愛するカタチ
晴れた。洗濯して外に干せるな。
晴れた日にほぼ毎回浮かぶ思考。
洗濯槽にお湯を入れていたとき、ふと浮かんだ。
そうか。
私はまだどこかで、親が私にしてくれたことと同じことを、自分もしようとしていたのだ。
だけどそれは、今の私の考え、生き方とまったく違う。
だからこそ、苦しかったのだ。
「そうしろ」と強要されたわけではない。だからこそ、身体の奥に静かに沈んでいて、とても小さくて、だから、なかなか気付けないでいたもの。
それは、私の両親が私と兄へ残した愛のカタチだっただけ。私が、私の息子へ、同じものを残さなくてもいいのだ。
私の両親から私へ。私から息子へ。表現する、与える、愛のカタチは違っていていいのだ。
そして、息子が愛するひとに送る愛のカタチも、私のそれとは違っていて、まったくいい。
母が亡くなって30年。父が亡くなって5年。祖父母はそれよりもっと経つ。それでも、親の、家族の、見えないなにかはまだまだ私のなかにあったんだと、驚いた。衝撃だった。
そして。
それだけ、両親の、家族の愛は深かったんだと初めて気がついた。
ありがとうって思いと同時に、
自分のなかの、その小さななにかが、やっと溶ける感じがした。
日記に書こうかと思ったが、ひとつのnoteに書き置いておく。
美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。