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生きる

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ー破壊そして再生へー
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2020年5月の記事一覧

人生に屈するな、戦え。

往生際の悪さ。 私という人間は何処までも欲深い。自分というものを何処までも追求していきたい。今あるこの自分というものに、私はそう簡単に納得する事が出来ない。 周りを見ていると、皆いとも簡単に自分の人生に納得しているかのように見える。納得しているというか、もう自分の人生と闘う事を諦めてしまっているのか? 自分を生きると考えた時、そう簡単に自分の人生に納得する事が出来るだろうか?私は、自分のこの人生に負けたくはない。だから、一生この自分と闘い続けるつもりでいる。 これが自

いついかなる時でも自分を問う

私たち人間というのは、しっかりと色々な事を意識して生きていないと、この心というか、精神はすぐにバラバラに砕けていく。自分を一つの塊として維持していくには、その1つの塊である自分を常に意識し続ける事が必要になる。 何もせずにただこの流れる時間にその身を委ねて生きて行けば、自分というものは維持する事が難しい。エントロピーの法則ではないが、私たち人間というのは、常に自分に意識を向け続けなければ、この私というものは、簡単に複雑化し、乱雑になる。 自分の部屋も、常に自分で綺麗にしよ

人格変容を伴う癒しという強烈な体験

私たち人間は日々、癒されたいと思っている。自分の中にある苦しみや、悲しみを和らげたいと思っている。だから、色々な所へ出かけて行ったり、色々な人と出会ったりして、そこで私たちは自分の心を癒そうとしている。 私たち人間というのは、自分の中にある苦しみや、悲しみ、これを完全に断とうとはしない。ほんの少しでも、癒されれば、自分の中にあるものが緩和されればそれでいいくらいにしか思っていない。 だから、一時的な癒しを求めてあちこちをさまよう。そして、一時的な満足で自分が癒されたとそう

お金による幸福か?それとも人間としての幸福か?

お金によってもたらされる喜びと、人間としての喜びとは全く別のものなんじゃないかだろうか? お金によって作り出される幸せではなく、人間として創り出す喜び、これを私たちは、この人生に於いて追及していくべきなのではないかと思う。 お金によってもたらされる喜びは一時的なものにすぎず、自分の人生を永遠に保障してくれるものではない。 私たちは、自分の人生を永遠に保障してくれるものを見つけるべき。 お金は真の喜びを与えてはくれない。むしろ、お金は私たちから人生を搾取する。 私たち

私たちは社会に飼われた社畜じゃない。人間なんだ。

皆、元の生活に戻りたいとそう言う。今せっかく自分が社畜から抜け出せるチャンスなのに、私たちは、又この社会に飼われた社畜に戻りたいという。 今、私たちは本当の意味での人間になるチャンスを得た。この社会に飼われた状態から、私たちは今抜け出すチャンスを得ている。でも、私たちはまだ社畜の状態にとどまろうとするというか、社畜に戻りたいとそういう。 自分に何の力も持たずに、ただ社会に与えられ誘導されるがままに生きるそんな世界に私たちは又帰りたいとそう言う。 自分の意思で動いているの

創造する力が生むフリーエネルギー

私はいつも何かをしていないといられない。じっとしていられない。 じっとしていると、自分が何かに食われてしまうようなそんな気がして、いつも何かをしていないといられない。 何かをすると言っても、掃除や洗濯、仕事や家事という事では無い。 私はいつも創造的な事をしていたい。何かを書いたり、作ったり、何処までも自分の思考を広げて行ったり。こう言う事をしていたい。 こうした事が出来ない日、私はその日一日生きた気がしない。 創造する時間というものが、一日の中にないといられない。私

VRという大きな魚の腹の中

なんとなく考えてみた。これからの事。これはあくまで私個人の考えだけど、これから、私たちの世界は皆、VRの世界に移行していくんじゃないかな? 私たちの生活圏が皆、VRの世界に移されて行く。VRの世界で自分のアバターを作って、そこに私たちは今あるこの私というものを移していく。 私たちの今住んでいるこの生活圏が皆、VRの世界に移行する。そんな風に最近考えたりする。っていうか実際にもう世界はそうなってきているよね。 自分のアバターを作って仮想世界の中に入る。最初は、その自分のア

社会的タブー

いい大学に入って、いい会社に入って、良いパートナーと出会って、結婚して、子供を産んで、子育てをして、我が子を立派に育て上げて、その我が子が、孫を生んで自分は年寄りになって、皆に見守られながら最後を遂げる。 こうした形というかスタイルは一体誰が作ったんだろう?こうした生き方こそが、人間として最良の在り方だとそう提唱した人は誰なんだろう?もっといえば、こうした日本人共通というか、世界共通の意識を作ったのは誰なんだろう? 良きパートナーに出会って、そのパートナーとの間に子供をも

表現という名の自己解放

自分の中から出てこようとするものを、この社会は出すなっていう。 余計なものを出すな。余計なものを書くな。表現するなって。 人に受けのいいものを、人に評価されるものを。そんな風に教育されて生きてきたけど、それじゃあ自分の中にあるものが私の中から出てこれない。 私の中にあるものは外に出たがってる。この私の中にあるものは、私が表現する事で、その表現に乗って私の外に出る。 彼らは私なしでは、この世界に出てこれない。 私は表現する事で、私の中に閉じ込められているものを外の世界

共感を拒み、理解を求める私の芸術

人受けのいいもの、人に評価されるもの。そう言ったものを書いていたら、自分ってものが消えていった。 人に見られる事、評価される事。そればかりを思って、物を書いたり、形あるものを作っていたら、そこから自分ってものが消えていった。 表現とは、自分あってのものだけれど、その自分がいつしか自分から消えていった。 みんなに見られるために、皆に理解してもらう為に、こうした事に必死になって、私は私を失っていった。自分を失っていった。 人受けのいいもの、人に評価されるもの、人に求められ