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快談水宮チャンネル ⑯ 爆笑葬儀

昨日、葬式で静岡に行った。
夫・T兄の親友S兄さんのお父様が亡くなられたのだった。


そのお父様は認知症でもう七、八年ホームにいらしたが、老衰で眠るように息を引き取ったという。米寿であった。
ザ・大往生。
集まった面々は長男であるS兄さん(T兄と同い年の56)、彼の母方の従姉妹のM子さんご夫婦、S兄さんの先輩というBさん(還暦くらい?)、そして私たち夫婦の計6人。
私はいまだかつて、これほど笑い転げた葬儀を経験したことがなかった。


葬式と言っても釜が開くのを待って焼くだけ。読経すらなし。(「だって坊主呼んだら金取られるら?損だら?」S兄さん談)(←ら、は静岡弁)
実はロックダウン中に亡くなった私の父もそうだった。


待つ間、6人は待合室でコーヒーやアイスを喫しながら全員ずっとアメトーク状態。


S兄さんとT兄は某刑務所で偶然同じ時期におり、出所後共通の知り合いを通じて最初はケンカするために会ったのが意気投合してしまった。その上その知り合いが双方に嘘をついていたのが判明し、絆が強固に(共通の敵がまず出来た。今では縁の切れたらしいその困った魔性の女みたいな男の子を私はキューピッドと呼ぶ)。二人は同い年の上同郷で同じ刑務所に同じ時期、同じ罪状で入っていて同じガテン系職人、同じくらいパチスロ好きで痛車好きということで、絆はさらに強固に。今やペアウォッチをしているほどの仲で、私は内心(もう、この二人は愛し合ってる。付き合ってる。多分もう寝てる。)と微笑ましく見守る。
先輩と紹介された銀髪の柔和な紳士も実は別の刑務所での先輩、と分かった。もとヤ◯ザらしいがぜんぜん分からない。元、なんだし。
がんでステージ4というが私の見立てではあと十年は軽く生きる、と言ったらBさん、俺実はね、サトウのご飯今ハマってて大盛り食べるの…と恥じらった。じゃ二十年生きるよ。
M子さん夫妻はまあ私と同じ、一般?枠だがこのM子さん、皆に「マツコ」と呼ばれるほどのふっくら系。天然は従兄弟と同じ。最近統合失調の薬がつらく、過去には睡眠薬と向精神薬をオーバードーズ400錠やったという私に負けず劣らずの猛者。400はなかなかだ。よく生きてましたね、意識は何日で戻ったんですか?と訊くと「んーにさんち?」「じょ、丈夫ですね」「うんなんかー😊」
S兄さん「こいつ菓子カゴ一杯食うだよ、すげ〜んだから」
M子さん「だからダイエットしたくてね、結婚式二回したの〜」
私「あーモチベ上がるから」
M子さん「うん20キロ落としたよ。水音ちゃんお式したことないの?私ぜんぶ込み込みで13万だったわよ?長野の教会で」
私「その話もっと詳しく。T兄網走でミシン戦隊のエリートだったからウェディングドレス縫ってよって言ってるんですけど持ち込みもOK?」
その旦那様(私とタメ)は透析8年目。四千頭身の一番オシャレな子にそっくりだとT兄が後でこっそり私に耳打ちし「あ。そっくり」。垣花アナのスヴェンソン話を振ると猛烈に食いつく。


濃すぎなメンバーの中で今日も一番輝いていたのは喪主S兄。「平服でいいだら?俺はポロシャツで行くよ」と前日T兄と電話で確認したS兄さんは自分も、と紳士服のナントカみたいな所に行き、シックなポロシャツを急いで買って帰って広げたら
「5L」。
それこそマツコ・デラックスの私服みたいのが出てきたがS兄さんはすごく、小柄。
全員そこで総崩れ爆笑したがS兄さんの快進撃は止まらない。
いつもの調子で元気よく激おこカスハラアタックに行くと、店員さんは呆れたように売り場に案内して「5L」の表示がしてあるのを見せた。
「間違えたのお客様のほうじゃないですか」。
レシートで無事交換は出来たものの。


S兄さん(と、かつてのT兄)はこのようになんとかハラをしょっちゅうやるのだが、クスリもとっくに止めたのに本人のやってることが基本おかしすぎてクレームを言われた方まで笑ってしまって話にならないという聖なる特技を持つ。
大体つい先週もT兄に電話をかけてきたが、その後T兄が笑いをこらえながら…
「S兄、俺に電話しながら『オレ携帯車に忘れた❗️携帯どこだ❗️』ってずっと言ってんの」
私「そ…それはいわゆる一つの…やすし師匠がおでこにメガネかけて『メガネメガネ』って探すのとおんなじやつ?」
T兄は笑いくずおれながら頷いた。
私も一緒にくずれながら言った。
「ネタじゃなくてほんとにやってる人、実在するんだ。S兄さん、認知症だいじょうぶ?」


