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青色と出会った北斎!世界で2番目に有名な絵

先日、映画「HOKUSAI」を観て来ました!

そう!
世界で最も有名な日本人、と呼ばれる、葛飾北斎の映画です。

きっかけは私の大好きな柳楽優弥くんが主演だから!

でも、柳楽くんが主演だから、という加点なくとも、本当に面白くて、北斎の絵がものすごく見たくなり、大阪の浮世絵美術館にも行っちゃいました。

昨年、2020年は北斎の生誕260周年の年で公開予定だったのが延期になり、今年5月から公開になっていたのです。

若き時代の北斎を柳楽優弥くんが、晩年の北斎を田中泯さんが演じるというダブル主演!
目力がすごいお二人です!

🔷世界で最も有名な日本人!

1998年、アメリカのフォトジャーナル誌『LIFE』が発表した、
「この1,000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」
の中で、日本人では唯一、北斎が選ばれています。
これってすごいことですよね!
アメリカの情報誌なのに、ウォルト・ディズニーを上回ってますよ。
わお!

⭐ザ ライフ ミレニアム⭐
「この1,000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」

✅1位 トマス・エジソン
✅2位 クリストファー・コロンブス
✅3位 マルチン・ルター
✅4位 ガリレオ
✅5位 レオナルド・ダビンチ
  ~中略~
✅85位 ヘレンケラー
✅86位 北斎
  ~中略~
✅90位 ウォルト・ディズニー

🔷新紙幣が楽しみ!

2024年前半に、新紙幣が導入されます。
NHKの大河ドラマ「青天を衝け」では1万円札の顔となることが決まった渋沢栄一さんのドラマが放映されているようですが、今、一番楽しみなのは、千円札の裏!

       表     裏
✅1万円札 渋沢栄一  東京駅
✅5千円札 津田梅子  花のフジ
✅千円札   北里柴三郎 葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」

キタ~!
28年ぶりに刷新される日本紙幣が、葛飾北斎の木版画
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」「The Great Wave」
です~!

この「The Great Wave」は、モナリザに次いで、世界で2番目に有名な絵、として評価を受けているといいます。
そこまでとは知らなかった!

🔷パスポート、更新した~い!

さらに!
昨年、28年ぶり、1992年以来にパスポートのデザインが変更され、北斎の絵に変わっていたなんて、知らなかった~!

10年用パスポートの54ページに、富嶽三十六景の中から24作品が使われ、5年用パスポートでは32ページに16作品が描かれているそうです。
次回、更新、いつだったかしら。。。

信頼度で世界最強と言われる日本のパスポート。
世界に誇る北斎の絵、そしてより複雑になることでの偽造防止のセキュリティ強化で、さらに最強に!

🔷改名30回!引越し90回!90年の画狂人生!

葛飾北斎(1760〜1849年)は、その90年の生涯を通して、3万点以上の作品を描き残しています。

当時の平均寿命は40歳くらいなので、まれに見る長寿!
その長寿の秘訣については諸説あり。

✅玄米生活をしていたのが良かったのでは?
✅クワイを毎日食べていた?
✅お酒でゆずの葉を煮たものを毎日飲んでいた(レシピまである)
✅80歳過ぎても、江戸⇔小布施(長野県北東)まで4往復、2000kmを歩くほど、絵のためならどこへでも歩いていた など

北斎は、10代の頃の一時期、木版画の彫師として修行を積み、やがて浮世絵師・勝川春章に弟子入り。
師匠の一字をもらって「勝川春朗」と名乗り、主に、歌舞伎役者の絵を描いていました。

腕はいいのに、生活がままならない状態の時に、人気浮世絵版元(プロデューサー)蔦屋重三郎の目に留まるが、なかなかプロとしては認めてもらえない。

美人画の巨匠・喜多川歌麿や、わずか10ヶ月の間のみ道楽で役者絵などを描いたという東洲斎写楽、などのライバルがどんどん世に出て人気を博して先を越される中、「俺はなぜ絵を描いているんだろう?何を描きたいんだろう?」と、もがき苦む時期を経て、唯一無二の独創的な手法を見出していくのです!

絵師としての画号、「北斎」とは「北極星」、絶対に動かないもの、という意味を持つかっこいい名前ですが、北斎は生涯に何度も画号を変えていて、その改名回数はなんと30回!

