準
といったものは心穏やかに日常生活を営むためには必要不可欠なものだと最近は思うのです。
なぜって?
「悩み」というやつは複数以上の選択肢がある場合にのみ、発生するものだからです。

銀行にいた時に一般職の制服を廃止する、ということがありました。
もちろん経費削減が背景にあったことは確かなのですが
「ダイバーシティの推進」
を旗印に、制服に囚われない自由で個性を発揮できるスタイルを!という説明でした。
自由を得られるはずの一般職からは非難轟々!
「私服が汚れる」
「毎日何を着るのか選ぶのはしんどい!」
「服の購入費用は出してくれるのか?」
結局、多くの支店で一般職同士が話し合って独自の制服っぽい服を購入してそろえるということになりました。
生きやすくするために一定の基準と方向性を求めつつ、自由も求める、というのが人間の矛盾した心理なのかもしれません。

さてマネジメントのお話。
「主体性を引き出す」→「自分で考えさせる」→「何も教えない」「自由にやらせる」
という非常に極端な話になりつつある現場がありますが、ビジネスにおいてマネジメントが発言する
「自由にやっていいよ!」
はとても危険です。
だってまず、本当に自由にやったら上司は怒るでしょ???
「自由にやっていいよ!(でもなるべく私のゴールイメージ通りにしてね)」
そもそも上司自身のゴールイメージが無いのであれば、そのグループは迷走するしかありません。
部下が迷わないように、しっかりとビジョン・ゴールイメージ・自分自身の想いを語る。
そのうえで「手段、方法、アプローチについては自由にやってほしい」と伝える。
部下が迷わないようにある程度限定して
「部下の裁量=自由な部分」
をしっかりと決めて明示してあげるのは上司の責任なのかもしれませんね。

そして!裁量を与えた部分の責任は上司が全て取る!

カッコいいリーダーの在り方だと思いませんか?

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