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生きる

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ー破壊そして再生へー
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#思考

私たちには、力がある。(依存ではなく創造へ)。

もっとい色々な事を自分の頭で考えよう。私たちは、毎日考えるという事を少しずつ奪われている。何も考えなくてもいい様に、この社会はどんどんどんどん便利になっている。 私たちは、何も考えなくていいように日々され続けている。何かに注目させたり、新しいものを開発し、それに夢中にさせておけば、人間というのは、他の事を考える事はない。 私たちはいつも何かに関心を向ける様に仕向けられている。どうでもいい事に私たちの意識が上手く捕らわれる様に、この世界は作られている。 今のこの世界を見て

私たちは思考しているのではなく、ただ目の前の現象に反応しているだけ

私たちは、毎日何かを一生懸命考えている様に思えるが、でも、実際には意外に何も考えていなかったりする。 考えたり、思考した気になっているだけで、意外に私たちは何も考えていない。考えた、思考したってことに満足して、ただその行為している自分に満足しているだけで、頭の中は特に何も考えてはいない。 私たちは、ただ毎日自分の目の前に起こる色々なものから刺激を受け、ただそれに反応しているだけ。私たちはただ反応しているだけで、思考している訳ではない。 ある対象に対して、反応を起こしてい

食っても食っても腹にたまらない幸福感

私たちは、毎日幸福という奴を貪り食っている。この幸福を貪り食うために、毎日必死に働いている。 幸福感、それが欲しいから、私たちは毎日汗水たらして働く。そしてその働いた報酬としてお金をもらい、そのお金で幸福感というものを買って自分を満たしたつもりになっている。 どれだけ働いても、私たちは、この腹が一杯にならない。沢山働いて、多くのお金を手にして、そのお金を持って、幸福感ってやつを多量に食らう。でも、どれだけ、その幸福感というものを食べても、すぐに又その幸福感ってやつをこの腹

我を制し、人生を勝ち取れ。

生きるってそんなに難しい事じゃない。 本当はもっと簡単なんだよな。 お腹が空いたら食べる。 眠くなったら寝る。 甘えたくなったら甘える。 辛くなったら泣く。 たったそれだけの事がいかに難しい事か。 我が入ると、この自然が突然難しくなる。 我とは、私たちをややこしいものにする。 人生とは、この我との長い戦いだ。 この我を制する事が出来れば、私たちはこの人生に完全に勝利する事が出来るのかも知れない。 我とは、大人になるにつれて強くなる。 だからこそ、子供に

いついかなる時でも自分を問う

私たち人間というのは、しっかりと色々な事を意識して生きていないと、この心というか、精神はすぐにバラバラに砕けていく。自分を一つの塊として維持していくには、その1つの塊である自分を常に意識し続ける事が必要になる。 何もせずにただこの流れる時間にその身を委ねて生きて行けば、自分というものは維持する事が難しい。エントロピーの法則ではないが、私たち人間というのは、常に自分に意識を向け続けなければ、この私というものは、簡単に複雑化し、乱雑になる。 自分の部屋も、常に自分で綺麗にしよ

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス 鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス 鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギスに見るこれからの生き方

日本人ってのは、この3武将の中で言えば、家康の鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス思考だと思う。 ずっと、特に何をする訳でもなく、信じて待つスタイル。これが日本人の典型的スタイル。 未来は明るい。それを信じて、ずっとその明るい未来がやってくるのを待っているのが、日本人。日本人ってのは、自ら幸せというものを取りに行こうとはしない。ただひたすら、いつやってくるかもわからない希望に満ちた明るい明日を信じて待ち続ける。それが日本人。粘り強く、待っていれば、いつか必ずいい事がある。そ

2D人間と3D人間(一般人の思考と大富豪の思考)

物事を平面的にしか捉えられない人は、2D人間。 物事を立体的に捉える事が出来る人は3D人間。 この両者が互いに理解し合う事は難しい。 2Dの眼で世界を見ている人に、3Dの世界の事を話したとしても、その人にとっては、それを2Dの認識でしか受け取れない。 お互いに話せば、理解し合えると言われるけれど、物事を平面的に捉えている人に、いくら立体的な話をしたところでそれらを彼らが理解することは出来ない。 見ている世界が全く違う。持っている視点が全く違う。だから、この両者が相容

所有する時代から手放す時代へ(エコ的時代の到来)

私たちは今多くの物を所有しているが、これからはその今所有しているものの殆どが何の価値も持たない時代になってくる。 こんな事を言ったら、ほとんどの人は何言ってるの?とそう思うかも知れない。でも、こうした時代は確実に来る。 私たちはこれからエコなる時代に入って行く。あれもこれもそれも皆自分の物と言って所有していた時代はもうそろそろ終わる。これからはより多くの物を持つ事ではなくて、どれだけ自分の持っているもの、所有しているものを少なく出来るか?という時代が来る。というか、もう皆

何故?どうして?その問いが自分を救う

何でなんだろう?といちいち、自分の取る行動、言動について問う。 こうする事で、何故、自分が今そう言う事をしようとしているのか?を明確にする。自分の中に一体どういった思いや考えがあり、それがどの様に自分の中で動いているのか?を知る。 私たちは意外に、自分自身の行動について、何故自分はこうした事をしているのだろう?と問うことがない。 自分の中にある感情に引きずられて、特に自分で何かを意識する事無く、色々な事をしていたりする。 何故、自分が今此処にいて、こうした事をしている

人間としての誇りと尊厳をその胸に

自分たちが見ようとしないで目を背けてきたその全てが今、私たちの眼前につきつけられている。 私たちはこれまで向き合おうとしてこなかったその全てとこれから向き合わなくてはいけなくなる。 これまでなんだかんだで逃げてきたその全てから、もはやこれからは逃げられない。何をどういった所で、何をどうした所で、私たちはその全てを全部自分の責任としてその眼前にたたきつけられる。 誰も責める事は出来ない。何もかも全て自分の責任で行わなければいけない。 これまでは、これといって何かを深くま

考える事、学ぶ事をやめないで

もっと考えよう!自分の事ではなくてこの世界の事。自分の事ばかり見ていないでもっと広くこの世界を見よう!!そしてこの世界について考えよう。 私というものを超えて、私たちはもっと人間というものについて考えなければいけない。私たちは自分ってものに固執しすぎてる。だから、その自分ってものから離れて、その自分を自分たらしめてくれているもっと根本的な部分について考えを深めていく必要がある。 自分、自分っていう前に私たちは、もっとこの世界の事を、地球の事を考えるべき。この地球がなければ

私たちは決して美しくなんかない

人間なんてそもそも混沌としたものでしょう?それを美しく見せようとしたってそれは無理。元々、人間は混沌としていて何だかわからないもの。 これといった形を持たずに、混沌としているもの。だから美しかった。でも、今はその混沌さに秩序がもたらされてしまって、しかもその秩序が過剰になってしまって、私たちは全然美しくない。 混沌としていて、何もかもがめちゃくちゃでごちゃ混ぜになっていた。それが人間の持つ美しさの極みだったりするけれど、それが今はない。 今の人間はあまりにも自分を綺麗に