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何度でも読みたいnoteの引き出し

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何度でも読みたいなぁ・・・と思ったnote、トラックバックのように大々的に紹介はしないけれど、誰かにもおすすめしたいなぁ・・・と思ったnoteを、そっとしまう場所です。ときどき、…
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記事一覧

北の大地、スタメン発表で泣いた話。

人生初の北海道。 その目的はどうしても会いたい人がいたからだった。 郡司裕也。 昨年、中日ドラゴンズから日本ハムファイターズへトレードで移籍した選手。会いたい、は語弊があったかもしれない。ただ、かの有名な真新しく綺麗な球場で野球をする姿が見たかった。 私が彼を好きになったのは、1枚の写真がきっかけだった。 2022年秋季キャンプ。 この年の秋季キャンプは沖縄組と名古屋組に別れて行われていた。敢えて言葉を選ばずに言うと、沖縄組は翌年以降の活躍に目処が立っている、あるいは

「楽しむ」は技術

「楽しむ」は技術。 何ごとも楽しんで取り組むことができれば、苦労は軽くなります。努力が努力でなくなる。楽しむのためには、自分が「楽しんでいる状態」を研究する必要があります。何に喜びや心地良さを感じるか、どんな時に気分が高まったり、夢中になったりするか。それらを観察して、記録することからはじめる。「こころの声」に耳を傾けながら、俯瞰して自分を眺める。論理的な理由は不要です(「楽しい」に対する尤もらしい理由は後付けに過ぎません)。ただただ「楽しい」という状態をチェックする。同時

ずっと、言葉を追いかけてる

机の中のどこを探しても、ハサミが見つかりませんでした。 図工の時間。紙粘土に色んな物をくっつけて動物を作るそうです。隣の席のコは、さっそく持ってきた毛糸をチョキチョキ切り始めています。 ──きれいな色の毛糸、たくさんくっつけたら素敵な毛皮になるなあ。 机の引き出しを引っ張り出すけど、やっぱりありません。お道具袋を開けてみます。ありません。 ──私も切りたいなあ。きのう、おかあさんとじゅんびした折り紙、切りたいなあ。 ハトちゃんは困ってしまって、どうしていいか分からなくなっ

ファインダー越しの私の世界。

Instagramにあるこのタグが私は大好きだ。 カメラのファインダーを通して見える自分だけの世界。私のそれに「野球」というものが加わったのはつい最近のことだ。 野球とカメラ自体には幼い頃から触れていた。 祖父は生粋の竜党だったし、両親は写真部で出会い結婚したような人たちだ。祖父母の家に遊びにいけば野球中継を見るのが当たり前であり、旅行に行くたびにカメラを持っている両親を羨んで私も必ず写ルンですを買ってもらっていた。 けれどもその両方にのめり込んだのは大学生になってから。

静かで熱いまばたき

じゃがいもとたまねぎをサクサク切っている。ありったけの新鮮素材でおもてなしするのだ。旬の野菜に、地元産の霜降り牛。私の頭の中は料理の手順でいっぱい。ウェルカムディナーを拵えていた。 気が付くと、私は鼻歌をハミングしていた。 いつの間にか耳にはピアノの音が届いている。 弾いているのは、ずっと古くからの友人である。その音があまりにも自然に空気の中に紛れていたから、いつ始まったのか分からなかった。優しいタッチでぽろんぽろんと。片手だけの単音から、だんだんと音数が増して、フレーズが

言葉のない手紙を送り続けて——北海道日本ハムファイターズ・宮西尚生が5年間続けてきた社会貢献活動を知って欲しい

あんなにも濃く街中に漂っていた金木犀の香りもきれいさっぱり失せてしまうと、ああプロ野球のシーズンが今年も終わりを迎えたんだな、と否が応でも実感させられてしまう。そんな晩秋と冬の始まりの間。 セ・リーグ、パ・リーグ共にご贔屓の球団は今年も優勝を逃してしまった。 この後のお楽しみといえば、投票によって選ばれる個人タイトルのニュースくらいだ。 シーズンが終わってしまっても起きてすぐにプロ野球関連のニュースサイトを巡回する習慣は体に染み付いているので、なかなかそう簡単にはやめられ

愛するカタチ

晴れた。洗濯して外に干せるな。 晴れた日にほぼ毎回浮かぶ思考。 洗濯槽にお湯を入れていたとき、ふと浮かんだ。 そうか。 私はまだどこかで、親が私にしてくれたことと同じことを、自分もしようとしていたのだ。 だけどそれは、今の私の考え、生き方とまったく違う。 だからこそ、苦しかったのだ。 「そうしろ」と強要されたわけではない。だからこそ、身体の奥に静かに沈んでいて、とても小さくて、だから、なかなか気付けないでいたもの。 それは、私の両親が私と兄へ残した愛のカタチだった

