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縁の切れ目はミッション達成の合図なのでした

 人生の中で、ある人と親密になったり、疎遠になったりというのは、誰にでも起こること。

疎遠になる、とくに離婚のような時は、その衝撃はかなり重たいし、変化を受け入れることは難しいけれど、決断の時を超えたならば、出来るだけ軽やかに飛び立てるといい。

わたしの場合、ふわりと身軽になれたきっかけがあった。
それは過去生での元夫との関係性を通じて、彼と共に果たすべきミッションが終わったのだ、ということが納得ができた瞬間。

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リーディングによる過去生では、ヨーロッパの国のどこかにいて、その時代も元夫とは夫婦で、わたしは正妻だった。
位の高い地位にいた夫は公務が忙しく、身の回りの世話は係りのものがいた。そしてわたしもその妻としての公務が忙しかった。愛情のある関係だったけれども、夫婦らしい時間も、関わり合いも不足していたようだった。

そして、その人生が終わったとき、わたしには「もっと夫婦らしく暮らしたかった。もっと彼の身の回りの世話をしたかった。」という思い残しがあった。
さらに、空の上で彼と約束をしていた。
またいつか夫婦になろうと。

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時を経て、今生でわたし達はめでたく巡りあい、やっとのことで結婚した。大好きな人の妻になれて幸せいっぱいだった。
そして、会社を立ち上げ、私たちは事務所兼自宅で昼も夜も一緒に過ごし、働いた。

わたしは夫のことが好き過ぎて、いつも失う心配ばかりしていた。だから仕事にも家のことにも一生懸命取り組み、尽くして尽くして尽くしまくった。
裏切りにあっても、自分を磨くことで愛を取り戻せるような気がしていた。
ありのままの自分では、何か不足しているのだと錯覚していた。

そして16年目、もう無理、これ以上頑張れないと思えた時は、ある意味、やり切った感満載だった。
そして、この過去生の繋がりを知ったときに、お腹の底から合点がいった。

そうだった。わたしがやりたかったんだ。
そしてやり切って気が済んだから、もう卒業していい。

あのときの爽やかさといったらなかったし、救われた思いがした。

この時学んだのは、疎遠になるには、理由があるんだということ。
時代を超えた2人の間の約束や、課題がクリアされたならば、もうそこにしがみつく必要はない。
結婚生活の後半、いろんな事が上手く行かなくなってきていたのは、前に進むことを知らせるアラームだったのだ。
次のミッションが待っているよ。次にやるべき事、学ぶべき事、出会うべき人たちがいるよ。とベルが何度も鳴っていた。

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ただし、あの頃は気付いてなかった。
今思えば、苦しく辛い最後の4年か5年は要らなかったかなぁと思う。あんなに自分を痛めつける必要はなかったなぁと。

もがき苦しんだ分だけ、セラピストとしての肥やしにはなっているだろうか。

読んでくださり、ありがとうございます。 サポートのお気持ちとても嬉しいです。ありがたく受け取らせていただきます。感謝💕