何も達成していないのに前よりも自分を好きになった理由。
メリークリスマス🎄つながり探究家のみづきです。
今年のクリスマスプレゼントは、過去の自分からのお手紙と仲間のことば。
昨日は、つながりの学校1期メンバーの卒業制作発表会&クリスマスパーティーでした。
みんなそれぞれの発表がエモくって、良すぎて、
それを聴かせてもらえてしあわせだなあ、と余韻に浸っている今日です。
あるメンバーの発表で心に残っているフレーズがこちら。
「しあわせとはなんだろう」
「ゆたかさってなんだろう」
そんな問いを大切に持っているメンバーしんちゃんが、つながりの学校でたどり着いたひとつの答え。
気づいていないけど、今ここにある"あたえあい"にいかに気づけるか。
いかに目の前のひとつひとつに、心を震わせられるか。
という彼のやわらかくなった表情を見て
わたしもじーーーんと心があたたかくなりました。
今日は、つながりの学校のみんなから教えてもらったこと、
6か月間で何も達成していないのに前よりも自分のことが好きで、自信がちょっとついて、しあわせになったとつながりの学校メンバー全員が感じたその理由について考えながら卒業発表を振り返ってみます。
"あたえあい"がしあわせのヒント?
少し前に、「与える」について考えたことがあります。
その時から少しわたしの考えも変化してきました。
そしてそれに気づかせてくれたのが、つながりの学校メンバーたちです。
いまは「与える」について少し違う角度で捉えています。
「与える」とか「与えない」とかいう以前に、
わたしたちは「あたえあってしまっている」ということ。
前に記事を書いたときには「与える」「与えない」は自分の意志というか、コントロールできることだっていう前提があったんですよね。
だけど今はその前提が前とは違っていて。
誰もがすでに、与え、受け取り合っている
それが今のわたしが見えている世界の前提です。
おそらく、つながりの学校のワークショップを通じて
みんなもその"あたえあい"を体感したのかもしれません。
食べ物、自然のめぐみ、人と人との相互作用…
そういう普段当たり前になりがちなリソースに意識をむけて大切にする体感ワークショップを経験すると
「ああ、自分はこの世界のイチブなんだ」
という実感が身に沁みます。
そういう実感を伴って
「わたしとわたし自身とのつながり」
「わたしと他者とのつながり」
「わたしと自然とのつながり」
を取り戻していく。
「気づいていないだけで、多くの"あたえあい"で循環している」
という彼の言葉は、わたしにとっても大切なヒトコトでした。
表現することが、ただ楽しい
6か月間にわたったつながりの学校1期が幕を閉じ、区切りの儀式としてひとりひとりに「卒業制作」をしてもらいました。
この6か月間を、未来の自分が「そんなこともあったなあ」とわかるように、自分のための記録として何かにまとめてください、というテーマのもと、それぞれ創意工夫をしたものをシェアしてくれました。
過去の自分へのお手紙を書いたり、ことばにまとめたり、図にして残したり、動画制作をしてみたり…。
それぞれが「自分はこんな表現でとどめたい」という動機をもって、自主的に媒体を選び、メンバーにわかちあってくれました。
「ただただ表現することが楽しい」
とそれぞれが楽しんでシェアしてくれている景色を観れて最高のクリスマスプレゼントでした。
みんなの発表を一通り聴いてわたしが印象的だったのは、表現方法やそれぞれの具体のエピソードは異なっているにも関わらず、全員に共通する2つの視点があったことです。
自分を表現していると、あたえようとしなくても自然にあたえてしまう
共通する視点のひとつめが、今日の記事のテーマでもある「あたえあい」。
これがコミュニティの面白さだよなあ、と思わずうなってしまうほどそれぞれの卒業制作のエピソードに
という本人も無自覚の"あたえあい"が生じていました。
「心から楽しくてやっていること」や「純度の高い感情の表現」は
となりの誰かをいつのまにか動かしてしまうほどのパワーがあります。
