意味よりも大事なことは響き合うことだと教えてくれた四人。
例年のごとく正月だからといって何も特別なことをしないで過ごす。
レコードを聞きながら泣いたことが三回ある。
ジャズを一生懸命に聞いていた頃に三枚のレコードで涙した。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第42回】
1964年2月12日ニューヨークのリンカーンセンターのフィルハーモニック・ホールで収録されたマイルス・デイビスの『マイ・ファニー・バレンタイン』。
タイトル曲のイントロのスリリングな静寂感に感極まってしまった。
二枚目は1963年にコペンハーゲンで録音されたアルバート・アイラーの『マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー』の「サマータイム」。
アイラーの孤独な咆哮に胸をしめつけられた。ジャニス・ジョプリンの「サマータイム」に匹敵する名演だ。
三枚目はジョン・コルトレーンが11人の仲間と集団即興演奏する『アセンション』(1965)。
コルトレーンの勇気に感動して泣いた。
マイルスもアイラーもコルトレーンも超がつく一流演奏家。
一流とは、本物、真っ当なもの、混じりっけのないものだ。
世の中の60%の人間はぼくも含めて似非(えせ)、つまり二流。
その60%の心を捉えないとブームやヒットにはつながらない。
見たことも聞いたことも読んだこともない斬新なものを追い求めている。
それは60%の人が気づかないところにある。
キラキラした才能を見つけると人に伝えたくなる。
才能と出会うためにはフットワークが必要だ。
体力、気力が充実しているときには自分の興味のおもむくままにおもしろ探しに出かけられる。
歳を重ねたのでスタンディングのライブを観に行けないのが悔しい。
話が逸れたのでジャズの話に決着をつけよう。
70年代に入りジャズは急速にしぼんでいった。
当時もっとも信頼していたジャズ評論家の相倉久人氏は「ジャズは死んだ」と宣言した。
唯一気を吐いていたのは大胆にエレクトリックを導入してファンク・ビートを強調して独自の音宇宙を模索していたマイルス・デイビスだけだった。
そのマイルスに対して旧弊なジャズ・ファンは「コマーシャリズムに毒された」と的外れの感想をのべた。
70年にジャズ担当志望で入社したレコード会社で心ならずもロック担当を命じられたことはぼくにとってはラッキーなことだったのかもしれない。
70年代の音楽とレコード会社の話も電子書籍版「きっかけ屋アナーキー伝」に書きましたので読んでいただければ嬉しい。
こんなことがよくあった。
音楽制作ディレクター時代、大昔の話です。
新人バンドからデモテープを渡された。
コンピュータを使っていくらでも修正出来る今と違って貸しスタジオを借りてカセット・テープに録音していた70年代の話だ。
録音は悪いし演奏も荒削りだけどひらめきを感じさせるバンドと時折出会うこともある。
さっそくレコーディング・スタジオで本格的なデモテープを録音する。
何度もテイクを重ねて編集し、リミックスして完成。
ところが時間も手間もお金もかけてプロが作ったデモテープが本人たちの持ち込んだカセットに及ばないことがしばしばある。
手をかけすぎたことにより、その曲が元々持っていた初々しさや荒々しい演奏に込められていた熱量が失われてしまうからだ。
ぼくたちはビートルズに直撃を受けた世代だ。
ビートルズは歌詞を間違えたりコーラスを間違えたりしたものをそのままレコードに残している。
普通では考えられないことだ。
彼らは完成度の高さよりもノリのよさやエネルギーがほとばしっている演奏を優先した。
意味よりも大事なのは響き、響き合うことなんだ。
ビートルズは音楽を通して若者に文化革命をもたらした。
今から何十年も前に「意味より大事なのは響き合うことなんだ」ということを世界に発信していた。
この続きはまた明日。
明日は何の話をしよううかな・・・。
明日もお付き合いいただければ嬉しいです。
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