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「何でもない日」があることのありがたさを噛み締める。

きょうは久しぶりに全休だった。

アルバイトも休み。卒業制作選抜展へ向けた準備も終了。特にやることもなく、自由。完全に自由。私は、ようやく自分にもやって来た最後の春休みを謳歌した。いやー楽しかった。

と言っても、どこかに出かける訳でもなく、一日中LINEをしてYouTubeを観ながら寝たりご飯を食べたりひたすらダラダラした。気づいたら夕方だった。寝すぎてちょっと体がだるいので、運動ついでにスーパーとコンビニへ買い物に出たぐらいの、本当になんにもない一日だった。

普通の人ならあまりにも何もしない一日に罪悪感を覚えそうになると思う。私はむしろ全然「これはこれでいっか」ていう気分で居る。むしろ、世間から遮断された自分の部屋の中でゆっくりまったり過ごせた一日に感謝したいなって思うぐらいだった。


というのも、最近気づいたのだが、自分は世間の暗いニュースや情勢にとても影響されて気分が落ち込むようなところがある。すごくある。めちゃくちゃある。それこそ、最近の海外情勢とかもSNSやニュースで見るたびに色々自分の頭で細々考えたり、嫌だなっていう気分になったり、とにかくいろんなことを心で感じてしまう。それで、いっちょ前に無力感とか空しさとかを感じて心が空っぽになってしまったりして、端的に言えば辛くなるのだ。そのせいで何かこう、なんとも言えず陰鬱な気持ちになってしまうのだ。それはそれは、嫌になってしまうほど。

昔はそんなに自分は心が敏感な方ではないと思ったこともある。だが、だんだん自分の周りでもいろんなことが変わっていって、心の琴線に触れるようなことが増えていったり、泣きそうになることが多くなったりしていった。そんなことを繰り返すたびに、自分はたぶん世の中で起きるすべてのことを真正面から受け止めきれない人間なんだなと悟った。

やっぱり、世間から自分を遠ざけることも大事なんだと私はいま確信している。コロナウイルスが流行り出した時も、最初は真剣に毎日ニュースを見てその都度国内の情勢に気を遣ったりしていたのだが、途中からもう嫌になってしまってテレビのコンセントを抜いていた。そんなもんで、自分はたぶん世の中から遠ざかった方がいい人間なんだなって確信した。その方が、ちょっと心が楽になるし。

事実、noteの中でもあまり時事ネタとかニュースのことを話さないようにしている。なんだか、自分の柄じゃないし、読者のみなさんもそういう堅い話題を語る瑞野蒼人を求めていないと思うのだ。それよりはゆるーく日々起こったことや感じたことをとりとめないままに記事にする瑞野蒼人でいる方が等身大で自分らしいし、読者の方もちょっとは安心してくれるのかな、なんて考えている。

無理して背伸びしちゃいけない。それよりは、ありのままで、等身大の自分のままで、綴り続けていく方がきっといい。遠く離れた異国に想いと祈りを馳せながら、僕は今日もこうしてnoteを書いている。なんでもない日があることの有難さを噛み締めながら。



おしまい。



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