そのことを身をもってそれぞれが体感し、
そのことがまた他の誰かの自己表現を後押ししていく。
そんな相互のつながり、"あたえあい"が起きていることに
わたしも深く感動していました。
与えようと意図的に与えるのではなく、
自分を生きていたら気づかぬうちに"与えてしまっていた"。
今はそれこそが与えるの本質ではないか、
とみんなから学ばせてもらったような気がしています。
「前よりもしあわせで自分のことが好きになった」
そしてふたつめが、
「何かを達成したわけじゃないけれど、
全員が6か月前より幸せで自分を好きになっている」
という共通点。
これは、わたしもつながりの学校をはじめたときには予想していなかった嬉しい声でした。
それもこれも、みんなが少しずつ、だけど確かに「感じる知性」をはぐくんでいるから。
感じる知性は目に見えないし測れないけれど、必ずはぐくむことができるし、それがしあわせな状態にも通じるんだなという確信にもつながりました。
近年流行っているウェルビーイングという言葉は、なにかを達成して得られるものではなく、文字通りその時その時の状態、Beingなんですよね。
仮説として持っていた、しあわせは「感じる心」にある、というのはあながち間違ってはなさそうです。
過去のわたしから未来のわたしへの手紙
つながりの学校では、入学して間もなくみんなでそれぞれ6か月後の自分へお手紙を書きます。「こういう状態だったらいいな」という状態をイメージしながら、それが叶っているような感覚で手紙を書きます。
卒業発表会のこの日に、それぞれが6か月前に書いた手紙を開封しました。
この手紙の内容はシェアしてもいいし、とどめてもいいのですが
手紙を公開してくれたメンバーがいるのでシェアします。
半年前は不安でいっぱいだった自分からの手紙。
時空を超えて自分に届くことばってすごい発明だなあ。
半年後の自分へ、書いていることが実現したかどうかという視点を超えて、それぞれが受け取ったこと、感じるものがあったようです。
(「そもそも書いている内容に違和感がある」というメンバーもいて、それくらい6か月間で変化があったんだな、ということに気づく時間でもありました)
つながりの学校では、先生→生徒のような上下の関係ではなく、
あるときはファシリテーターや場のホールドもしますが、
主宰者もいっしょになって楽しむことを大切にしています。
わたしも、もちろん書きました。6か月後の自分への手紙。
恥ずかしいけれど、わたしの手紙の内容も公開します。
新しいことをはじめるのは、正直大きな不安がありました。
みんなが一生懸命稼いだ大切なお金というエネルギーを頂いて、6か月後に価値ある場だったと言ってもらえるのか。
実はプレッシャー抱えすぎて6月は体調不安定になる始末…(苦笑)
自分どれだけ繊細なの…と落ち込む日々もあったけれど、それもまた振り返ると良い経験に。
メンバーさんから、
なんて言ってもらえる未来が待っているなんて。6か月前のわたしに教えてあげたい。
途中でコンセプトが変わる不完全さもみんな笑い話にして受け止めてくれるよ、とか、noteで記事シェアしてくれたり友人に紹介してくれる仲間までいるよ、とか。
そんな経験を経て、いまはわたしはわたしのやることをやればいい。
目の前の楽しい体感的な自己理解の場を、わたしがいちばん楽しんで創ったらいいんだ、と実感しています。
来年2月からはじまる2期生を募集しているけれど、1期のときより気持ちは穏やかです。メンバー集まるかなって不安がゼロではないけれど、誰よりもわたしがこの場の価値を信じていられるようになったから。
必要な人には、必要なタイミングできっと届くと信じています。
これを感じられるようになったのも、1期のメンバーのみんなのおかげです。
わたしに"あたえあい"を教えてくれたのは、つながりの学校の仲間たちでした。
本当にありがとう。みんなのこれからの旅路にもたくさんの光が降り注ぎますように。
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