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「メタバースの答え合わせ」に最適な一冊

メタバース関連の本を何冊か読んでますが、今のところ、一番しっかりとした分析がなされている本だと感じたのが、
加藤直人さんの
『メタバース さよならアトムの時代』 (集英社)
です。

メタバースによってもたらされる未来に可能性を感じさせつつも、
過度に舞い上がりも、貶めもせず、
徹頭徹尾、常温を貫く姿勢がとても信頼できます。

私としては「ほぼ想定通り」な内容でしたので、
自身のメタバース考察の「答え合わせ」をする目的が果たせました。

備忘録も兼ねて、気になった箇所をピックアップしていきます。
(引用の際に、筆者が多少改変しています)

■メタバースにおけるクリエイター・エコノミー

私が一番気になるのは、やはり、エンタメやクリエイティブがどのように変化するか、ということです。
「クリエイター・エコノミー」に関連した記述を挙げていきます。

真の意味でのメタバース、つまりデジタルが中心となった人類の夢の生活スタイルを実現するにあたって、クリエイター・エコノミーは肝となる。
クリエイター自身がその世界を作っていて、そこに経済が成り立ち、自己組織化されていること。

これから先、メタバース上に体験を作るハードルは限りなくゼロに近づくはず。
さらに言えば、これからはノーコードの創作体験がメインとなっていく。

メタバースの第2次産業:
ゼロから高品質なアバターやアイテムを作るのは無理だが、既存のものを組み合わせたり改変したりするくらいならできる、
という3Dクリエイターに出番が回ってくる。

第3次産業 サービス業の時代:
中心となって活躍するのが「ワールドクリエイター」。
既存の3Dオブジェクトを組み合わせたり、ときには自作したりしてワールドを作成する。
これから先、各プラットフォームにおいて、ワールドクリエイターの収益化手段が充実していくだろう。
ワールドクリエイターは今後ますます数を増やし、メタバースを象徴するクリエイターとなるはず。

Web3.0時代にとうとう生まれたのが、遊べば遊ぶほどお金を稼げる「Play-to-Earn」というコンセプトだ。

■存在するだけで情報発信?

本書の内容は全体的に共感をおぼえるのですが、
どうしても引っかかってしまったのが、「第6章 メタバースの未来と日本」で記された以下の内容でした。

コミュニケーションや情報発信は、兎にも角にも「労力がかからない」方へと流れていくのが、この世の摂理

どんどん楽な方向に流れていくことを踏まえた上で、メタバース時代の情報発信の在り方を考えてみると、圧倒的に大きなパラダイムシフトが起こることがわかるだろう。
そこに存在するだけで情報がポストされるのである。

アバターを着て、音楽に合わせて踊っているだけで、その全行動が自動的に発信され、それが自動的にコンテンツになる。

まったく新しい情報発信スタイルの夜明け

いずれも納得ですし、きっとそうなっていくと私も思います。
ただ、そのような状況が実現した時、
アバターの奥に、生身の人間がいる必要があるのだろうか?
と感じてしまうのです。

岡田 斗司夫さんが『ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く』 (PHP新書)
で記していたように、
「AIユーチューバーの住んでいる世界」そのものを提供する娯楽
のほうがはるかに需要があるように思います。

そんな世界において、本当に「クリエイター・エコノミー」は成立しうるのだろうか?
…という懸念さえも浮かんできてしまいます。


■そのほか、気になった箇所のピックアップ

ここからはテーマを区切らず、私が気になったところをランダムに挙げていきます。

●相互運用性 interoperability
アバターやアイテムをプラットフォーム間で自由に持ち運びできる状態。
ただ、この条件の実現は難しい。
人類の理想はオープン・メタバースだ。

MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム。大規模多人数同時参加型オンラインRPG)
は自己組織化することなはく、あくまで他者が組織化した世界。
つまり、あくまでもコンテンツ。運営がコントロールし続けることで存続するゲーム世界。

一方、メタバースは自己組織化された構造体。
そのため、プラットフォームを提供する企業が想像もつかないようなコンテンツが創造される可能性に開かれている。

ゲーム業界にあるのは、ゲームという存在をもう一段階、生活に根ざしたものにしたいという悲願だ。

VRMは「glTF2.0」というフォーマットをベースとした拡張。
glTFは、音楽のMP3、動画のMP4、写真のJPEGのような、3DCGのポピュラーなデータフォーマット。

VR 「こちらから行く」体験
AR 「こちらに来てもらう」体験

NFTは「複製できないようにする」技術だと説明されることもあるが、誤解を招く表現だ。
一意性が保たれ複製ができないのはあくまでトークン。
それに紐ついたデジタルコンテンツの複製を防ぐ仕組みがあるわけではない。
また、デジタルコンテンツが唯一そのトークンに紐ついていることを保証する仕組みがあるわけでもない。

だからといってNFTに実用価値がないわけではない。現在のNFTは、コミュニティという実用性をともなったものがメインとなってきている。

何かの製造に特化した都市、何らかの食物の製造に特化した都市、
というように都市自体がファンクショナルでモジュラー(構成要素)なものになる。
コンピュータのプログラムを設計するかのように、都市の関係性自体を設計する時代である。
一通りのファンクションを持った都市をいくつも持つより、
適切に冗長化させた上でファンクションごとに分けてネットワーク化したほうが効率的だ。
メタバースが主になれば、現実世界はメタバースのためにデザインされる。
都市それぞれにキャラクターを持たせ、都市そのものをモジュラー化してしまうことが、未来のリアル世界のあり方だと僕は信じている。

義務教育は、他者とのコミュニケーションやコラボレーション、社会性と呼ばれるものを身につけさせることだけの価値に帰着する。
身体性を持った上で他者とコラボレーションできるメタバースはとても有効なインフラになるはずだ。
そんなときに、教科書がタブレットになった、PCやタブレットを入れてインターネットを使って教育しよう、ということをやっても意味がない。完全に周回遅れだ。

メタバースで身体性をともなった他者とのコラボレーション体験を幼少期から学んだ人間が、世界で活躍できる時代が必ずやってくる。
そういう時代に適応するのが、メタバース・ファーストな教育だ。


『ドラえもん』はメタバース時代を先取りした作品
『ドラえもん』で英才教育されてきた日本人にとって、データを生み出す源泉として、妄想力を大いに発揮することが世界から求められている。


「一番よくわかる教科書」と銘打っているだけあって、
丁寧に、過不足なくメタバースを解説した一冊です。
それでいて、読んでてワクワクします。

2022年の今、読んでおいて損はないと思います。




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