引越しを90回もする変わり者だったようです。

🔷『冨嶽三十六景』を描いたのは70歳過ぎ!

北斎の絵で最も有名なのは、『冨嶽三十六景』。
その中でも、世界でモナリザに次いで2番目に有名な絵とされているのが「神奈川沖浪裏」(The Great Wave)で、これこそが北斎の名を後世に残すことになった代表作。

英会話のカナダ人の先生と話をしていると、「浮世絵」「北斎」という言葉には「?」という感じでしたが、検索した絵を見せた途端、
「Oh!The Great Wave!」
と、ご存じでした。

私達が、「あ!モナリザ!」「あ!モネの池」というのと同じことなことなんでしょうね!

でも、北斎が『冨嶽三十六景』を描いたのは70歳過ぎてから。

60歳後半に脳卒中で倒れ、右半身に麻痺が残る中、一人旅に出掛け、そこで見た壮大な富士山、大自然に魅了され、なんと自力でその後遺症を治癒したといいます。

でも、ここで欠かせないのが、ある「色」との出会いだったのです。

🔷「ブルー」と出会った北斎

葛飾北斎の『冨嶽三十六景』、歌川広重の『東海道五十三次』に多く使われるブルー。

後に、北斎ブルー、広重ブルーと呼ばれることになるこの色。

実は、この「ベロ藍」「プルシアンブルー」との出会いが北斎を世界の巨匠として名を残すきっかけに!

実はそれまで、ブルーの顔料といっても薄いブルーしかなかったそうです。

ドイツ・ベルリンで発見された「ベロ藍」は、1820年頃から日本でも使われるようになり、濃いブルーから薄いブルーまで自由自在に表現出来るようになり、北斎の絵はそれまで以上に人々の心を魅了していったのです。

この化学的な合成顔料である「ベロ藍」、18世紀初頭に、ドイツ・ベルリンの染料業者によって発見されたのは、実は偶然だったといいます。

赤色絵具を作る際、調合に必要なアルカリがたまたま手元になく、他の研究者のアルカリを借りて調合したところ、青色の沈殿物が発生。

その原因を調べてみると、その時借りたアルカリが、通常、染料業者が使っているものと違い、研究者が独自に作った、動物の血液由来のものだと分かったそうです。

映画の中でも、北斎がこの「ベロ藍」と出会った時、雨にかざして全身にその「ベロ藍」を浴びる情景が描かれていました。
このシーン、すごかった~!
今後、映画「HOKUSAI」をご覧になる方は、是非このシーンを凝視してください!

🔷チームワークあってこその天才浮世絵師

北斎は確かに世に多大な影響を及ぼした天才。

でも、浮世絵は、チームワークなくしては出来ないものなのです。

まず浮世絵師が描いた絵を元に、彫師が彫って板木を起こす。
その後、摺師(すりし)が幾重にも色を重ねて版画が出来上がるという流れ。

つまり、浮世絵師と彫師、摺師の共同制作!
そして才能ある絵師を発掘、育成する版元(プロデューサー・出版社)。
まさにチームビルディングの結晶!

どれが欠けても、北斎、写楽、歌麿の作品が世に出て、後世に残ることはなかったでしょう。

大阪浮世絵美術館にも、原画に、海の色(青)、空の色(水色)、橋の色(茶色)、波の色(濃い青)、舟の色(ベージュ)、そして落款印(赤)と、色が重ねられていく行程が展示してありました。

細かい字が描かれたものもあり、それを手彫りしたなんて、信じられない!

そして、実際に北斎を始めとする浮世絵師が描いた原画は、板木を起こす際に、木の上にのせて一緒に掘ってしまうため、一枚も残っていないのです。
残っているとすれば、それは世に出なかった絵、ということですね。

また、大阪浮世絵美術館で、スタッフの方が虫眼鏡を貸してくれました。
というのは、白い着物の襟もとや、犬の毛並みなど、絵に凹凸があったんです!

それは、木の上に版画をのせてゴリゴリ押さえることで作った凹凸で、絵に立体感を持たせたんだとか!