お父様にも刑務所を出るたびホームに会いに行ったがお父様、開口一番
「おまえ誰だ?」
S兄「うっせこのくそジジイ‼️💢」
で帰って来てしまっていたという。
認知症を発症した頃実家で毎日粗相をされて怒り心頭に達したS兄さんはわめきながら室内へホースで放水し警察沙汰に。
真に笑えるのはここからだ。
怒れるS兄さんはそういう人特有のセリフを。「上の奴連れてこい」。
で、役所の福祉課の一番偉い人が本当に来て、「ホームの順番待ちあと20番後なんか待てるか、こいつ殺して俺捕まったらお前らどう責任取ってくれんだ、あと毎月20万なんか払えるか」とまくしたてたら…
「なんかすぐ入れてくれて、20万が2万になってさ」
私「S兄さん。お伽話みたいな結末になってますけどS兄さんはね。ネゴシエーションじゃなくてゴネシエーションの達人なの」
「親父怒って化けて出るかなあ^_^」
「S兄さんのお父様でしょ。出てもこう言うんですよ、『おまえ誰だ?』。そりゃもう生前と同じように」



大体怒り狂おうがイカついコワモテおじさんだろうが小っちゃくてどこか愛くるしい彼に、なんとなく誰もが怒る気をなくしてしまう。スマホねえ‼️ってスマホで連絡してくるような人よ?Lと勘違いして5Lのシャツ買ってくるような人よ?
どうやって怒れと。
呆れはしても。
その日も走り回る葬儀屋さんにずっと
「親父の年金の残り5万はちゃんともらえんの?」と何べんも訊いていて、最初から同席していたB先輩にやんわり突っ込まれていた。
「S、もういいから。分かんなくていいから。あとでぜんぶ説明してやるから。な?銀行も役所も寺も片付けも行って色々やることあんのにいつまで5万5万ってダダこねてんだ、いまそれどこじゃないだろう」


S兄さんのお父様は穏やかな顔で眠っていた。みんなで百合や菊の花をお棺に入れ、しみじみと眺めた。
初めて会う見知らぬ老人の、安らかな死に顔。目鼻立ちは整ってやはりどこかご子息に似ている。そして私はふと、夫T兄の横顔の、高い鼻筋を見た。
(ほんとに兄弟なんじゃないか?)←血縁ないけど。
不思議なことに今は独り身だがS兄さんの結婚式にB先輩の親戚が出席していたことも判明。
イヤだな。
すべての道がS兄に通じていたら。
そんなローマはイヤ。


誰一人しんみりしない。お父様が割を食った人生だったかというとしっかり「昔イキってた」そうで、じゃその場にいる私も含め全員が、じつに勝手に生きて来た。
本日の主賓が穏やかに天寿を全う出来たならこれはめでたい出来事なのだ。末期がんのB先輩、透析上がりのM子さんの旦那さんもなんかイキイキしてきた。
私は様子を見にやってきた葬儀屋さんから実話怪談を聞き出し、冷房の効かない待合室に涼を添えてもらったりした。


「『ねえ』って声をかけられる人は多いですね。もちろん、亡くなったその方に。あと、この仕事でもご遺体さわれない人もいるんですよ。ヤダって」
「え?それじゃうなぎ屋が『うなぎキモいさわれなーい』って言うのと同じことですか?」
「そうですねー。大体そういう人はすぐ辞めちゃいますけど」
当たり前だろう。
そして、やはり私と同世代のその葬儀屋さんも、お寺の次男坊で人生自由にやりたいように生きてきたことが分かった。



お父様は荼毘に付され、静岡、富士市での習いによりお骨は丁寧に冷やされてから壺に納められた。
「冷やす?初めて聞きましたよそんな風習。私の父なんか焼きたて熱々ですぐ出てきて。サックサクで」 
葬儀屋さんが横を向いて噴いた。
私はT兄とお箸でそっと一つのお骨を拾いながら、ふと…
(これ。夫婦初めての共同作業になってる)
そして内心、呵々大笑した。
なんて縁起の良い。
これまでのすべてをこの見知らぬご老人が死によって気持ちよく御破算にし、綺麗にさらって行ってくれた。私たちの公的な行事の最初がこれで、こういうことは今後いっそう増える。
なら、こうしてみんなで楽しく過ごせばいい。それまで各々、笑って人生を好きに生きればいい。思えば私の父も、好きに人生を楽しみ切ったひとだった。


斎場を出ると、さっきまで曇っていたのに美しい青空。眼前に壮大な夏富士。
私はM子さんに囁いた。
「お父様、演出凄いですね」
彼女は大笑いした。
その後一行は予約の精進落としへ。
市内で有名な老舗焼肉という(精進落としに焼肉?)。

でも看板がイヤ。こんなのにウェルカムされてもその場で踵を返したくなる。


全員が座敷席に着くとつい、言ってしまった。
「焼いたあとに、焼く」。
大爆笑のパーティが始まった。
炎と風に清められ、純白の骨となって天地に還った魂に楽しい旅路あれ。残されたナイスミドルたちの余生に豊かな肉付けあれ。
お肉、最高でした‼️
ゴチでーす❤️

ありがとう白鳥は星祭へと      水宮水音

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