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[月記]24年4月 按摩

浪越徳治郎は言った。「指圧の心は母心、押せば生命の泉湧く」と。
……母心って何?
正直、舐めていました。実際に按摩というものを受けるまでは。

マッサージに初めて行った。理由は単純明快で、とある事情により無料で行ける機会を得たからだ。
店に入る。個室に通される。受け取ったジャーシに着替える。
店員を呼ぶと、間もなくして按摩氏が現れた。
「初めまして、安間あんまと申します。本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「私、目が見えませんので、恐れ入りますがご理解のほどよろしくお願いします」
風が吹けば桶屋が儲かるという言葉を思い出す。

風が吹く → 砂塵が舞い上がる → 砂が目に入り盲目の人が増える → 盲目の人ができる仕事は三味線を弾くことなので、三味線の素材である猫が乱獲される → 猫が減少して鼠が増える → 鼠は桶をよく齧る → 桶屋が儲かる

昔は確かに三味線だが、今の時代に三味線で食べていくことは難しい。なるほど、現代ではそれがマッサージ師に取って代わられているということなのだろう。勉強になる。
「今日はどのようなご用件で?」
「えーと、そうですね……」
別に無い。何せ無料だから「ものは試し」で来ただけなのだ。とはいえ何も答えないわけにはいかないので、猫背がひどいので治してほしいと答えた。マッサージが猫背に対処できるのかどうか自信が無かったが、どうやら守備範囲内であるらしい。

うつ伏せになって、全身を指圧してもらう。痛い。痛い。痛すぎる。これが母心か……! 想像していたよりも手心が無い。いや、手で揉んでもらっているからこれは手心そのものなのだが、とにかく容赦が無い。

思わず叫びだしたくなる。うつ伏せになりながら、自分が思いっきり叫ぶ様を想像してやり過ごす。「うおーおーおおおぅ! うおーおーおおおぅ!」私はハッスルして奇声を発する。その声はマッサージルームから漏れ出てダクトを伝い屋外まで届き、道行く人の耳に入る。ダクトで反響された叫び声は人々の耳には "The Greatest Show" の冒頭のように聞こえ、彼らは歌が歌いたくなる。彼らはマッサージ屋の近くにあるカラオケ屋に殺到する。カラオケ屋は繁盛する。これが「風が吹けばオケ屋が儲かる」原理である。

 風が吹く → 砂塵が舞い上がる → 砂が目に入り盲目の人が増える → 盲目の人ができる仕事はマッサージをすることなので、マッサージが盛んに行われるようになる → マッサージの痛みで客は「うおーおーおおおぅ! うおーおーおおおぅ!」と叫び出す → その声が街に響き渡り、人々は "The Greatest Show" を思い出す → 人々がカラオケ屋に殺到する → オケ屋が儲かる

およそ1時間弱、そんなくだらないことばかりを考えて過ごした。施術中はとにかく暇だからだ。
施術はうつ伏せから仰向けに変わり、横向きに変わり、身体の至るところが刺激される。

「これで施術は終了です」
言われてベッドから起き上がる。礼を言って着替えをして、マッサージ店を後にする。道を歩きながら背筋が伸びていることを実感する。以前よりも絶対に身長が高くなっているな、と思った。それくらい効果は劇的だった。

おお母心よ、お見逸れ致しました。
よく知らんもんは、あんま、馬鹿にするもんじゃないんやね。