🔷漫画のルーツ「北斎漫画」

漫画のルーツと言われる「北斎漫画」。
何気ない江戸の人々の暮らし、変顔をする人、お相撲さん、お化けや妖怪、動植物など、様々なものが描かれています。

これは冊子となって製本されたため、海外に出て行きやすかったそうです。

絵を描く門下生の絵手本や、職人の発想源としての目的で出版されたものの、庶民から武士まで幅広い層の評価を得て、江戸時代のベストセラーとなったといいます。

🔷天才を発掘・育成するプロデューサー

映画では、阿部寛さん演ずる版元、蔦屋重三郎。

北斎、歌麿、写楽などを世に出した人物です。

美術品を世に出すと共に、才能ある絵師を発掘・育成するプロデューサーの役割も果たしていた、浮世絵におけるキーパーソン。

この時代、天保の改革で「贅沢品」が禁止されたり、「風紀を乱す恐れがあるもの」「人々を堕落されるもの」として歌舞伎、寄席、浮世絵も、激しい弾圧を受けていました。

蔦屋重三郎は、風紀取締りとして、財産の半分を没収されています。
まさに他の版元に対しての見せしめであったとも言えます。

映画では、この時、
「出る杭は打たれる。これはうちが江戸で一番の版元だとお墨付きをもらったも同然!このお陰で、世の人々はうちがどう出るかに注目しているぞ!」

と奮い立っている様子が描かれていました。

🔷モネ、ゴッホも北斎から学んでいた!

北斎がここまで世界に名を知らしめたのは、ゴッホやモネ、ドガやゴーギャンなど、世界の巨匠達が北斎から学び、北斎を模倣し、愛したから!

ヨーロッパに日本の浮世絵などの美術品が知られるようになったのは、1867年、パリで開かれた万国博覧会で、それまでにも、輸出された陶磁器の包み紙に浮世絵が使われていて、それを手にした画家達に衝撃を与えたといいます。

当時、ヨーロッパの芸術家にとって、見たままを描写する「写実画」、或いは「印象派」という、くっきりした輪郭や線、色ではなく、描くものの周りの光や空気感をとらえて描く画法が主流。

確かに、「モナリザ」や「睡蓮」を見ても、全体がぼんやりしていて、くっきりした線はないのに、浮世絵ははっきりと線で描かれています。

ところが、浮世絵では、近景と遠景の遠近法も極端かつ大胆に描く構図で、背景や影などを省略した美しさがあり、「遠近法を守る」「写実的に描く」という縛りから、ヨーロッパの画家達を開放したのです!

「睡蓮」を描いたクロード・モネは、日本愛好家、浮世絵の収集家でもあり、自宅の庭には、日本風の太鼓橋(大きく丸く反ったアーチ状の橋)を造るほど。

この太鼓橋、実は歌川広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」に出てくる橋をモデルにしたと言われ、自宅には今でも大量の浮世絵が保存されているそうです。

ゴッホに至っては、影が一切描かれていない浮世絵を見て、日本とは、影のない南国・光の国なんだ!と思い込み、南フランスのアルルへ移住したとか!

ゴッホの『星月夜』は、北斎の「神奈川沖浪裏」に影響を受けて描いたと言われています。

確かに似てますね~

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また、フランスの作曲家、ドビュッシーが作曲した「海」の楽譜の表紙にはこの「The Great Wave」が使われるなど、影響を及ぼした範囲も広い!

🔷美術館のはしご!

ここ最近、美術館のはしごをしています。

✅京セラ美術館 
エジプト展すごかった!

✅MOA美術館
美術館そのものがアート!

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✅湯河原美術館
ミュージアムカフェのごはんがおいしかった!(笑)

✅大阪浮世絵美術館
北斎の絵がどうしても見たくて行きました!

ちょうど、以前から使っていたアナスイの扇子がバラバラ事件になったところに、「The Great Wave」の扇子を見付けて購入☆

そして!
次に行きたいのは、川崎浮世絵ギャラリーの「大北斎展」と、すみだ北斎美術館!
墨田区にそんなのあるの、知らなかった~

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🔷北斎と同じ富士山を見る!

先日、新幹線から富士山の写真を撮りました。

乗り慣れた大阪⇔東京間、見慣れた富士山。
富士山が見える辺りまで来ると、「パシャ!パシャ!」と写真を撮る音が聞こえても、普段はブラインドを閉めたまま。

でも、この日、少々曇っていたものの、私は乗る前から富士山の写真を撮る!って決めてたんです!

何故なら、北斎が見た富士山、北斎が描いた富士山、200年近い時を経た今、同じ風景を見ている、ということが感動だったから!

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⭐⭐戸川みゆきのインスタグラム⭐⭐

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