渇き「永遠に手に入れられない安心感を求めて」
わたしたちはいつも何か大切なものを忘れてしまっているそんな感覚を自身の中に抱えている。
それが何かはわからない。
でも、その埋められない何かを私たちは必死で探し求めている。
心の欠けてしまったその部分に何かを入れて私たちはその自分の心に安心を得ようとする。
毎日、自分の両肩を抱え込み、そして私たちは常に何かにおびえ震えている。
だから、そのよくわからないものを振り払うように私たちは必死で何かにすがりつく。
何度も何度もすがりつく。
でも、一旦何かにすがりついて安心を手にしたと思ったとたん私たちの元から手にしたはずの安心は零れ落ちていく。
何度も手にする。わたしたちはなんどだって喜びを、そして幸せを手にする。
でも、その喜びも幸せも初めから何もなかったかのように私たちの中で消えていく。何も私に安心など与えてはくれない。
心は叫ぶ。安心が欲しいと。でも、その安心は手にした途端私たちの手から零れ落ちていく。そんな残酷な世界で私たちは生きている。
人間ってのは、本当に何かを欲して言えるのか?それとも私たちは単に自分の抱える強烈な闇を何かを得ることで、光に変えようともがいているだけなのかもしれない。
何かを手にして得た満足感は永遠に私たちを満たしてはくれない。その満足は永遠に私たちに安心を与えてはくれない。
何かを必死に求めて、もがいて、でも、その自分の求める何かは何なのかはわからない。その何かは深い闇に覆われている。
だから、その闇を取り払いたくて私たちは必死でそのかけてしまった心に今日も自分なりの慰めを埋め込む。
そして、その慰めで今日も明日も生きていく。
永遠に手に入れられることのない安心感を求めて。
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