台湾引き揚げの記・生死の狭間を

はじめに そのとき1歳、赤ん坊だった私。赤ん坊とはいえ当事者であったことは事実だ。当時を知る人たちは年々他界。語り伝える人はいずれいなくなる。引揚船内に蔓延した疫病で落命、海に捨てられた人たち。機雷に触れ船が沈没、海の藻屑となった人たち。その名も数も不明のままだ。 以下は、私が半世紀以上にわたり家族や体験者から漏れ聞いた言葉を紡いだものである。この聞き書きを生きて故国に帰れなかった多くの御霊にささげたい。なおトップと記事中の画は姉小野寺美保子筆である。 目次 1・引揚

僕はゲイです

「いつからゲイになったの?」と聞かれることがある。 じゃあストレートの人は、いつからストレートになったんだろう。 「いつ目覚めたの?」とも聞かれる。 自分以外の他人を恋い慕う感情を知るって意味なら、 割と王道に、いわゆる思春期の頃だ。 いつのまにかその人のことばかり想う、そんな同級生が現れた。 ただそれが、自分の場合は「同性」だった。 80年代の、保守的な内陸県の岐阜で、 自分の恋愛感情の矛先が「普通とは違う」ことは 人に言ってはいけないことだ、と直感した。 もっ

まんまのお好み焼き

先日、息子が25才の誕生日を迎えた。 当日、私は仕事で帰りが20時を過ぎるため夕食は大したものはできないので、前日の休みにでも少し手の込んだものを作ってあげようかと思っていた。 しかしその日は息子は自分の仲間たちと会って食事をするという。そうだよね、もう25才なんだから。考えたら私が25才の時は既に結婚して娘を産んで親になっていた。中身は子供だったけど、一応社会的には立派な大人だ。もちろん結婚してようがしていまいが、今現在は18才で大人とみなされるのだからそれはそれで大変

恋の短歌)ちいさなため息

短歌まとめ2作目です。はじめて詠んだ歌を集めた前回の記事は、noteの今日の注目記事にも選んでいただきました(ありがたや) その際に、水野うたさんが以下のような紹介をしてくださいました。素敵な言葉をいただき、ぜひ「ちいさなため息」をテーマにしたいと思って(ご了承もいただき)、今回恋の歌を詠んでみました。うたさんありがとうございます! ちなみに、「ちいさなため息」を元に一首、またご返信の「あめ玉をゆっくり溶かして味わうよう」というお言葉からも、サムネイルの歌を作成しています

短歌)いつも初めて見る景色

*** *** 短歌が楽しくて、気づいたら何首もポケットのメモの中に残っていました。週末にはTOEICがあるんだけれど、大丈夫かな、ともうひとりの私が焦っています。 さて今回は、「いつも初めて見る景色」というタイトルで恋の歌を25首。 短歌を残すかたちとして、写真と組み合わせてみることにしました。今持っているスマホだけで3万5千枚の写真を保有する私、いままで消してこなかったいろんな写真が役に立ってくれそうです。 Twitterでも数日前から少しずつアップしているので

ピカピカの床

休み明けに、いつもと変わらず汚れのないオフィスの廊下を歩く。自分の部屋のドアを開けて、目を見張った。床がピカピカに光っていた。 ワックスしたばかりの床を、廊下やほかの部屋でも見たことはある。でも、その時は、私の部屋だけ。 フルタイムで仕事に戻った年だった。 笑顔にさせてくれた人は、清掃員のMさんだとすぐわかった。 夕方からフロアの掃除を始めるMさん。見たことがない道具も、掃除用のカートにあった。工夫ぶりがおもしろく、時々言葉を交わした。クリスマスで、私は休みになった。

やさしさは身につけられる、いまからでも。

あまりにも親切な人と出会うと、衝撃を受ける。どうして、どんな思考回路でこんなやさしさが発揮できてしまうのだろうか? としばしフリーズしてしまう。霧と霞とか食べて生きてる清らかな人なのだろうかとか愚かなことを考えながら。 こんにちは、こんばんは。栗田真希です。 やさしさに出会うたび、結構、落ち込んで生きてきた。 たとえば、そのやさしさが血脈のように受け継がれてきたものだったとした場合には、もう手遅れのような気がしてしまっていたからだ。 祖父母とはあまり縁が強くなかったし