見出し画像

横浜で100年の時間旅行。ホテルニューグランドでマッカーサーと同室!

先日、横浜で100年の時代をワープするような旅に行って来ました。

昭和初期に建てられたクラシックホテルから、2021年に運行を開始した日本初の都市型循環式ロープウェイ「ヨコハマエアキャビン」まで、ひとっ飛び!

横浜の街がどのように栄えて今のようなオシャレな街になったのかを知ることが出来ました。

⭐マッカーサーズスイートで過ごすホテルニューグランド

1927年(昭和2年)開業のホテルニューグランドは、日本クラシック協会に加盟する9つのホテルの1つ。

ここで、315号室「マッカーサーズスイート」というお部屋に泊まって来たんです。

その名の通り、あの、マッカーサー元帥が宿泊したお部屋!

マッカーサーといえば、誰もがまず思い浮かべる写真の一つが、終戦後の1945年8月30日、厚木飛行場で撮られた写真ではないでしょうか?

飛行機のタラップに、コーンパイプをくわえ、濃いサングラス、ノーネクタイで立つマッカーサー元帥の写真です!

マッカーサーは、声明文を朗読した後、すぐさま乗用車に乗り込み、その足で向かったのがホテルニューグランドだったのです。

画像1

戦後、進駐軍は最初の滞留地を横浜とし、戦火を逃れたホテルニューグランドが最高司令官の宿舎としてふさわしいと選ばれ、ホテルは米軍に接収され、マッカーサー元帥専用室に当てられたのが315号室。

ちなみに、今回、お部屋にあった写真のパネルを見ていて、
「コーンパイプって、本当にコーンそっくりだな」
と思っていたら、なんと、圧縮したトウモロコシの軸を使用したパイプだったんですね!
知らなかった。。。

窓からはイチョウの木や山下公園が見えて、中華街へもすぐという立地。

濃いブルーのベルベット生地の椅子が華やかでした。
窓際に置いてあった古めかしい机と椅子。
この椅子、すっごく重くて、たぶん20kgはあるんじゃないかしら。
もしかして、マッカーサーもここで仕事してたかも?
感激ー!

画像3

友人と一番の歓声をあげたのが、ベッド!
なんと、美しいタオルアート!
ホテルのロゴである2羽のフェニックス(鳳凰)が、何枚ものタオルで作られていました。

女性の友人と行きましたが、
「もう今日は新婚旅行のつもりで抱き合って寝ようか!(笑)」
と言いつつ、結局、夜、崩すのもったいなくて、そーっとソファに運びました。

画像4

アメニティはブルガリ。
ウェルカムスイーツに、いちじくケーキと、ラグジュアリー♪

⭐ホテルを訪れた世界のVIP

大正12年9月1日、関東大震災が発生、華やかだったホテル街もろとも横浜の街は瓦礫の山と化したといいます。

被災地では、外国人客のために建てられた仮設宿泊所があり、「テントホテル」と呼ばれるひどい状態だったところ、横浜の街を再生すべく、ホテル建設が急がれたそうです。

横浜市民に名前を公募したところ、「ホテルニューグランド」に決定。

このホテルを訪れた著名人もすごい!
もちろん、皇室の方々も。
🔷チャーリーチャップリン(喜劇王)
🔷ベーブ・ルース(元祖 投打二刀流 野球の神様)
🔷池波正太郎氏(歴史小説家「鬼平犯科帳」など)
🔷石原裕次郎氏
🔷松田優作氏

ホテルニューグランドのシンボルといわれるのが大階段。
なんか、映画に出て来そうな重厚な雰囲気!

画像2

館内には、様々なパネルや資料があり、明治から昭和にかけての激動の歴史を知ることが出来ました。

⭐ナポリタン、シーフードドリア、プリンアラモード発祥の地

実はホテルニューグランドは、ナポリタン、シーフードドリア、プリンアラモード発祥の地!

