エッセイ| 東京と可能性のこと
道の両脇に所せましと並んだ店。ショーウィンドウに光る洋服やアクセサリー。バンドのライブTシャツ 着て足早に歩いていく人。さっきそこの角のお店で芸能人がロケをしていたって。はしゃいだ声とすれ違った。
テレビや本の中にしかいなかった有名人が、たかだか10メートル先のステージで話をしていた、笑った時に震える頬も、一区切りつけてわずかにうつむく表情も、私の知っているものと大した違いはなくて、その存在を否応なしに実感する。地平線で分断されていた、あっち側とこっち側は確かに地続きで、私の呼吸も世界につながっている気がした。
東京には、何もかもがあるように見えたし、実際に何もかもがあったのだと思う。ここで誰かが誰かになっていく。この街でたくさんの夢がかなった。その場所に自分が立っていることに静かに高揚した。駅のロータリーでギターを弾いた女の子、眠そうにコンビニの品出しをする男の子、皆どこかにつながっていけるのだと信じて疑わなかった。
カーテンに伝う柔らかな陽の様だった。隙間からこぼれ出て線を描く。その眩しさも手の中にあるようで、満たされた。私は午後の日差しにまどろんでいただけ。
楽しかった夢もいつかは醒める。所詮夢だから。真っ黒なスーツを着て、嘘ではない、嘘をつく。それでも私はまだどこかで期待していた。この街が、その名前が、どこか知らない場所に連れ出してくれると。
一人、また一人と巣立っていった。呆れるほど可能性に満ちた、誰にでもなれるこの場所から、たった一つを選んで。他の全てを選ばないで。
これをしていればつぶしがきくとか、好きなことができるとか、優しい可能性が鼓膜をかすめて、底なし沼、足をとられて動けなくなる。選ばない間は誰にでもなれた。まだ見つかっていない自分のことを語れば、夜は瞬く間に過ぎ去って、どうしようもない朝が来る。いつになってもつかめやしないのに、光は強くなっていくばかり。
ピンク、黄色、青、煌びやかなネオン、暗闇に光るショーケース、そびえたつビルの森。立ち尽くすこともできず、うつむきながら歩いていく。この街でたくさんの夢がかなわなかった。
SNSで友人が恋人と並んで写っている写真が流れてきた。何の変哲もない道で。雑居ビル、空に無造作にかかる電線、画面の端にスーパーの袋を下げて自転車を漕ぐおじさんが見切れている。その真ん中でおどけた顔する二人。何もかもがあるように見えて胸が詰まった。いまさらそんな幸せを選ぶこともできなかった。
私は就職しない。もう少しだけ頑張ってみることにきめたの。
大学時代から熱中した音楽の道を追いかけることを決めた友人がいた。有名人になったらサインもらいにいくからね、なんて軽口を叩きながら、胸の中は羨望と憧れと嫉妬でぐちゃぐちゃだった。あなたが馬鹿真面目に向かい合うその可能性は、あまりに澄んでいたから。
そして数年後、晴れてメジャーデビューを果たしたことを小さなネット記事で知った。
きっと他の道も無数にあったと思う。けれど、他の何も選ばず、可能性の海から抜け出して、たった一つの自分を選ぶ。その姿を見たとき、ただ過ぎ去っていくことばかりを願い、浪費した時間に後悔した。そして同時に気持ちがふっと軽くなった。どんな小さなことでもいい、選んでみたいと思った。今日の夜は何を食べよう、玄関を出て最初に出すのはどっちの足?次の休みはどこに行こうか。散らかっていた日々をかき集めていくとちっぽけで、風が吹けば飛んでいきそう。でも、触れる感触はある。
ドアを開けて踏み出す足は右足に決めた。
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