見出し画像

暮らしをみがく ー感覚とことばー CMをめぐって

しゅんしゅんと湯が沸いている。
東の窓からまっすぐに射す朝陽を頬にうけ、秋の訪れを知る。
このスリットのような窓にカーテンをつけたくなるのは、春と秋のほんのひとときで、あぁ、また今年もつけなかった・・・と毎回思う。
無防備な肌を陽光にさらしながら、今日もキッチンに立つ。

起きぬけにつけたテレビから、不意に、まぁるい静かな音が流れてきた。
その瞬間、空間が音に満たされる。
記憶にはない音運びなのに、どこかで聴いたようなピアノ。
私の目は手元のドリッパーに、耳はCMの三拍子に注がれる。
好みの小洒落たコード進行は、まるでサティのよう。
変わりそうで変わらない。
立ちのぼるフレンチローストの香りが深い呼吸をさそって、ひとつひとつの細胞を目覚めさせてゆく。

 

このCMには、セリフがない。
聞きなれた生活音はかすかに聞こえるけれど、空間をまるく清潔な音で満たすような、この三拍子の曲が流れるだけ。

「何のCMだろう?」と視線を上げたとき、どこかの街角の靴みがきの光景が目に入った。
そのうち、大仏の煤はらいにカットが切り替わる。
まぁるい音は流れ続け、やがて、見慣れた MUJI のロゴが表示される。
静謐な音と映像に清められた空間は、すぐに映画俳優の逮捕をつげる喧噪に上書きされてしまった。

 

あれは、無印良品のCMだったのか。
美しく機能的で、無駄を極力削ぎおとしながらも、使いやすさを犠牲にしないデザイン。
衣・食・住とその周りの心地よさを網羅する商品構成。

エッジのないまぁるい音色、コード進行のループ、ずっと続いていくかのような曲の構成、靴みがきに煤はらい・・・残像がくり返し脳内再生される。
あぁ、あのCMの伝えたいことは、これか。
水面に落ちるひとしずくの水のように、腑に落ちた。

『暮らしをみがく』

誰かが使っていそうなことばだけれど、その情景はていねいで美しい。
音と映像とロゴからそのことばを想起した自分を、褒めてあげたくなった。

 

・・・と思った瞬間、自分の180°の思い違いに気付いて、苦笑する。

ことばというツールを使わず、わずか30秒の映像を見た人に、そのことばを思い起こさせるクリエイターが素晴らしいのだ。
私ではない。


この鮮やかな思い違いが面白くて(恥ずかしがれ!)、この思い違いを自分のことばで表現してみようと思った。
できれば、読んでくださった方にも、同じCMを見て体感してほしい。
しかも、私は音楽はCM尺のすべてを聴いたけれど、映像は最後の2カットとロゴしか見ていない。
書くためにも確認しなくては・・・と、ネットの海で探しはじめた。
でも、同じものは見つからない。

同じシリーズだと思われる別の映像は見つかった。
曲は同じだったので、それを貼り付けることにする。


無印良品のページには、上の映像とともに、コピーとメッセージが記されていた。

気持ちいいのは
なぜだろう

(中略)
文化や文明を超えて営まれる掃除というごく普通の営みの中に、ヒトの本質が潜んでいるのではないか
(中略)
世界が止まってしまった今、その写真や映像を見直すと、ごくあたり前の暮らしがとてもいとおしく感じられます。この先の未来においてどんなに技術が進んでも、ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです。
  出典:気持ちいいのはなぜだろう|無印良品

私の見たCM映像は、9月11日にこの公式ページに公開されるらしい。

読んでみて、私はさらに思い違いに気付くこととなる。
このCMの意図は、ていねいで美しい暮らしではなく、「ごくあたり前の暮らしのいとおしさ」であり、「それを自身で感じることのたいせつさ」を想起させることなのだと。
だから、一見変わらないように感じるピアノの音のなかに、当たり前に聞いている“暮らしを清める音”が聞こえてくるのだ。
ウィルスに分断されても変わらない、明日も続いていくだろう、私たちのあたり前の暮らし。
目を向け、耳を傾け、香りを嗅いで、味わい、触れて、暮らしを感じ、いとおしむ。
立ち止まっている今だからこそ、そのチャンスなのだと、あらためて気付かされる。

そして、もうひとつ。

私の空間を満たした心地よいまぁるい音は、中学生の頃から憧れてきた坂本龍一さんの曲だと知った。
「どこかで聴いたような」とか「小洒落た」とか「サティのよう」とか失礼なことばを並べて、ごめんなさい。
でも感じたから、私はそう書く。
そう感じても、圧倒的に心地よい音だったのはまぎれもない真実。

 

たった10分の出来事だけれど、私の脳内はあわただしい。
自身を褒めてあげたくなった10分前の自分を、一刻もはやく穴を掘って埋めてしまいたい。
今は、そう感じている。

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!