今回、しっかりその3つを頂いてきました。

画像5

✅スパゲティナポリタンの発祥
進駐軍が日本人に馴染みのなかったケチャップを持ち込んでスパゲッティに塩コショウと和えていたのを見た当時の総料理長が、それでは味気ないと、刻んだニンニク、玉ねぎ、トマトペーストで作ったソースにハムやマッシュルーム、パルメザンチーズなどを合わせて提供

中世のイタリアではトマトソースをかけたパスタが屋台で売られていたことをヒントに【スパゲッティナポリタン】と名付けられたそう

✅プリンアラモードの発祥
シェフが甘いもの好きのアメリカ人のためにカスタードプリンとアイスクリームを合わせて盛り付けたのがはじまり

✅シーフードドリアの発祥
ある銀行家のお客様が体調を崩して料理長に「何か喉に通りの良いものを作って欲しい」とリクエストしたことからご飯と小エビのグラタンを合わせて作ったのが元

画像6

⭐横浜に中華街がある理由

ホテルから横浜中華街も歩いて数分なので、ランチと食べ歩きをして来ました。

何度か行ったことのある中華街も、今回は私の見る目が少し違っていたのです。

それは、「世界ふしぎ発見」を通して「なぜ横浜に中華街があるのか?」というのを知ったから。

長く鎖国を続けていた日本は、1853年のペリー来航でアメリカの圧力に屈し、日米和親条約を結んだことでやむなく開国。

船が日本と外国との往来の主流であった時代、横浜港はその玄関口となり、様々な貿易が開始されるも、それまで日本との貿易を許されていたのはオランダと中国のみ。

そこで、通訳として呼ばれたのが中国人。
中国人と日本人は筆談でコミュニケーションを取ることが出来たのです。

当時、活躍した中国人が定住し、飲食店などを展開したのが、今の中華街。
空いている土地は当時、畑だった場所しかなく、そこを開拓したそうで、江戸時代の地図上で畑だったところと、今の中華街の形は完全に一致するといいます。

ほ~ほ~☆
なぜここに中華街があるのか?を知ると、なんとペリー来航の歴史まで遡って感じることが出来ました!

⭐中華街で食べ歩きと、老舗ランチ

ランチに行こうと老舗の「重慶飯店」の順番待ちに名前を書くと、たぶん30分くらいはかかるという。

そこで、ぶらぶらして待とうか、と散策していると、あちこちに美味しそうな点心やスイーツなどに吸い寄せられて、色々食べちゃった!

まず見付けたのは崎陽軒の「シウマイBAR」。
ここでは焼き焼売の串をパクリ。
店内に予約制の「おうちでジャンボシウマイ」3,500円の見本が!
巨大なシウマイの中から一口サイズのシウマイが22個出て来る!
ホームパーティーで盛り上がりそうですね~♪

画像8

ちなみに、崎陽軒では、「シュウマイ」ではなく「シウマイ」ですよね。

それは、初代社長の野並茂吉氏が「シュウマイ」を「シーマイ」と発音していたから。
栃木県出身で訛りがあった野並氏は、「シュー」という発音が出来ず、こうなったそうですよ。

そして焼き小籠包。
「熱いかな!?熱いかな!?」と言いながら、かじろうとする私をじっと見守る友人達。

「ん?ちょっと!最年長の私にどれくらい熱いか、試させようとしてる?」
と言うと、「あ!すみません!」と、慌てて若手が先に食べてました(笑)。

さらに「叉焼(チャーシュー)メロンパン」なるものがあるという。

え!?甘いの?しょっぱいの!?どっち!?
これはもう食べてみるしかないでしょう!

はい、答えは・・・
想像通り、「皮が甘くて中がしょっぱい」です。
アッツアツで美味しかった~♪

画像7

本命の「重慶飯店」も、40分近く待って行って来ました。
レジの横にあったのは、【家業から100年企業へ 重慶飯店が年商70億円の龍門グループになれた理由】という本。
すごいですね~。

画像9

このあと、2021年に運行を開始した、日本初の都市型循環式ロープウェイ「ヨコハマエアキャビン」に乗ったり、映えスポットや絶景レストランなどを巡り、横浜を堪能しました。

ペリー来航から明治、大正、昭和の時代の流れを知った上でオシャレな横浜の最新スポットを巡るとさらに面白かった~!

次週、横浜で巡ったホットスポットの記録を書こうと思います。

✅エアキャビン
✅山下公園
✅気車道
✅アクアリウム宇宙旅行
✅ワールドポーターズ
✅ハンマーヘッド
✅マリン&ウォーク
✅コスモワールド
✅横浜ベイホテル東急「クイーンアリス」
✅赤レンガ倉庫
✅水陸両用車
✅シーバス
✅アウディカフェ

⭐⭐戸川みゆきのインスタグラム⭐⭐

国内旅行アカウント
ダイビングアカウント
グルメアカウント
海外旅行アカウント
ライフスタイルアカウント



この記事が参加している募集

最近の学び

休日のすごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?