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NY発 学級通信 4.国連は、ウクライナに何ができるのか

 ニューヨークにそびえ立つ国連本部。皆さん、200か国近くが参加している国連って、世界で最も信頼できる国際機関だと思っていますよね。そして多数決を基本とする民主主義は、世界の平和を守ると信じていますよね。ところが今、国連って、何のためにあるんだろうと疑問を感じ始めている人も多いかと思います。そうです。私たちはロシアによるウクライナ侵攻を、世界が止められない現実を目の当たりにしているのです。私も20年近く国連を見続け、今も巨大なビルを目の前に考える、この問題の深さを、皆さんにも実感していただきたい思っています。

国連は要らない?

 アメリカ保守派の論客、ボルトン元国連大使は、以前(大使就任前に)、国連ビルの上10階分は不要だと言い放って、世界を唖然とさせました。確かに世界の安全保障に責任を持つ国連・安全保障理事会は、常任理事国の1か国でも拒否権を発動すると、何も決議できない事で知られています。しかし、ボルトン氏は、これを嘆いていたというよりも、アメリカは、その常任理事国としての権力を利用する立場から、半分、バカにしていたとも考えられます(アメリカが多額の資金を提供しているのに国連は言う事を聞かないと。その彼が、後に国連大使となり、さらにトランプ前大統領の側近にもなります!)。
 しかし、今や、こんな過激発言で知られるボルトン氏のみならず、世界中の人が、国連はこのままでいいのかと、怒りすら感じるようになりました。これを伝えるメディアの側も、国連の前に取材カメラを持って行っても、むなしさを感じるばかりです。

国連本部前 取材は期待外れに

 世界各国から代表が集まっている国連が、一国によるこんな理不尽な戦争を止められないのか!世界の人々は、その無力さを痛感しています。国連のグテーレス事務総長がモスクワを訪ねましたが、例の長~いテーブルの両端でプーチン大統領と会っただけで、相手になりませんでした。

国連は変われるのか

 これまで日本をはじめ、多くの国々が、世界の安全を守るはずの国連安保理の改革を唱えてきました。しかし改革自体、大国が占める安保理常任理事国にとっては、拒否権という特権を手放すことになるだけなので、まったく進む気配はありませんでした。

国連安全保障理事会 会場
安保理の丸テーブル

 しかしピンチはチャンス。安保理は何とかならないのか、との世界の声が高まる中、動きもあります。4月、拒否権を発動した国は、直ちに加盟国すべてが参加する国連総会で説明をしなくてはならない、との新たな決議が行われました。これは、多くの国連参加国の、せめてもの意地と言えます(日本も提案国として参加)。しかしロシアが本当に説明するのか疑問ですし、もし説明をしたとしても、従来の説明を繰り返すだけで、国連はロシアのウクライナの侵攻を止められないでしょう。

国連総会 

 総会は、すべてを包括する立場にあるはずです。何しろ小国であっても国連参加国の多くは、国連ビル近くに各国の国連大使をトップにした代表部を置き、いつでも総会や委員会に参加できるような態勢をとっています。だからこそ、安保理を改革するよりも、国連総会を利用するという今回のアイディアは、悪くはありません。しかし、それでも安全保障の枠組みを変えられないというは、どういう事でしょうか。これだけ世界の優秀な外交官が集まり、多くの国が戦争に反対しているのに、一国の横暴を許すなんて。それは、安保理常任理事国、つまり第二次世界大戦の戦勝国だからでしょうか。肝心の国連が、まだ戦後処理から抜け出せていないなんて、信じられませんよね。とにかく、この組織の欠陥は、深刻と言わざるを得ません。

大国は皆・・

 国連に歯向かって来たのは、もちろんロシアだけではありません。先にボルトン氏の例を挙げましたが、アメリカだって、なかなか横暴でした。イラク戦争を思い出してください。国連はアメリカの暴走を止められませんでした。人望が厚いとされたアメリカのパウエル国務長官ですら、堂々と国連安保理でイラクに化学兵器があると主張し、戦争に踏み切りました(ボルトン氏は、この時、ブッシュ政権で安全保障担当の国務次官)。パウエル氏は、その後、この事を後悔し続けて亡くなったと言います。アメリカという国家が、国連を軽く見ている(=利用だけしている)のは、根が深い事実なのです。

イラクへ向かうアメリカ兵(2003年12月)

 今「アメリカ」と一言で語っていますが、イラクに向かったアメリカの兵士たちは、どんな思いだったのでしょうか。今の若いロシア兵も、何を思って戦っているのでしょうか。国連が守れていないのは、こうした若い兵士を含めた世界の人々の命です(もちろん、政府に対する責任は国民が負うという考え方があり、我々、日本人も、自らの姿勢を引き締める必要があります)。

ニューヨーカーは見てきた 

 ニューヨーカーは、ずっとウクライナの革命を見守って来ました。下の写真は2004年のオレンジ革命を受け、ついに選挙が実施された時の、ニューヨークにあるウクライナ領事館前の写真です。ソビエト時代に弾圧を受けてアメリカに逃げ、まだ国籍を持っていたウクライナ人のお年寄りが、待ちに待った投票をするために集まって来ました。

投票のため、ニューヨーク領事館前に集まるウクライナ出身の人々(2004年12月)

 皮肉にも、このウクライナ領事館は、国連ビルから目と鼻の先にあります。国連は、あの時のウクライナ人の熱気を暖かく見守っていました。しかし、イザという時に役に立たないのは、いったいどういう事でしょうか。国連、そして世界が大切にしてきた民主主義とは、一体何なのでしょうか!

無力感・・

 最後に、ICRC広報から送っていただいたロシア軍の攻撃を受けたキーウのアパートの写真をお借ります。さまざまな意見はともかく、これが、その結果です。
 私が世界を語るときに頼りにしているカバのウィリアム(エジプト文明の遺跡から出土され、世界の数多くの歴史の矛盾を体験してきました。現在はメトロポリタン美術館所蔵)も、さすがに現場で立ちすくむしかないようです(話が飛んで、すみません。私はいつも、ウィリアムのように、歴史的に世界を俯瞰して見られる立場を想像して、このnoteを書いています)。
 

 世界の政治家、外交官、専門家の皆さん。ここまで戦争が長引くと、後世の歴史家は、この時の国連、そして外交官はまったく役に立たなかった、と語らざるを得ないでしょう。この現実を、子供たちに、どのように説明すればいいのでしょうか。私も国連を見てきた者の端くれとして、恥ずかしさすら感じています。

爆撃されたキーウのアパート©ICRC と カバのウィリアム

 ※最後のキーウの写真以外は、筆者撮影。ただ、20年来、国連を取材してきましたが、ふさわしい写真がなかなか無く、イメージとして古い写真を使用しています。ご了承ください。


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