見出し画像

「今の子ども」と「昔の子ども」|#132

「今と昔」というのは、どんなシチュエーションでも比較されやすいものだけれど。
娘を見ながら「娘=今の子ども」と「自分自身が子どもだった頃=昔の子ども」をよく脳内で比較する。


「我慢できない子どもが増えている」なんて話を目にすることもあるけれど、本当だろうか。

昔に比べて格段に便利で豊かになった現代社会では、多くの人は欲しいものがすぐに手に入るようになり、やりたいことにチャレンジしやすくなっています。それにより、「欲しい!」と思ったものはすぐに手に入れなければ気がすまない、また「したい!」と思ったことは何が何でもしなくては気がすまない子どもも増えてきたように感じます。
上記サイトより引用

「今の子ども」の方が、我慢を強いられる場面が多いといえる側面もある気がする。


お菓子。アイス。ジュース。ガチャガチャ。


子どもが「ごく日常生活を送る」だけの範囲に存在する”誘惑”が、昔より格段に増えている。種類も豊富になったし、手軽さも増したし、場所も増えた。

ちょっとスーパーに買い物に連れて行っただけなのに、出入り口にはシャボン玉が特価で並び、おもちゃが出迎え、牛乳に辿り着くまえにジュースの列。レジに並びながら振り返るとお菓子コーナー。さらにトイレ手前にはガチャガチャ。

その度に「やりたい!買いたい!」「ダメ!今日は買わないって言ったでしょ!」の応酬だ。子どもは渋々聞き入れるが、これ「我慢」以外の何物でもないだろう。


* * *


昔(1980年代、信州の田舎町)は、こんな”誘惑”はなかった。

そもそもスーパーやコンビニがなかったし、たまに買い物に行くのは近所の商店。おもちゃやシャボン玉は当然ないし、お菓子も駄菓子が並んでいる程度(それでも10円のガムは輝いていた!)。

ガチャガチャもなければ、トイザらスもない。TSUTAYAもなければ、ショッピングモールなんて影もない。

そもそも生活圏に”誘惑”がない状態で育ってきた、私は。
娘のように、毎日暮らしているだけで目に入る”誘惑”を、その都度制され我慢するという経験はしていない。


昔は昔で、別の我慢はあっただろう。
同居していた戦争世代の祖父母に厳しく育てられた、そんな面の「我慢」は多かったろう。


昔は昔。
今は今。

子どもはいつだって頑張ってる。自分の欲求と戦っている。
一概に「今の子どもは~」と論じることはしたくない。


娘とガチャガチャをやる・やらないで揉めながら、脳の反対側でそんなことを考えた。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。